第5話
「観音寺」側から低い塀を飛び越えると、そこは「ホッカリ弁当」の裏手の庭だ。建物の裏手には左右の端にドアがある。左のドアはスチール製で、「ホッカリ弁当」の厨房への入り口だ。右のドアは二階の住居部分への入り口となっている。つまり玄関。それらの間に中古のスチール倉庫が置かれている。廃業した喫茶店の店主から貰った物だ。その店のおじさんは、わざわざ新しい物を買ってくれようとしたが、陽子さんは遠慮して使わなくなった倉庫を貰った。この中には、お弁当の容器がビニール袋に包んで入れてある。近所の子供が悪戯しないよう、施錠も厳重だ。俺が、念のために南京錠をカチャカチャと鳴らして施錠を確認していると、お隣との境の塀の向こう側から白髪の頭がヒョイと上がった。
塀の向こう側から「なんだ、桃ちゃんか」と言ったのは、赤レンガ小道の入り口の角にある「
どこかで短くクラクションが鳴った。
店の中から「あなた、タクシーが来たから、行ってくるわね」と伊勢子さんの声がする。
九州男さんは「ああ、分かった。気をつけなさいよ」と言いながら裏庭に面した居間のサッシに手を掛けた。すると、居間の襖が開いて、いつもより少しお洒落した伊勢子さんが現れた。
「変な人がうろついてるみたいだから、裏の戸締りはちゃんとしてよ」
「分かってるから、早く行きなさい。タクシーが待っているんだろ」
そう言いながら、九州男さんはサンダルを脱いで敷居に足を載せた。
「窓を割られたり、干している下着まで持っていかれる事もあるそうよ。シャベルとか硬そうな物は仕舞っておいて下さいね。そういうので割られちゃうから」
「ちゃんと片付けたから……」
九州男さんが呆れ顔で言うと、大通りの方から再度クラクションが鳴った。
「ほら」と九州男さんに促されて、伊勢子さんは店の方に向かった。
俺は塀の上に腰を下ろし、九州男さんに尋ねた。
「なんだ、お出かけか。珍しいな」
「まったく、ウチは薬局じゃないか。腰痛の薬くらい、いくらでもあるのに」と九州男さんはボヤいている。
俺が「伊勢子さんも腰痛か。高瀬さんチの公子さんも腰痛らしいぞ。流行っているのか」と尋ねると、九州男さんは庭を見回して「ああ、これも危ないな」と再びサンダルに足を載せた。エアコンの室外機の横に置いてあった手箒と火挟みを持ち上げた九州男さんは、俺にそれらを見せて「気付かないところだった。助かったよ、桃ちゃん。こういう物でもガラスを割られちゃうからな」と言った。
「泥棒か?」
塀から土佐山田さん宅の庭に下りた俺がそう尋ねると、九州男さんは「結構、広い範囲で警戒しないといけないそうだからね。まったく、やっかいだよ」と言いながら居間に上がった。畳の上に敷いた新聞紙の上に手箒と火挟みを置くと、「ああ、そうだ」とテーブルの上のタッパーに手を伸ばす。
「昨日の晩酌の残りだけど、食うか」
九州男さんは、手に持ったサラミ・スティックを俺に見せた。俺は首を横に振り、真剣な顔で尋ねた。
「さっき大内住職が徘徊老人の話をしていたぞ。どうも手倉病院の経営する福祉施設から逃げ出した人らしいが、もしかして、その人の事なんじゃないか」
「なんだ、食わないのか。珍しいなあ」
「サラミなんか食ってる場合か。もし、その人の事を泥棒だと思っているなら、違うぞ。どうも、その人は認知症らしいんだ。それに、既に警察に保護されているとも言っていた。だが、別に侵入窃盗犯がいるなら、たしかに警戒が必要だ。それに、俺も捜査しなければならない」
九州男さんはサラミ・スティックを咥えたままテレビを見ている。
「自治会長としては、一応、みんなに電話しておいた方がいいか。そういう時期だし……」
「そうだな。催し事も多くて、外出する機会が増える季節だ。こういう時期は空き巣に狙われやすい」
「まったく、いつからこうなったのか。昔は、もっと落ち着いて秋を楽しめたものだが……」
溜め息混じりにそう言った九州男さんは、来客のチャイムが鳴った店口の方に大声で返事をして、走っていった。
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