雪山サバイバル十四日目(後半)

ごうごうと天を覆う火柱と、黒煙を仰ぎ、私は立ち尽くしていた。


非日常すぎる光景。


映画の中の世界じゃないとすると、ここは地獄なのか。


頭の中は小学生の頃に使っていた絵の具の、筆洗いの中身みたいにぐちゃぐちゃだ。


恐怖からか、焼け付いた空気を吸い込んだからか、異常に乾いた口からは声も出なくなっていた。


そんなだから私は、炎の海から飛び出した竜と、クロとお兄さんが必死に戦っているのを見ているだけだった。


彼等が怪我をして、吹き飛ばされた。立ち上がった竜に、今にも踏みつけられようとしている。


お兄さんが殺される?


その時、私の中の何かが、ぱんと弾けた。


「おらあー!竜こっちだ!」


気がつくと、そう叫んで石を投げつけていた。なんて恐ろしい事を!


大怪我で、もう竜の屍ドラゴンゾンビのような頭部がこちらを見る。

その潰れた眼球と、目があった気がする。


やばい、やばい!


ザックを捨てて、ピッケルだけを手に持ち、一目散に走り出した。



……



「はぁ、はぁ、嘘でしょっ!」


全力疾走で逃げるが、その後ろをよろめきながらも駆けてくる竜。まるで諦める気は無いみたいだ。


全身に大火傷を負い、両目を失い、脚を負傷してなおも恐ろしい速度で追いかけてくる。

ガチンと歯が打ち鳴らされる音が、背後から聞こえた。


こんなの完全に狂ってる。


雪の斜面を、もはや滑るように走り抜けた。人生でこれほど急いで走ったのは初めてだ。

上手く引き離したかと思えば、あいつは大きな一歩でグンと距離を詰めてくる。


「くそーー!」


走る!走る!


しかし、長い下り坂の先に、崖があるのが見えた。振り返るまでもなく分かる、竜はすぐ後ろだ。


「ああああーっ!」


もう一か八かだ。崖に向かって走りこんで、直前で私だけストップして竜を転落させる作戦でいこう!


意図せずチキンレースが始まった。


ばっと雪兎のように駆けてゆく。

その後ろを追う黒い竜、追いつかれるとおしまいの命がけの鬼ごっこだ。


私の足はしっかりと雪を捉えていたはずだった。しかし、限界を超えたスピードで走っていた為か、ずるりと足を滑らせた。


「あっ!」


と思った時にはもう遅い、どんと尻餅をついた姿勢のまま、ざざざと斜面を滑った。


すごいスピードでグングン滑っていくが、このままだと崖下まで紐無しバンジージャンプをする羽目になる。


止まらないと!


「とまれえええっー!」


うつ伏せに体勢を変えて、両手で弾かれぬよう、全体重をかけてピッケルを雪面に打ち込んだ。


ザアアアアアッー!


ピッケルのピックが悲鳴を上げながら、勢いを殺す。


ザザアアアッ!


私の体はぴたりと、崖のすぐ手前で止まった。反射的に足を振り上げる。


「ふっ!」


すぐさまアイゼンを雪面に蹴り込み、これ以上滑り落ちないように確保した。


これでっ!


「た、助かっ……」


次の瞬間。


ふっ、と視界が暗くなる。


竜の影だ、私の頭上を飛ぶように越えていった。振り向くと、あいつは勢いそのままに崖に飛び込んで……


もはや目も見えておらず、崖も分からなかったんだろう。ガァァと声を上げながら、視界から消えて行った。


しばらく後にズドン!と岩にぶつかる音と振動を感じた。


(やった?)


ゆっくりと崖下を確認する。

土埃と落石で、よく見えないが……。


じっと目を凝らすと、そこには竜がピクリとも動かずに横たわっていた。不死身とも思えたそれだが、ついにやり遂げたんだ。


「はぁあー、やった」


安心した瞬間、体から力が抜けて座り込んだ。

心臓がどっくどっくと大きな音を鳴らしているのが分かる、生きてる証だ。


お兄さんと、クロは無事かな。


鼓動が落ち着くまで少し休んだ後、ゆっくりと立ち上がり、彼らの元へと歩き始めた。



……



どうやら二人(一人と一匹だが)とも無事のようだ。出血しているクロの脚に、布のようなモノを巻いて、包帯の代わりにしているみたいだった。


ほっと胸を撫で下ろす。


「大丈夫だった!?」


お兄さんが声をかけてくれた。煤で顔が真っ黒になり、服は破れている。

私より遥かにボロボロになっているのに、私の心配をしてくれているようだ。


「はいっ!」


笑顔で返事をする。キョロキョロと辺りを伺っているので、事の顛末を説明する。


「竜は、崖から落ちて死にました」


クロがこちらをちらりと見て、死んだと聞くとふいっと顔を伏せてしまった。賢い子だし、日本語が分かるのかな。


「本当に!?……はぁぁー」


暴君が居なくなった事を知ると、彼はぺたりとその場にしゃがみ込んでしまった。


「終わったあー」


「終わりましたね」


二人で太陽の方を見る。まだお昼過ぎだろうか、今日という一日は本当に長い気がするけれど。


しばらくそうしていると、彼が口を開いた。


「さぁ、家に帰ろうか!」


「はいっ!」

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