第1話 出会い

人と妖が共存するこの国は新たな年を迎え、人々は浮かれ騒いでいるというのに空はどんよりとしていて、そろそろ雪がちらついてきそうなほど寒い冬の午後。


昼飯時を少し過ぎた時刻、飯屋から鶏を焼く美味しそうな匂いとともに、モクモクと煙が漂い、男の鼻先をくすぐった。


この男の名はりつという、彼は妖術ようじゅつ使いだ。

知り合いに頼まれて幽霊が出るという蔵を調査しに来たが、なんとも間抜けな結果に終わって、うんざりした様子で歩いていた。


その幽霊が出るという蔵は、家のあるじが見様見真似で書いた護符を蔵に張ったところ、以外にも力を発揮してしまい、通りすがりの死霊が捕まってしまったというものだった。


まったくもって不愉快だ、知識の無い人間がむやみに妖術を使うなんて、術の反動で祟られでもしたらどうするつもりなのだろうか、命知らずにも程がある。

最近はこういう妖術使いの真似事をしたがる奴が増えて困る。


今回だってあと少し対処が遅れていたら、捕らえられた死霊が怒り出して祟りを起こしてしまうところだった。


気の毒な死霊は――自然と成仏できるのを待ったほうがいいこともある――あと少しで成仏できそうだったので逃がしてやり、正しい護符を蔵に張りなおした帰り道、鬱屈うっくつとした律は酒を呑んで気分を変えようと、煙に誘われるように飯屋に入った。


店の奥は調理場になっていて、そこが煙の出所だ。

調理場には45歳くらいの男が1人と、給仕をしている20歳くらいの女――よく似ているから親子だろう――が1人だけだった。


律は入り口近くの席に座り、酒を吞みながらなんとなく外を眺めて、行きかう人々をただ見ていた。


その時1人の男が目に留まった。32歳くらいで、背は高く185㎝以上ありそうだ、肩幅が広く服の下の鍛え上げられた体が想像に難くない。


質実剛健なその男は目を見張るほどの美男子で、切れ長の目は鋭い眼光で人を射竦め、きつく結ばれた口は誰も逆らえないほどの威厳を感じさせた。

それはまるで神が作り上げた渾身の力作のようだった。


その黒ずくめの男が外套を脱ぎ店内に足を踏み入れると、女給は微かに悲鳴のような声を上げた。


それは彼の容姿がとんでもなく美しかったからではなく、彼が着ている軍服に驚いたからだ。


律は軍服から察するに天人様てんにんさま直属の黒岡軍くろおかぐんだろうと判断した。


彼らは身分が高い軍人であるばかりか、『腰に差している剣で、人をいとも簡単に殺すことができるらしい。もし、粗相があって怒らせてしまったら最後、この世とお別れするしかなくなるぞ』と市井しせいで噂になっているから怖がって当然だ。


その軍人は部下6名を従えているようだった。

2本の金筋に3つ星の肩章ということは大佐で、左腕に留められた紋章はおそらく旅団長の印だろう。


そんなお偉いさんが出てくるということは、この辺りで何か大事件でもあったのだろうかと律は推し量った。


店内にいた行商人の2人は、面倒に巻き込まれるのはごめんだと思ったのか、そそくさと店から出ていった。


調理場から男が出てきて、恐怖で身がすくんでしまい動けずにいる女給をそっと脇へ押しやると注文を受けに行った。


律は20歳くらいの若い軍人に見つめられていることに気が付いた。

腕の紋章は大隊のもの、肩章は1本の金筋に3つ星ということは大尉、若いわりに腕が立つんだなと律は思った。


彼は律をおかしなやつだと思って見ていた。

何故なら先ほど店内にいた行商人のように、自分たちの姿を目にした人は恐怖に駆られて散り散りに逃げていくものなのに、その男は今も悠然と酒を呑んでいる。


異国人のようだ。長い髪の毛は銀色をしている、彼はこんな色の髪を今まで1度も見たことがなかった。瞳の色は紫水晶色で透き通っていて、吸い込まれそうになる。


着物は男物だけど顔は女のように美しく、男だろうか、女だろうかと思案した。

すらりとした細身の体に着物をまとい着崩れている衿元からは白い肌が見えた。


体中から色気を放っていてとんでもなく妖艶だ。

律は自分を見つめてくる兵士に艶っぽい笑みを向けた。

彼に見惚れていたその軍人は顔を赤らめて視線を逸らした。


律はまた外を眺め始めたが、耳は店内にいる軍人たちの会話に集中した。

どうやらこの付近の石塚の話をしているようだ。


石塚に何があるのか判然としないが、彼らが今からその石塚に行くらしいということは分かった。


食事を終えて店を出ていったあと、しばらくして律は面白いものに出くわすかもしれないと思って後を追った。


その石塚の名は〈相木あいき〉と言い、大小様々な石がそこかしこに積み上げられ、隙間を埋めるように小さな白い花が、この寒空の下たくましく咲いている。


崖の下には太陽の輝きを反射して煌めく真っ青な海が広がる。

律がなかなか綺麗な景色だなと眺めていると、どよめきが林の奥から聞こえてきた。


不審に思い律は林から顔を出してみた。すると1人の青年が地面に膝をついて項垂れているのが目に入った。


さっき飯屋で目があった青年だと律は気づいた。

彼は顔面蒼白で、息がしづらいのか苦しそうに胸を押さえて喘いでいた。


彼を支えているのは先ほど飯屋で見かけた、軍隊の大佐らしきあの一際目立つ眉目秀麗な人物で、部下を動揺させないよう落ち着いているように見えたが、その目には隠そうとしても隠しきれない恐怖を滲ませていた。


律は彼らに近づき話しかけた。

「その石を触ってしまったみたいだね」


「お前は誰だ!」

1人の兵士が律に剣を向けてきたので、ゆっくりと両手を上げた。

「待って、待って俺はただの通りすがりのものだよ、怪しいものじゃない、剣を降ろしてよ」


大佐は剣を向けていた男の腕を押さえて、剣を降ろさせたがその目は明らかに警戒していた。


「ありがとう、俺は妖術使いの律だ。その石は封印の術が解けかかってたみたいだ、普通は触ったくらいじゃなんともないんだけど」小石を手に取った。「君はとても憑かれやすいみたいだね」


大佐は支えていた青年を他の兵士に託すと律に近づいた。

「私は黒岡軍の大佐柳澤やなぎさわ晴翔はるとです、あなたはこの者を助ける術を知っておいでですか?」


「知ってるよ、その石に封じ込められてた奴にとり憑かれただけだから除霊しちゃえばいい」


「報酬は支払います、除霊していただけませんか?」


律は相場より多めに言った。「いいよ、銀貨7枚でどう?」

こういう交渉は得意で、律の血が騒いだ。


まず高額を提示し相手がどう出るかを見る。値を下げようとすれば依頼を蹴り、急がないと手遅れになるぞと脅す。相手が焦って考えるしぐさを見せると、こちらは気の毒に思っているという顔をして、最初の額よりほんの少し値を下げ、相場よりも少し高い額で、交渉成立に持ち込む。


彼の身なりからするときっと沢山銀貨を持っているはずだ、ここは少し吹っ掛けてやって、俺の懐を肥やしてもバチは当たらないだろうと忍び笑いをしていたので、晴翔からの意外な言葉に驚いて、言葉を失ってしまった。


「分かりました、7銀貨払います、彼を助けてください」


交渉を有利に進めて、鬱屈とした気分の憂さを晴らしてやろうと思っていた律は肩透かしを食らって、余計に鬱屈としてしまい心の中で地団駄を踏んだ。


先ほど飯屋にはいなかった年配の軍人が疑念を口にした。

「柳澤大佐、怪しいとは思いませんか、こんな辺鄙なところに突然現れて、その時偶然柳澤大尉がおかしな物に触れた。そもそもこいつが呪いをかけたのではないですか。金を絞り取るためにわざと術をかけ、親切そうに助けてやると近づいてきたならず者かもしれません」


訝しむような視線を向けてくるこの男は、軍服の種類が1人違うことから天人様直属の部隊ではなく、ここ〈相木〉を管理する支局の兵士だろう。


(なんだか雲行きが怪しくなってきたようだ、俺が犯人にされて投獄されるなんてことになったら面倒だ、美味い酒が呑めなくなっちゃうじゃないか、憑かれたこの若い兵士には気の毒だが、ここはさっさと退散した方がよさそうだ)


「悪いけど厄介なことになるなら俺は断らせてもらう、除霊できるやつを教えるからそいつに頼んでくれ」1枚の紙に場所と名前を書いて晴翔に差し出した。「2時間以内に除霊できれば彼は助かるよ、急げば多分間に合うだろう、除霊できなければ明日の朝日が昇る頃に、心臓が止まっちゃうから気をつけて」


晴翔は律に対してまだ疑心を抱いていたが、背に腹は代えられない。

この男が金をだまし取ろうと仕掛けたことなのか、それとも本当にとり憑かれたのか、こちらにはその区別がつかない。

たかだか数枚の銀貨じゃないか、くれてやったって良いと決断した。

立ち去ろうとする律に深々と頭を下げた。

「申し訳ございません、彼が失言したことをどうか許してもらいたい、私の部下を助けて頂けませんか?銀貨は倍の14払います」と丁重に願い出た。


見た目は厳ついが腰が低くて丁寧で、軍人にしてはなかなか感じの良いやつのようだ。それになんといっても律好みの顔をしている、厄介なことになったら逃げればいい、それに黒岡軍に恩を売っておくのも悪くないだろうと律は思った。

「あんたがそこまで言うなら引き受けてやるよ」


苦しそうに喘いでいる青年の前で座禅を組んで印を結んだ。


うらむらくは烏滸おこ沙汰さたたてまつるに為ん方無し』


すると柔らかな風が晴翔たちの足元を通り抜けて、青年を捉え周囲をぐるぐる駆け巡ると、青年から黒い影が飛び出してきて、石の中にスッと消えていった。


辛そうに浅く息をしていた青年の息が落ち着いて、蒼白だった顔に色が戻り始めた。


見せられた術は以前に本で読んだ『除霊の呪文』とそっくりだった、抱いていた疑心はこの瞬間きれいさっぱり消え去って、晴翔は律に心底感謝した。

「ありがとうございます。もし律殿に困ったことがあったらその時は〈黒岡くろおか〉を訪ねてきてください、今回のお礼に、必ず力を貸すとお約束します」


憑かれた青年を支えていた中佐と思しき――2本の金筋に2つ星の肩章――整った顔立ちに優しそうな目が温和な印象を抱かせる、晴翔より少し背の低い27歳くらいの好青年が深々と頭を下げた。

「黒岡軍中佐、第1大隊長を務めます、柳澤やなぎさわ伊織いおりと申します、部下を助けていただきありがとうございました」


憑かれた青年は笑顔を取り戻した。幼さが残るが華やかな顔立ちの、180㎝くらいの細身ですらりとした活発そうな青年だ。

「黒岡軍大尉、柳澤やなぎさわ颯真そうまと申します。嘘のように楽になりました、ありがとうございました」

全員が深々と頭を下げた――先ほど剣を向けてきた軍人だけはまだ律を訝しんでいた。


律は黒岡軍の奴らは全員こんなに礼儀正しいのか?と思い少々居心地の悪さを感じた。礼を尽くされることにあまり慣れていないので、このような礼を尽くされるとむずがゆくなるのだ。


石に入ってきたものの気配を感じ取ると眉をひそめた。

「このくらいなんてことないよ、ただ除霊はできたんだけど石に封印されていた物はちょっと厄介そうだ、数日すると柳澤大尉は悪夢にうなされることになるかもしれない。もし助けが必要な事態になったら〈白木綿しらゆう〉でつむぎという人物を探して、力になってくれると思うよ。それと、この護符をあげる。大尉は憑かれやすい体質のようだから肌身離さず持っていて」

1枚の紙を颯真に渡し銀貨を14枚受け取ると、思った以上の収穫を得たと満足顔でのんびりと石塚を後にした。

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