第12話

 その日の夜、俺は事務所兼住居で例の詩集を読み返していた。横から覗き込んでいた美歩ちゃんが言った。


「あれれ、字で絵ができてるよ」


 陽子さんが洗濯物をたたみながら「それは『カリグラフ』って言うのよ」と教えた。

 「蟹ピラフ?」と聞き返した俺の隣で美歩ちゃんが「かりぐらふ?」と正確に復唱した。賢い子だ。


 陽子さんは洗濯物を膝の上に置いて、「詩の内容に合わせて形を作るように文字を並べているの。やってみると、すごく難しい事なのよ」と説明した。


 俺は「なるほど……」とそのエッフェル塔の形に文字を並べて綴られた詩を読み直した。フランス語は分からなかったが、その下の訳文を読んでみて、ちょっと不思議な感じがした。きっとフランス人は、もっと不思議な感覚になるのだろうと思った。


 頁を捲っていると、この季節にぴったりの詩があった。読んでみた。何となく悲しい詩だった。ふと、亡くなった「トトさん」という人の事が頭を過ぎる。何故かは分からなかったが、俺の頭にはその老人の事が浮かんだ。そして、何故か余計に悲しくなった。


 気を紛らわそうと、テレビを点けた。ローカル・ニュースをやっていた。例のアキ・ムロトの絵が県立美術館に寄贈される事になったらしい。大きな絵画の前で、詰襟スーツの初老の男性が背広姿の人たちに目録らしき物を渡してから、握手をしていた。横で手倉病院の院長さんが誇らしげな表情で立っている。


「あら、土佐山田さんの写真の人ね」


 と、陽子さんが言った。俺は尋ねた。


「この人がアキ・ムロトさんなのか。マスクは被ってないんだな」


「変ねえ……」


 陽子さんが首を傾げているので、俺は再びテレビに目を向けた。ニュースは次の項目に変わっていた。川の向こうの隣町で起きた窃盗事件のニュースが読み上げられる中、俺はさっき見た映像を思い出していた。


 背広の男たちの背後の絵。落ち葉が舞い散る細い農道を、牛を連れて歩いて行く農夫。秋の絵だった。どこか悲しい絵だ。


 俺は足下の詩集に目を落とした。そして、その詩を読み返し、そのまま陽子さんの前に差し出した。


「ん? なに?」


 陽子さんは、俺が指した詩を読んだ。そして暫らく黙っていた。


 テレビは「トトさん」のニュースに変わっていた。短く、淡々とした報道だった。ただ一人の老人が大雨の夜に増水した川で事故死した。ニュースが伝えた事実は、それだけだった。


 俺と陽子さんは、テレビの方に顔を向けたまま、ずっと黙っていた。


 テレビは、次の「秋の味覚フェア」のニュースを明るく伝え始めた。


 俺の頭には全く入ってこなかった。



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