第9話 地獄 in the room

「ははっ……ははははははははっ! 会いに来たよっ 里紗ちゃん開けてよっ!」


 ドンドンと窓ガラスを叩く音。


「きゃあああああっ!」



 カーテンの向こうの人影が見える……スリムで、長身。

 見覚えがある、というか……いつも盗み見るようにこっそり見ているシルエット。

 いつも教室や、グラウンドで、あたしが遠巻きに見ていた身体のライン。



「里紗ちゃんっ! 俺だよ俺っ! はははははっ……あはははははっ!」


「ますじま……くん? 増島くんなの……?」


 背後からは、ドアをミシミシいわせながら叩き、蹴り、体当たりし続ける音。


「里紗ちゃーんっ! ほらっ! シラルスがあるわよっ! いっしょに食べましょっ! ……あはっ……あははははっ! 家族みんなで食べましょうよっ!」


「そうだ里紗っ! ぶは、ぶははははっ! シラルスと一緒にシノソー飲もうっ! すっごく旨いぞっ! たまんないぞっ!」


「マジだよおねーちゃんっ! ママが料理したんだからっ! いっしょにシノソー飲みながら、シラルス食べようようっ! きゃはっ……きゃはははっ!」



 バキン。



 いやな音がした。


 見ると、ドアに縦のヒビがはいっていた。

 稲妻みたいな形のヒビ。

 ドアはいまにも真っ二つに裂けそうで、ミシミシ言っている。



 スマホからはまだ“社長”と“副社長”のヒステリックな笑い声が聞こえた。



「“絶叫マシンボーイ”、いま彼女の家に突撃してんのっ? ひょっとして、窓から押し入ろうとしてるっ? ……いやー大胆っ! 告白・オン・ジ・エアーだねっ! ひゃーっははははっ!」


「青春っ! これぞ青春っ! あはははっ! ぎゃはははははっ! ……リサちゃんだっけ? ……いい夏の思い出になるねえっ! ひゃはははははっ!」



 スタジオのマイクの周りには、前よりもっとたくさんの人が集まっているようだ。


 笑い声。机をたたく音。何かが割れる音。

 ドスン、ドスンと何かと何かがぶつかる音。

 ヒュー、ヒュー、と息苦しそうな呼吸の音。

 ゴボゴボ、ゴボゴボと水道管に何かが詰まったときのような音。



「ヤムヤムヨー!」


「ヤムヤムヨー!」



 口々にマイクの向こうの人々が叫んだ。


 窓を叩く音はさらに大きくなる。

 ガツン、ガツン、とスマホで窓を叩いているようだ。



「里紗ちゃんっ! 好きだっ! 前から、クラスの誰より好きだったんだって! ホントだよっ! ……ほかの女子なんて俺、眼中になかったっ! はははははっ! あはははははははっ! ……ク、ク、クロットンしたいほど大好きだっ!」


「やめてえっ! お願いだからっ! 増島くんっ!」



 ドアと窓の中間、ちょうど部屋の真ん中に、あたしは座りこんだ。

 耳を覆う。

 もちろん、声も音も止まない。



 ラジオの放送が、急に途切れた。



 明らかに動揺を隠しきれない様子で、ニュースキャスターがまじめに話し始める。



「番組の途中ですがここで政府からの緊急速報です。皆さん、落ち着いて行動してください。これは政府からの緊急速報です。ただいま各地で起きている異常事態について、政府は原因を調査中です。自宅におられる方は、自宅から出ないでください。それ以外の場所におられる方は、建物から出ないでください。できれば鍵のかかる部屋に身を隠し、自分の安全を確保してください……」



 遅いよ。

 遅すぎるよ。


 で、あたしたち……とにかくあたしは今、どうすればいいの?


 この状況でどうやって、自分の安全を確保するの?



「家族であっても、友人であっても、言動に異常が見られる場合は近づかないでください。ただいま、警察と消防が事態の収拾にあたっています。避難できる場所、安全を確保できる場所の準備が整い、避難の情報が揃い次第、順次お知らせする予定です。くり返します。家族であっても、友人であっても、言動に異常、とくに普段見られないような異常がある場合は、近づかないでください。できるだけ距離を取り、自分の安全を確保してください。さもないとクロットンされる危険があります……」



 そこで、ぶつん、と音がしてラジオは切れた。



「開けなさい里紗っ!」

「里紗っ! 開けろっぶははははっ!」

「おねーちゃんっ! 開けてってばっ!」



 ドスン、ドスン、ドスン

 ギシシ、ミシシ……


 いまや、ドアは3人から体当たりされているらしい。



 と、突然、あたしのスマホから着信音が鳴った。



「ひっ!」


 窓の外を見る……窓の外に立っている影が、スマホを耳に当てていた。

 スマホの画面から漏れる光が、カーテンの向こうでぼうっと光っている。


 あたしは恐る恐る……スマホに手を伸ばした。


 画面を見る。


 表示には、あたしが勝手に登録した名前があった。



『好きなひと』



 校外学習で同じ班になったとき、どさくさに紛れて増島くんのアドレスを登録していた。

 今日までその番号から電話がかかってくることも、かけたこともなかったけど。


 もうどうしていいかわからない。自分がどうしたいのかもわからない。


 スマホに手を伸ばして……着信ボタンを押した。




「もしもし……」


「……もしもし……里紗ちゃん? ……俺、増島」



 増島くん……いま、あたしの部屋の窓の外にいる増島くんの声だ。

 彼はいま、ガラスを叩いていない。



「増島くん……お願い、お願いだから帰って……」


「しっ……落ち着いて」



 さっきまでの笑い声と、騒がしい声じゃない。

 いつもの増島くんの声だ。

 たまにあたしに話しかけてくれる、増島くんの声だ。



「ま、増島くん? ……平気なの? 大丈夫なの?」


「みんなおかしくなっちゃってる……俺の家族も、誰もかれも……町中、みんなこの調子だから……気づかれないようにみんなに調子を合わせてたんだ……里紗ちゃんは、まだ大丈夫?」



 あたしの声は震えていた。

 でも、いつの間にか、頬に涙が伝っていた。



「なにが起こってるの? どうなっちゃってるの?」


「俺にもわかんないよ……でも、おかしくなったふりをしてたら、気づかれないらしい……だから里紗ちゃん、俺と一緒に逃げよう」



 あたしは窓に駆け寄っていた。



「……おかしくなったふりをしたら、大丈夫なの?」


「だから俺もそうしてたんだ……でも、おかしくなってないのがバレるとヤバい。だから里紗ちゃんも、おかしいふりをして逃げよう……俺と一緒に」



 カーテンの向こうの増島くんのシルエット。

 スマホの光が……なぜか懐かしく、とてもいとおしかった。



「増島くんっ!」



 あたしは、カーテンを開けた。



「なー----------んてね! プノコヒー!」



 窓の外で、スマホの光に照らし出されていたのは……確かに増島くんの顔だった。



 真っ赤に充血した目を飛び出しそうなほど見開き、黒目は真っ黒で、歯をむき出していて、唇からは舌がだらりと伸び、よだれが垂れていて、顎を伝い、Tシャツにしみこんでいたけれど……それ以外は確かに増島くんだ。



 あたしが知っている増島くんではないけれど。


 

 悲鳴をあげる前に、窓ガラスが叩き割られる。

 

 と、同時に……ついに部屋のドアが外からバリン、と音を立てて破られた。



「ヤムヤムヨー!」



 背後のママ、パパ、妹、目の前の増島くん……だった人たちが、ほぼ同時に叫んだ。


※次回最終回

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