第8話 笑顔

 西宮美優





 矢島が倒れた原因は寝不足だった。染野くんに聞くと、ここ最近は徹夜で作業をすることが多かったらしい。

 私は矢島が倒れてしまった責任を感じ、養護教諭である坂本先生の部屋を訪れていた。


「ありがとうございます。失礼しました」


 そう言って部屋から出る。外では、壁に寄りかかる恵美と、落ち着かない様子の由里香が、私を待っていた。ちなみに、2人には矢島が倒れた理由をちゃんと説明してある。


「あいつの様子はどんな感じ?」


「まだ目…覚ましてなかった。相当疲弊してるみたい」


「うぅ…、私がもっと手伝っていれば…」


 由里香の紅葉色の大きな瞳が潤んでおり、今にも泣き出しそうだ。美術部に所属している彼女は、しおり作りを手伝っていたらしい。手伝いと言っても、彼女曰く絵を数枚書いた程度で、それ以外は何もしていないのだとか。

 そんなことを言ったら、私は実行委員なのに何も手伝っていない。後悔と罪悪感で胸が苦しく、私は無意識に手を強く握り締めていた。

 

「あんたが泣くことないでしょうが。うちなんて何もしてないんだから」


「…恵美はこの件に関係ないでしょ? 一番責任があるのは私よーーー」


「ーーーいや、そんなことないよ」


 私の言葉を遮るように、坂本先生の部屋からそんな声が聞こえた。

 ーーーーガチャ。声の後にドアが開くと、そこから出てきたのは矢島だった。


「ごめん、全部終わったんだって?」


「…うん、矢島は大丈夫なの?」


「まぁ大丈夫だろ、これくらい」


 そうは言っているものの、眼鏡の奥にある目には活力が無く、随分と疲れている様子だ。矢島のことを深く知らない私でさえ、それだけはわかる。もしかすると、私たちに心配をかけないよう無理をしているのかも知れない。


「あんた、今回倒れた原因は田中から嫌がらせを受けてたからでしょ? わかってんの?」


 唐突に恵美がそんなことを言った。驚いた由里香が、慌てた様子で誤魔化そうとしている。


「えっ、恵美ちゃん⁉︎ あ、あのね、矢島くん。これは、そのーーー」


「ーーーわかってるよ」


 またも矢島は、由里香の言葉を遮って答えた。恵美は矢島の解答を聞くと、寄りかかっていた壁から離れて、矢島と向かい合う。2人が向かい合うと、私の目には、矢島よりも小さい筈の恵美がとても大きく映った。それほど恵美が怒っている、ということなのだろうか。


「じゃあ、何で誰にも言わないの? そうやって抱え込んでるからこうなるんでしょ。せめて誰かに手伝ってもらうとかすれば良いじゃん」


「嫌がらせの対象が俺だけとは限らないだろ。俺と関わるせいで、誰かが嫌がらせを受けるのは嫌なんだ」


 確かに恵美の言うことは正しいけれど、矢島の言うことだってわかる。

 でも、そもそも私や他の実行委員が悪いのだ。

 仕事なんて自分たちで見つければ良いだけのこと。それなのに、「言われていないから」「矢島がやってるから」を理由にして、何もしなかった私たちが悪い。


「恵美ちゃん…。矢島くんだって疲れてるんだし、そんな強く言わなくても…」


 由里香はそう言っているが、恵美は聞く耳を持っていない。今回の件に一番関係のないはずなのに、恵美が矢島に対して一番怒っていた。その理由が、私には分からなかった。


「恵美…そこら辺でーーーー」


「いや、やっぱり今回は俺が悪かった。ごめん」


 ーーーーやめなよ。と私が言う前に、矢島が頭を下げる。彼の突然の行動によって、私たちは疎か、あの恵美でさえ少しの間硬直してしまった。

 いち早く硬直の溶けた恵美が、何とか言葉を返す。


「な、何がよ…」


「俺に…誰かを頼る勇気さえあれば、西宮や田村さんを傷付ける事も、石神さんを怒らせることもなかった。だから、ごめん」


「わっ、わかってるならいいのよ」


 矢島の素直な謝罪を聴いて、またもや恵美が狼狽えていた。それはあまりにも珍しい光景で、私と由里香はお互いの顔を見合わせて笑う。


「…それはそうと、石神って意外に優しいんだな」


「い、意外って何よ⁉︎」


「ははっ、悪い悪い」


 矢島は少年のような無邪気な笑顔を見せる。そう言えば、私は矢島が笑っている姿を初めて見た。それもそうか、そんなに関わることもなかったんだし。

 でも、まさか恵美が私たちのために怒っていたとは…。後でちゃんと感謝を伝えよう、恵美と…それから矢島にも。


「なっ…何笑ってんのよ、このもっさり頭! あんたのそのダサい髪の毛、切ったほうがいいわよ‼︎」


「あぁ…それもそうだな、検討しとくよ。石神さんこそ、今の髪型も良いけど短い方が可愛いと思うよ。それじゃ、おやすみ」


 そう言って矢島は、自分の部屋へと戻って行った。

 その後、私は恵美に感謝を伝えようとしたのだけれど、恵美はずっと「やっ、矢島のやつ…なんなのよぉ」と呟いていて、伝えようにも伝えることができなかった。




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