あさとほ

新名智/小説 野性時代

第1話

 物語の一行目は重要だ。そこでは往々にして作品のテーマがすでに書かれている。結末まで読んでから一行目に戻ってくると、そこで初めて隠された意味に気づく、ということもある。

 もし人生がひとつの物語だとしたら、最初の出来事というものには深い意味がなければならないことになる。ところがなかなかそういうことにはならない。理由は簡単で、人生は物語などではないからだ。状況が何十年も変わらないことはざらにあり、蛇足めいた描写や、意味をなさない表現が山ほど出てくる。

 わたしにとってもっとも古い記憶も、やはりそういうものだった。わたしと、わたしの双子の妹のあおが、並んでテレビを見ている。番組が具体的になんだったのかはわからない。アニメだったような気もするけど、もしかしたら人形劇だったかもしれない。とにかく、それは何かストーリーがあるものだったことだけはっきりと覚えている。両親はそばにおらず、わたしたちふたりだけで、熱心に画面を眺めていた。

 物語はクライマックスを乗り越え、終わりに向かっていく。主人公が最後に何かをしようとしたとき、母が部屋にばたばたと入ってきた。まだ見てたの、もう行くよと声をかけて、リモコンを手に取り、テレビを消した。

 その途端、青葉がわっと泣き出した。母が慌ててテレビをつけ直すが、もう番組は終わっている。母は謝ったけれど、青葉は泣きやまなかった。おしまいの肝心なところを見逃したせいで、すべてが台無しになった。青葉はそういう意味のことを言って泣いていた。

 どういうわけか、わたしは泣かなかった。当時のわたしは青葉よりませていたのかもしれない。青葉は母に無理やり抱えられ、車に乗せられた。それから車は、たぶん、病院だか保育園だかに向かって走り出した。

 まだべそをかいている青葉に、わたしはそっと話しかけた。あの話の最後はね、こうなんだよ。青葉が聞きそびれた主人公の最後の台詞せりふをわたしが口にすると、彼女は目を丸くした。涙はもう止まっている。どうしてわかったの、と言われたわたしは得意げに答える。

 だって、そういうお話なんだもの。

 実際、あの話の最後が、わたしの考えた通りになっていたのかはわからない。でも青葉はそれを信じて納得した。よくできたお話とはそういうものだと思う。自分が望む終わり方はあらかじめ決まっていて、ただその通りになるのを待っているのだ。

 そうであるならば、これからわたしがする話にも、わたし自身が望む終わり方というものが、最初から用意されているのかもしれない。わたしが自覚できていないだけで、わたしはもう、この話の一番美しい結末を知っている、そういうこともあるだろう。

 わたしと青葉は、長野県の小さな町で育った。そこは山に囲まれたいくつかの集落を足し合わせたような町で、もっともひらけたところには、りゆう川という大きな川が流れている。わたしたちの家があったのは、中心部を外れた集落のひとつだった。

 近所に住んでいるのはお年寄りばかりだったけれど、小学二年生のとき、男の子が引っ越してきた。きりあきという名前のその子は、わたしたちよりひとつ年下で、同じ小学校に通い始めた。

 わたしたちはふたりとも、彼のことを気に入っていた。素直でおとなしい性格だったし、きやしやな手足はまるで女の子みたいにきれいだったからだ。とくに青葉のほうが、明人のことをしきりに意識していた。運命の出会いだ、と彼女は言った。わたしは笑ってしまった。夢見がちな青葉に対して、わたしは小さい頃から妙に冷めていた。明人のことを王子様みたいに持ち上げる青葉のことがおかしくてたまらなかった。明人の両親は平凡な会社員だし、家は平屋の県営住宅で、とても王子様が住むところじゃない。

 それに、近所に住んでいるとはいえ、付き合いはまったくなかった。青葉は人見知りする性格だし、明人も活動的なほうじゃなかったから、ほとんど会話を交わすこともない。彼はわたしたちのことを、たまに通学路ですれ違う知らない上級生くらいにしか思っていなかったと思う。

 青葉はそのことを残念に思っていたようだが、だからといって何か行動を起こす様子もなかった。そうしているうちに一年経ち、二年経った。興味を失ったのかと思うと、そういうわけでもないらしい。あるとき、理由を教えてくれた。

「もし、わたしたちが運命で結ばれているなら、きっと何かが起きるから」

「何かって、何?」

「何かは何かだよ。なつだってよく言うじゃない。お話には必ず、そういう何かがあるんだって」

 パターンを見つけて、結末を当てたがるというわたしの悪癖を、その頃には青葉もよく承知していた。

「まずは、ふたりが特別になれるような事件が起きるんでしょ」

 それはそうだ。お話の最初のほうでヒロインはたいてい、曲がり角でかっこいい転校生とぶつかったり、借りた本の貸し出しカードで名前を見つけたり、なんやかんやあって彼とひとつ屋根の下で暮らすことになったりする。

「でもそれは、お話の中だけのことだよ。本当じゃないもの」

「一緒でしょう?」

「あのねえ」わたしはわざと教え諭すような口ぶりで言った。「お話は、作者の人が考えて、どうするか決めてるの。嫌なことがあったら、そのあとにはいいことが起きるように、って。でも現実の世界にはそんな人いないから、何が起きるかなんてわからないんだよ」

 小学四年生にしては気の利いた理屈だった。それでも、青葉は理解していないのか、する気がないのか、うっすら笑ってわたしの顔を見つめていた。

「何?」

「だったらね、お話にしちゃえばいいんだよ。自分が作者になって、何が起きるか決めちゃえばいいの」

「そんなこと無理だよ」

「わたしはもう決めちゃったよ。わたしと明人くんとの間には、もうすぐ素敵なことが起きて……それで、特別なふたりになるんだ、って」

 彼女の言っていることはめちゃくちゃだったけど、そのあとで起きたことのめちゃくちゃさと比べたら、これはまだなんでもなかった。あるいは、彼女の言うことは本当だったのかもしれない。人間にはこういうふうに、自分の人生をよくできた物語のようにしてしまう力が、本当にあるのかもしれない。

 こんな話をしてすぐ、青葉は明人の自転車にはねられた。

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