第16話 『一蓮托生』の裏話 その4 履き物と服の話など
第1話から最終話まで、『一蓮托生』では履き物を巡るエピソードが多かった。姉弟の暮らし向きを語るのに欠かせないアイテムだったため、かなり調査をした。
まず第1話、かつらが
●靴の値段の歴史ーー『物価の文化史事典』を読んで
http://shinnosukejedi.blog.fc2.com/blog-entry-265.html
明治・大正・昭和・平成・令和 値段史
https://coin-walk.site/J077.htm
ズック靴そのものの値段は分からなかったが、革靴や婦人靴の値段を参考に100円とした。八馬は「サービス」と言っていたが、ヤミ市での値段なので、多少高くても仕方ないだろう。
康史郎の靴のサイズ「
日本の履物のサイズ「文}
https://ameblo.jp/goburido/entry-11072628395.html
康史郎が新しいズック靴を片方流された後、かつらがヤミ市で片方だけのズック靴を探すシーンがあるが、片方だけの靴が売られている写真をヤミ市の調査中に見つけ、印象に残ったのでエピソードに取り入れた。
かつらが1話から履いている歯のすり減った下駄。東京大空襲で逃げる時は靴を履いていたが、終戦時には底がぬけてしまい、それから配給でなんとか手に入れた下駄をずっと履いているという裏設定だった。
かつらは最終話の花火大会で
隆が靴を買う時に「衣料切符」の話をしたが、昭和25年までこの制度は生きていた。空襲の被災者や引き揚げ者には援助用に専用の切符が配られた。被災したかつら達も支給されたと思われるが、物資不足の折、相当苦労しただろう。
衣料切符点数表
https://www.library.pref.nara.jp/event/booklist/W_2006_01/hitosyo060410.html
かつらの服として設定していたのは、戦時中から着ている寝間着兼用のもんぺと外出用のもんぺ2着、コートとカーディガンも戦時中からのもの、スカートは戦後手に入れた古着を仕立て直したもの、半袖と長袖のブラウス1着ずつは衣料切符で入手、下着や靴下も最低限の数しか持っていなかった。割烹着と三角巾は縫製工場の仕事着として使用、「まつり」では三角巾と台所仕事用の綿の小さな前掛けをつけているという設定だった。
一方、康史郎は学童疎開帰りで、上の2人の兄が戦後すぐ亡くなったこともあり、次兄の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます