第29話 邂逅。そして、
朝からチラついていた雪は夕方近くになって本降りになった。窓の外には雪で薄化粧したような街並みが見えている。
交通機関の混乱を心配し早めに家を出た町田かおりが、早くも美穂のアパートに到着した。かおりを最寄り駅まで迎えに行った猪熊も一緒だ。猪熊はその風貌に似合わず酒が飲めない。なのでかおりの送迎を買って出たのだった。
「
「リンちゃん!」
二人は涙を浮かべしばらく無言で抱き合った。
猪熊はしばらくその姿を見守っていたが、両手にビールや食材の詰まったエコバックをぶら下げていることに気付き、その横を静かに通って台所に運んだ。
「あ、猪熊さん。その白い袋はお土産です」
町田かおりは美穂から離れると、指先で涙を拭いながら台所へきて白い袋を持った。
「美桜ちゃーん。はじめまして。わたしはママのお友達で、まちだかおりと言います。リン姉ちゃんって呼んでね」
かおりはキョトンとする美桜の前に座り、白い袋を差し出した。
「これね、リン姉ちゃんからのプレゼント。さぁどうぞ」
「あぁそんな、ごめんね、リンちゃん。気を遣わせてしまって。ありがとうね。ほら、美桜、ありがとうは?」
「ありがとう、お姉ちゃん」
おずおずと受け取った美桜が袋を開けると、人気アニメのキャラクター人形と着せ替えセットが出てきた。
「わぁ!」
美桜の顔が一瞬で輝く。
「遊んでもいい?」
美桜が美穂の顔を見た。
「いいよ!」
かおりがそう答え美穂の目を見て頷いた。美穂が頷き返す。
「じゃあ寝るお部屋に行って遊んできなさい」
「はぁい!」
美桜は人形を胸に抱え寝室に入っていった。
「私も席をはずそうか」
猪熊はそう言って玄関に向かいかけたが二人は、外は雪ですよと笑った。
紅茶飲めますよね、美穂はそう言って台所に立った。
「森村は私たちの高校時代の共通の知人だから、彼の話を避けては通れないよね」
町田かおりがいきなりズバリと切り出した。猪熊はあぁ、この二人は本当の友達
なんだなと再確認する思いで気持ちが温かくなった。
「森村は間違いなく高校時代は良いヤツだった。勉強が出来て優しくてリーダーシップもあって。だからまさかあの森村がそんなヤツになったなんて信じられなくて正に青天の霹靂だったよ。どうしてそうなっちゃったのか訊くつもりはないし、本当はサトミがどう思っているのかも分からない。後悔もあるのかもしれないけど。でも、この結果でよかったんだとあたしは思う。あのとき健吾君が現れていなかったらと思うとゾッとする。…猪熊さんはどう思いますか」
「そうですね。夫婦間のことは他人にはわからないし、これが借金だけの話であればまた別の結果があったかもしれないけど、暴力がね、あったから。お金で済まない話は難しい。私もこの結果が良かったんだと思ってます」
佐藤美穂は二人の目を見つめて話しを聞いていた。俯くことはなかった。
「私もそう思います。夫を失うというより美桜の父親を失うことが怖かった。でも、彼は美桜に手を上げた瞬間に父親ではなくなった。血縁だけでは父親になれない。…健吾君には感謝してもしきれない。彼が望まないとしてもなにか償わないと…。彼は私と美桜の恩人なの。なにもしないで平気な顔をして生きてはいけないよ…」
「わかるよ。わかるしそう思うのはサトミなら当然だと思う。でも、償うって言ったけど、それだけは言っちゃダメ。そう思われるのを健吾君は一番嫌がる。言ったらもう話が出来なくなるかもしれないし会えなくなっちゃうかもしれない。これから少しずつゆっくり健吾君と付き合いながら、どういう償い方ができるか考えていこうよ。もう急ぐ必要はないじゃない。ね、猪熊さん」
「そうですね。私も今回のことで健吾のことをわかっているようで実はなにもわかっていないのかもしれないと感じました。なのでどうすればいいとも言えません。…ひとつだけ間違いないのは健吾があなたを愛しているということです。それは私たちが思っている愛とは少しかたちが違うのかもしれませんが、でもそこだけは間違いのないところです。ただ、彼は愛されることを求めていない。自分が無条件に愛されるなんてことはないと信じているように見えます。…彼が母親がいながら、その愛を受けることができなかったことが関係しているのかもしれません。いや、わかりませんが。私も彼とはゆっくり付き合っていこうと、そう思ってます」
美穂は小さくため息を吐いた。
「そう…ですね。私のひとりよがりで健吾君が嫌がることをしたら意味がないですものね。健吾君の気持ちも考えないと」
「健吾君にもサトミの気持ちを考えて欲しいところだけどね。健吾君もひとりよがりと言えばひとりよがり」
「そんなっ。リンちゃん、ヒドいこと言わないで」
「怒んないで、一応、冗談よ」
「ははははははっ」
猪熊が声をあげて笑い、二人もつられて笑いだした。
確かにひとりよがりと言えなくもない。目的の見えない支援というのは怖いものだ。彼の目的は見返りのない愛という善意だが、億万長者でもない彼の善意の行動は一般的には理解しがたいものであろう。
陽が沈み外の景色が闇に沈んだ。舞い落ちる雪だけがちらちらと見える。
「さてと、そろそろポテトサラダを作り始めようかな」
美穂が腰を上げた。
「あ、手伝うよ。なにすればいい?」
「ありがとう、じゃあ昆布で出汁を取ってくれる?」
「オッケー」
「あぁ、土鍋とカセットコンロ、持ってきましたよ」
「ありがとうございます。テーブルに出していただけます?」
「はいはい」
――ずっと好きだったんだぜ。相変わらず綺麗だな。ホント好きだったんだぜ ついに言い出せなかったけど
その時、スマホの着うたが鳴り響いた。
「あ、健吾だ」
猪熊はポケットからスマホを取り出し画面をスライドした。
「おう、どうした?」
「えっ? あ、はい、そうですが」
「あぁ、はい、お世話になっております」
「えっ、はい、はい、はい?! え、ちょっと、え? 誰がですか?」
「えっ、健吾が? え、健吾がですか?!」
(つづく)
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