第5話 タクシーの中で
(気不味い…)
美優は冬夜が呼んでくれたタクシーに乗りながら、そう思っていた。
隣には、美優が毛嫌いしていたはずの男子生徒がいる。しかも、その生徒に助けられたとなれば、気不味く感じるのは当然のことだ。
それに、美優は男が嫌いだった。外見が良くて男ウケが良い。そのため、男女関係による人間関係のもつれが原因で、あまり男自体を好きになれなかったのだ。
しかし助けてもらったのに、お礼も何も言わないのはいけない。そう考えた美優は、お礼を言おうと冬夜の横顔をチラリと見た。
改めて見ると、決して格好良くはないが悪くはない…というのが、美優の冬夜に対する評価だった。ただ、ダサい眼鏡と長い髪の毛のせいで、冬夜の顔をはっきりと見ることは出来ていない。
「えぇっと…。あんた…じゃなくって、矢島も…その、ジャンケンに負けたの?」
「まぁそんなところ」
「…そうなんだ」
早く感謝を伝えなければいけないのに、何故か美優はその言葉を言えずにいた。
(やばい、なんか話さなきゃ)
うまく会話が出来ず焦る中、美優はある質問をすることにした。それは、鈴木が言っていた実行委員の仕事についてである。
「あのさ…今更なんだけど、実行委員の仕事ってもう無いの?」
「いや、まだあるよ」
時々、街灯によって照らされる冬夜の顔は、少しだけ強張っている。まだ仕事がある、という事実が、彼の心を隙間なく圧迫し続けているのだ。
「そっか。終わりそう?」
「順調…とは言えないかな。なんせ人手が足りない」
(人手が足りないって…どういうこと?)
そう思わずにはいられなかった。
美優たちの学年には、クラスが5組ある。それぞれのクラスに実行委員が2名居るので、仮に美優が仕事をしていなくても、冬夜を含めて9人の人手があるはずなのだ。
「何で足りないの?」
「1組と2組以外は田中先生の説教食らってる。2組はそもそも手伝いに来てない」
「…説教?」
「タクシー会社に提出するはずの行動表に不備があって、スムーズに行動できなかったって」
「…それ、私たちやったっけ?」
「俺がやっといたよ」
そこで美優は、鈴木が言っていたある言葉を思い出した。
『何かしたも何も、しおりの作成とか、タクシー会社との連絡とか、お前がやったんだろ? まさか、あの矢島がやる訳ないしな』
(あれはそういうことだったんだ…)
「あのさ、もしかしてしおりの作成って…」
「それもやっておいたよ。流石に1人じゃ無理だから、美術部と新聞部、あと裕樹に手伝ってもらった。まぁ問題はなかったな」
美優は冬夜の話を聞いて、今までの自分の言動が急に恥ずかしくなるのを感じた。冬夜に対して「何もしていない使えない奴」という評価をしていたが、それは間違いだったのだ。
本当に何もしていない、使えない奴は美優自身だったのである。
(どうしよう…。私、矢島に悪いことしてた)
そう思った美優は、少しでも挽回しようと思い、これからの仕事は手伝うことに決めた。そうとなれば、冬夜にそのことを伝えなければならない。
「矢島…」
「ん?」
「仕事…、まだ残ってるんでしょ? 手伝うよ」
「良いよ。俺がやるって言ったんだから。それに足痛めてるんだし、休みなよ」
あっさりと断られてしまった。しかし、美優もここで引き下がるわけにはいかない。彼女には、これ以上彼に負担をかけるという選択肢はないのだ。
「で、でもさ、人手が足りないんでしょ? だったら、今はそんなこと言ってる場合じゃないじゃん」
「そうだけど…俺さ、西宮には感謝してるんだ」
突然の感謝に、美優は言葉を詰まらせた。冬夜が素直に感謝をしたからか、気恥ずかしくなり、少しずつ体温が上がるのを感じていた。
(矢島が私に感謝してる? なんで?)
しばらく沈黙が流れると、冬夜は静かに口を開いた。
「俺は…その、人とコミニュケーションをとるのが苦手なんだ。だから、俺が西宮に「ミーティングには出たくない」って言ったとき、特に理由を聞かずに「わかった」って言ってくれただろ? あれ、俺的にはすげぇ助かったんだ」
そう言って冬夜は、普段あまり見せることのない笑顔を美優に向ける。
ただ、その笑顔は無理をしていて、全然うまく笑えていなかった。美優はそんな彼の顔を直視し出来ず、気まずさから窓の外に視線を逸らす。
冬夜はそんな彼女に「気を遣ってくれたんだよな。本当に、ありがとう」と言葉を続けた。
(違う…そんなんじゃないんだよ…)
美優は心の中で、彼の言葉を真っ向から否定する。確かに美優はあの時、特に理由も聞かずに矢島の申し出を受け入れた。
それは、美優が冬夜と一緒にいる時間を極力減らしたかったからであり、彼が言っているような出来た理由ではない。
「だからさ、西宮には手伝ってもらわなくても…」
と、冬夜が言いかけた時、美優は少し強引にその言葉を遮った。
「別に感謝しなくて良いし。私、矢島の言葉に甘えて、少し楽しすぎてた…。それに、さっきも助けて貰ったし。だから、手伝わせて。お願い」
「いや、別に大したことしたわけじゃないし…。それに足だって…」
「足は大丈夫だから。お願い、矢島。手伝わせてよ…。お願いだから」
そう言った彼女の声は、微かに震えていた。しかし、冬夜がそれに気付くことは無い。彼はしばらく間を空けて、「わかった。ありがとう」と伝えた。
美優の普段見せない真剣な瞳を見て、断りきれないと悟ったのだ。
これが、初めて2人の距離感が少しだけ縮まった、その瞬間だった。
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