副業ギルド EPISOD ZERO

山本正純

第1話 本職~月の章~

 その日、黒いローブで身を纏うベージュ色の短髪少年はワクワクとした気持ちを胸に抱えたまま、熱せられた鉄の棒と向き合った。

 熱気が籠る刀鍛冶工房の暑さを全身で感じ取った少年の汗が鉄の棒の上に落ちる。その瞬間、一本の白い煙がゆらりと動いた。

 

「はぁ」と息を吐き出す少年、ムーン・ディライトが右手に持った銀色の小刀を鉄棒にこすりつける。

 その作業を何度も繰り返したのち、手を止めたムーンは、小刀を持ち上げ、天窓から差し込む日の光に照らした。


「ふぅ。これが最後の一本だったな」

 ボソっと呟くムーンが天井に向け、両手を伸ばす。一通りの作業を終わらせた彼は、耐火加工がされた黒のローブを脱ぎ、ラフな格好になる。黒い半そでシャツと薄手の紺色の長ズボンを着用した少年は、微かな涼しさを感じ取っていた。

 丁度その時、ムーンの背後にある扉が開く。六畳半程度の広さしかない刀鍛冶工房の中に、薄い緑色の髪を短く生やした中年男性が足を踏み入れた。

 薄手の紺色ローブを身に纏うその男の前髪は、両眉毛の間を覆うように伸ばされている。

 ムーンの前に現れた男は、口ひげに触れながら、彼の元へ歩みを進めた。

 その一方で、男の気配に気が付いたムーンは、背後を振り返りながら、男と向き合うように立つ。


「えっと、ペイドンさん。今、最後に一本が仕上がったところだ。これで予定通り道場へ納品できるはずだ」

「ご苦労。休憩しないかと呼びに来たんだが、もう仕事を終わらせていたとは……品質はあとで確認するとして、向かいの事務所に来い。丁度依頼人が来ている」


「依頼人? 駆け込みか?」

 首を捻るムーンの前でペイドン・ホレイシアが頷く。

「そうだ。詳しい依頼内容は聞いてないが、ムーン、お前に手伝ってもらう」

「ああ、分かった」と強く口にしたムーンがペイドンと共に、刀鍛冶工房から立ち去る。そうして、ふたりは向かいにある白い正方形の建物へ足を踏み入れた。



 左右の壁に埋め込まれた丸い窓が特徴的な事務所はとても狭く、余計なモノは何一つ置かれていない。

 部屋の中央にある木製の四角い机を挟むように、木の丸い椅子が四個置かれている。

 その椅子には、茶髪のショートボブの少女が座っていた。顔を上げた少女の顔を見たムーンの胸が跳ね上がる。垂れた茶色い目にピンク色のハートマークを浮かべたムーンが、すぐに彼女の右隣に立ち、右手を差し出す。


「俺はムーン・ディライトだ。ところで、姉ちゃんの名前はなんだ?」

「えっと、ニノ・クオルです」

 困惑の表情を浮かべるニノの前で、ムーンが両手を叩く。

「ニノかぁ。かわいい名前だな。困ったことがあるんなら、俺が……」

「ムーン。待て。勝手に話を進めるな!」


 ふたりの前の立つペイドンがムーンを睨みつける。それに対して、ムーンは背筋を伸ばし、雇い主の右隣に戻った。


 ムーンがニノと向き合うように椅子に座る。そんな彼の右隣には、ペイドンが腰を落とした。


「早速、依頼内容を教えてもらおうか?」

 真剣な表情になったペイドンが腕を組む。それに対して、ニノは机を右手の薬指で叩いた。すると、机の上に黒く染まった剣が浮かび上がった。その剣の長さは七十センチほどで、剣の先端が机から数センチ飛び出している。


「この剣を元に戻してほしいです。二日前、ルクリティアルの森に出没するグリーンキメラの討伐に失敗しました。その時に、グリーンキメラの体液を浴びてしまって、剣が黒化したんです。それ以来、紙すら斬れない剣になってしまいました」


 ニノの口から語られる事情を耳にしたペイドンが手元にある紙にメモを記す。


「グリーンキメラだったら、この術式だな」と呟いたペイドンは、ペンを机の上に置いてから自身の左手の薬指を立て、メモ紙の端に指を触れさせた。

 

 東に土を意味する下向きの三角形を横一本の線で分割した紋章。


 西に火を意味する上向きの三角形の紋章。


 北に投入を意味する魚座の紋章。


 南に焼却を意味する牡羊座の紋章。

 

 中央に鉄を意味する火星の紋章。


 左手の薬指を動かすと同時に、白く光る線が紙の上で伸び、合計五つの紋章が刻まれる。

 それらの記号を直径三センチの円で囲み、東西南北の紋章を一つの線で円状に繋ぐ。

 そうして出来上がったメモ紙の端に記された魔法陣が完成した後で、ペイドンは右手の薬指を立て、机を叩いた。黒い砂が敷き詰められた試験管が召喚され、その中身を魔法陣の上にこぼす。

 その瞬間、白く光っていた魔法陣が黒く染まった。それから、彼は隣にいるムーンの肩を叩く。


「ムーン。この魔法陣を左手で触れてから、ニノの剣を触ってみろ」

「ああ」と短く答えたムーンが指示通り、記された魔法陣に触れてから、机に置かれた剣に手を伸ばす。そして、彼は左手の人差し指を伸ばし、刀身に指を触れさせた。すると、ムーンの指先にドロっとした物質が付着する。


「なんだ? これ?」と驚くムーンの隣で、ペイドンが納得の表情を浮かべた。


「やっぱりな。ムーン。覚えておけ。それがグリーンキメラの体液だ。人間の目には、剣が黒く焦げたように見えるが、実際は空気に触れスライムみたいになった体液が剣全体をコーティングされているんだ。切れ味が落ちた原因はそれだな。診断術式を記した魔法陣に触れないと、原因究明は難しい。黒サビを剥がしても、原因をなんとかしない限り、半日後には紙も斬れないおもちゃの剣に逆戻り。厄介なヤツだ」


「それで、この剣は元に戻るんですか?」

 ニノが首を捻ると、ムーンが胸を張る。

「ニノ。良かったな。ウチの刀鍛冶工房に駆け込んで。この刀鍛冶工房の職人は一流だ。絶対に元通りの切れ味を取り戻してやる!」


「いや、それやるの俺だからな! お前は俺を手伝えばいい。ということで、ムーンにお使いを頼みたい。薬の館に作業に必要な薬品があるから取って来い。それが届き次第、薬品で刀に付着したキメラの体液を全て落とす。それと、ニノ。大体三時間くらいかかるから、それまで適当に時間を潰してきてほしい。ここで待ってても暇だろうからな。この契約書が引換券替わりだ!」


 ニノと向き合ったペイドンが彼女に契約書を渡す。彼女が契約書に目を通している間に、ペイドンはメモ紙を破り、新たな白い紙に文字を記した。

 

「はい。書けました。えっと、代金は……」

 ニノが首を捻りながら、契約書をペイドンに渡す。それに対して、ペイドンは首を縦に動かした。

「ああ、金は後払いだ。メンテナンス費も合わせて、三千ウルボロス用意してくれ」

「分かりました」と明るく答えたニノがムーンたちに頭を下げる。


 そんな彼女の顔をジッと見つめていたムーンが、視線を依頼人の少女に対して、右手の親指を立てる。


「任せてくれ。ここの刀鍛冶職人は超一流だ!」

「ありがとうございます。後ほど剣を受け取りに来ます!」


 笑顔でそう伝えた彼女は、刀鍛冶工房の事務所から立ち去った。扉が閉まるのと同時に、ペイドンがムーンの右肩を優しく叩き、必要な薬品が書かれた紙を見せる。


「この紙に書いてあるヤツを全部受け取れ。分かってると思うが、寄り道禁止だ。ここから目的地まで歩いて片道十分。準備に手間取るかもしれんが、三十分以内に戻ってこい」

「ああ、分かってる。貰うもん貰ったら、すぐに帰ってくるさ。まあ、ホレイシアに会えたら、あの話をするつもりだけどな。じゃあ、行ってくるぞ!」

 首を縦に振ったムーンが右目を瞑り、ペイドンから紙を受け取る。そして、彼は急ぎ足で事務所を飛び出した。







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