世界の命運はお父さんの観察力と家族サービスにかかっている。

枝之トナナ

きょうはたのしいなつまつりのひ

デーヴィドは田舎町シーリアの外れに住む木こりである。

十八歳の時に両親の元から独り立ちし、二十五歳の時に幼なじみの少女と結婚し、その三年後に男女の双子を設けてからは、貧しいながらもそれなりに幸せな日々を送っている。

平々凡々な、何の変哲もない、三十二歳の木こりである。


そんな彼に頭を下げているのは、神々しいまでに見目麗しい女性。

それに、磨き抜かれた白銀の鎧に身を包んだ戦士。

さらに、黄金の鱗を持つ巨大な竜。

おまけに、頭蓋骨をふんだんにあしらった黒い衣装を身に着け、捻じれた角を天へと向けた、見るからに禍々しい男。


ぽかんと口を開けて立ちすくむデーヴィドの前で、彼らはさらに腰を曲げ、ついでに膝を曲げ、両手を地面につけた。

そうやって全員が全員とも見事な土下座フォームを取った上で、同時に叫んだのである。


「「「「お願いします、お宅のお子さんをなんとかしてください!」」」」



何が起きた?

どうしてこうなった?

繰り出された言葉に混乱しながらも、デーヴィドは必死で記憶の糸を辿る。


ついさっき――

ほんの数刻前まで、普段通りの朝だった。

妻に起こされ、家族全員でいつもと同じ朝食を平らげ、その席で子供たちから遊びに連れて行ってほしいとせがまれた――


(……ああ、いや、そういえば夏祭りを見たいと言われたような気がする)


年に一度、街で夏祭りを開くということはデーヴィドも知っている。

街の中央にある神殿で、祀っている女神に感謝を捧げるため、舞や音楽を奉納する……らしい。

らしい、というのは、彼自身は祭りに参加したことがなかったからだ。

木こりの仕事が忙しい、というのもあるが……

それ以上に、デーヴィドは騒がしい場所が苦手だった。

我が子のはしゃぎ声程度であれば気にならないが、騒めきの途切れない人込みはどうにも落ち着かなくなるのだ。


(――って、そんなことはどうでもいい。

 問題はこの状況だ、この状況。

 俺はただ、リンドベルとケインの奴に声をかけられただけだ)


そうだ。食事を終え仕事に出かけようとした矢先、二人の男が家にやってきた。

リンドベル=ウィルムウィンドと、ケイン=ロックウェル。

片や国の法に仕え街を守る保安官。片や女神に仕え神殿と信者を守る聖騎士。

それぞれ仕えるものこそ違うが街の治安維持を仕事としていて、仕えるものが違うが故にあまり仲は良くない。

だからこそ、戸口に二人が揃って立っていたのを見た時は驚いたものだった。


『おはようデーヴィド。悪いが急ぎの用件があるんだよね』

『申し訳ないが君の協力が必要だ。どうか一緒に来ていただきたい』


お願い、と表現するには、二人の表情は険しすぎた。

デーヴィドは断ることもできず、戸惑ったまま神殿に連れてこられ、妙に静まり返った聖堂内で女神像の正面に立たされ。

まばゆい光が視界を埋め尽くしたかと思うと、風景が果てしない空と雲しかない空間に変わり――


そうして、今に至る。



「本当にすまないと思っている。だが我々の力だけではどうにもならないのだ」


見たこともないほどに白い輝きを放つ鎧を着た騎士――ケインがため息と共に顔を上げる。


「本当は僕達が何とかしなきゃいけないんだろうけど、どうやっても上手く行かないんだよ」


首を振る黄金竜の口から、リンドベルの声が発せられる。


「ごめんなさい、私の力ではどうにもならなかったんですぅ~!」


ずるずると鼻を啜りながら泣きわめき始めた女性は、当の女神像と全く同じ顔をしていて。


「まさかこんなことになるとは思わなかった。それなりに反省している」


唯一正体不明の角男が、目を泳がせ指先と声音を震わせ額に汗を伝わせながら、それでも精一杯虚勢を張るかのように腕を組みながら呟く。


「ええと」

繰り返すが、デーヴィドは木こりである。

森や山の歩き方、通り雨をしのげるような洞窟や遺跡がある場所、魔物の撃退法――そういった仕事に関わる知識を頼られるならばまだわかる、が。

子供を止めてくれ、という用件を、こんな謎の空間で仰々しい連中に頼まれる覚えはない。

そもそも四歳になったばかりの子供二人が、一体何をやらかしたというのだ?

困惑するデーヴィドの表情を読み取ったのか、リンドベルらしき竜がしおしおと項垂れながら口を開いた。


「まあ、急に言われても君も困るよねぇ……

 そもそも君、夏祭りに来たことなかったけど、祭りの由来って知ってる?」

「いいや」


首を横に振ると、女性が「ふええ」と涙を浮かべた。

その様子を見て、どういうわけか角男は「やーい堕女神」と子供じみた茶々を飛ばしたが、ケインと竜に睨まれると「ひっ!」と実を小さくした。

(子供かな?)と呆れ返るデーヴィドに、竜は咳払いしてから言葉を続ける。


「ええっとね。シーリアの祭りは"魔王の封印"を守るためのものなんだ。

 ほら、人間ってお祭りがあるとテンションが上がるだろ?

 それで明るい感情を大量に生み出して、神官が祈りを捧げて"時の女神"の力に変えることで、封印を強化してたんだ」


「魔王……? 時の女神……?」


遠い昔、おとぎ話か何かで聞いたことがあるような、ないような。

デーヴィドが首を傾げると、ケインがため息混じりに説明を続ける。


「私とリンドベルは、数百年前に女神と共に戦い、そこの馬鹿みたいな魔王を封じた。

 そして封印が解けぬよう、市井に紛れ人々の暮らしを見守り続けていた。

 だが――想定外の事態が起きてしまった。

 君の子供達が、人目を盗んで神殿に入り込み、封印に触れてしまったんだ」


"馬鹿みたいな魔王"と指さされた角男は、「言い方……」と眉を潜めたが、どういうわけかそれ以上反論せずに後ろ髪を掻いた。

そして目をあらぬ方向に逸らしながら、淡々と話し出す。


「はーあ……そこの口が悪い腰巾着野郎と堕女神が仕組んだ封印は、かなり特殊なものでね。

 封印内の時間を知覚できないほど短い間隔で巻き戻し続けることで、内部にいる者の活動を封じ込めるというものだ。

 仮に何かしようと思い立つことができてもその瞬間リセットされるから記憶も引き継げず、無限ループに陥る――ちゃんと動いたなら凶悪な仕掛けだよ。

 ちゃんと動いたなら、の話だが」


この語り口だと動かなかったんだろうなあ、とデーヴィドが察するまでもなく、時の女神当人と思われる女性がべそべそと目をこする。


「ふええええ……し、仕方ないじゃないですか!

 初めて作った封印だったんですから、試したことなんてないですもの!」

「いや試せよ。一か八かでやるなよ。

 おかげで五百七十二年もの間、世界の時流から切り離されただけの空間で独りぼっち生活を楽しむ羽目になったんだからな。

 全く、これじゃあそこらにある普通の封印と何ら変わりゃしないだろうが」

「ふえええん……」


角男は恨み言めいた愚痴をねちねちと言い立てていたが、リンドベルとケインの冷たい視線に気がついたのだろう。

ごほん、と大きく咳払いしてから、精一杯の威厳を出そうとするかのように胸を張り、デーヴィドに向き直る。


「ああ、もう察してるだろうが私が封印された側の魔王だよ。

 空間と虚無を司るもの、名をヴォイデメアス。

 で、そっちのどうしようもない堕女神が時と未来を司るもの、クロネアリアス。

 別に覚えなくてもいいがね」


今更ながらに恰好をつけ始めた魔王の言葉を、ケインが遮る。


「本当に覚えない方がいいぞ。

 神や魔王の真名というものは、それ自体に力が宿っているのだ。

 口にすればその存在の一端を呼び出してしまう――君の子供たちのようにな」

「なんだって……?!」


突然触れられた我が子の話にデーヴィドが大声を上げる。

その音量に驚いたのか、女神が「ふええええええ!」と泣き叫んだ。

まるで幼子だ。いいや、むしろ四歳の子供の方が余程肝が据わっているのではなかろうか。

デーヴィドの胸中を察したのかケインが目を逸らし、リンドベルが天を仰ぐ中、魔王ヴォイデメアスが仕方ないと言わんばかりに口を開く。


「この堕女神は、どういうわけか私の真名を古い神殿に残していたんだ。

 で、君の子供たちが森の中でそれを見つけて、うっかり読んだというわけさ。

 おかげで私の精神は封印から逃れ、現世に舞い戻ることができた――できてしまった」


「なんで残しちゃったんですかね」とリンドベルが呟く。

女神は相変わらずぴぃぴぃと泣きながら、やっぱり子供のように喚きたてた。


「ふえええええん、だ、だって!

 誰からも忘れられちゃうのは、それはそれで寂しいじゃないですか!

 そりゃあお兄ちゃんはいっぱいやっちゃいけないことしたし、あんなことしちゃったら、もう封印するしかなかったけど……!

 でも、お兄ちゃんはお兄ちゃんで、役割を果たそうとしただけで――」

「だからそういうところが堕女神なんだよお前は!

 俺が魔王でお前が神、その役割を全うしなけりゃ、それこそ意味がないだろうが!!

 同時に生まれた対存在だからって、存在意義をおろそかにしてまで兄妹ごっこに興じてどうする!」


女神クロネアリアスの言葉を押しつぶすようにヴォイデメアスが叫ぶ。

しかしその声に宿っている感情は、単純な憎悪や嫌悪ではないように思えた。

呆気にとられるデーヴィドに向き直った魔王は、不機嫌そうに舌打ちをした。


「全く……余計なことばかり喋る駄女神だよ。

 まあいい、とにかく双子の子供が私の精神を現世に呼び戻し、この身を勝手に哀れんだ。

 そして勝手に封印を解こうとした結果、封印自体に問題があったからか、ものの見事に大暴走。

 封印そのものが子供の身体に宿って、女神の制御すら受け付けなくなりましたとさ」


「――え?」


デーヴィドには、魔王が何を言っているのかわからなかった。

それは無論、彼が浅学な木こりだからという問題ではないだろう。


「なりましたとさ、じゃないんだよなあこのクソ魔王。

 貴方が自分で身の上語って子供の同情買ったんでしょうが」


リンドベルが吐き捨てるが、魔王は悪びれもせず肩をすくめるばかり。


「仕方ないだろ? 五百七十二年ぶりに人と会ったんだぞ、テンションだって上がるし長話ぐらいするわ。

 それにいくら双子の兄妹とはいえ、人間の子供に女神謹製の封印が解けるなんて、お前たちだって想像しなかっただろう?

 双子ってだけで共鳴するなんてザルにも程がある」

「まあ……それは……」


さすがに反論しようがなかったのだろう、ケインが言い淀むと、女神がまた泣きだした。


「ぴええええん! だって誰かが封印を解くなんて想定するわけないじゃないですか!

 触っちゃいけないって神官には必ず伝えてますし、ケインだってリンドベルだって守ってくれてたし!」

「そ、そりゃあ我々の警備が不足していたのは間違いないしそれはそれで大問題なんですけどね!?

 でも封印を解かれること自体は考えておきましょうよ!!」

「堕女神に責任転嫁するなよチビ竜。

 ケインの奴を見習え、きちんと自省して頭を抱えてうずくまってるじゃないか」

「ふえええ!!? ち、違うんです!

 二人を責める気はなくて、私はただこんなことになるなんて思ってなかっただけで――」


説明も忘れて騒ぎ始める三人と固まった一人を前に、デーヴィドはおそるおそる声を出す。


「え、ええっと……結局、何が起きたんです?

 私の子供たちが何に巻き込まれたというんです?」


その言葉に、全員がぴたりと動きを止め。

気まずすぎる沈黙の中、魔王が肘で女神の身体を小突いた。


「ふえ……あ、あの、あのですね……

 実は、封印の魔力が、貴方の子供たちを私とお兄ちゃんだと誤認識しちゃって……

 それで、あの……貴方の子供たちの片方に、壊れた封印が丸ごと宿って、世界の時間を繰り返し続ける能力になっちゃったんです……

 そのせいで、ずっと、ずうっと、"今日"のまま時間が進まなくなってて……」

「えっ?」


何を言っているんだろう。

疑問の答え――というより女神の言葉からの逃避先を求め、デーヴィドは魔王へ視線を移す。

しかし当の彼は目が合うなり顔を歪め、ヤケクソのように笑いながら言い放った。


「アッハッハッハ、急に言われたって信じられないだろうな!

 だがついでに言うと私の肉体も丸ごと魔力に変換されて、お前の子供の片割れに宿ってしまった!

 おめでとう、君の子供の一人は空間と虚無を司る存在の代行者になったぞ!

 全く無自覚だろうがな!」

「えっ?」


もっとひどい言葉が飛んできた。

さらに追い打ちをかけるようにリンドベルとケインが囁く。


「というか自覚出来てるの、我々だけですしね。

 もう三百回ぐらいずーっと祭りの日をやってるんだけど、誰も気づいてないし」

「時間ごと巻き戻っているのだ、気づきようがあるまい。

 我々とて女神の祝福を受けなければ、何もわからぬまま"永遠の今日"を過ごしていたはずだ」

「えっ?」

「いたはずだ、っていうかしてたぞ。 

 だってこのループ三百回どころか今で三万飛んで五百二十一回目だからな。

 これだけ繰り返せば、大人だったら変わり映えしない日々に疲れ切って先に進むことを選ぶだろうが……

 なまじ子供だから"永遠の今日"でもエンジョイできてしまうんだろうなあ」

「えっ」


凄まじく怖い話をしている、ということだけは理解できるが、それ以上理解したくないという感情がデーヴィドの胸中を占める。

けれど哀れな木こりの逃げ場を塞ぐように、女神がゆっくりと近づいて、彼の無骨な両手を優しく握る。


「え、えっと、一応、封印の宿主が明日を迎えたいと思えば、繰り返しが終わると思うんです……

 ただ、双子のお子さんのうち、どっちが封印の宿主で、どっちがお兄ちゃんの元身体の宿主かもわからなくて……

 お兄ちゃんの権能は空間の操作と抹消だから、下手に『こんな繰り返しの世界は嫌だ』って思っちゃうと、色々消し飛ばしちゃうかもしれなくて……

 神殿や街だけで済めばいいけど、最悪、私やお兄ちゃんを含めたも何もかもを、世界ごと消しちゃうかもしれなくて……」


止めてくれ、と言いたかった。

何かの冗談であってほしいと願った。

だが、三人と一匹は顔を見合わせると、最初と同じように腰を曲げ、ついでに膝を曲げ、両手を地面につけた。


「「「「お願いします、お宅のお子さんをなんとかしてください!」」」」


「ええ…………」


デーヴィドは、目の前が真っ白になった気がした――





――気が付いた時、デーヴィドは自宅のベッドで眠っていた。

妻に尋ねると、気を失ったままリンドベルに背負われて帰ってきたのだという。

『祭りの余興の力自慢大会に出てもらおうと思ったんだけど、緊張したのか気絶しちゃってねぇ』と言っていたそうだ。

どういう言い訳だ、と思いはしたが……アレが本当の事だったとは、デーヴィド自身も考えたくはなかった。

どっと疲れた気がして、そのまま眠らせてほしいと頼むと、妻は笑って承諾してくれた。

扉の向こうで子供たちの声が聞こえる。

相変わらず祭りに行きたいとせがんでいるようだ。


「大丈夫よ、私が連れていくから。貴方はゆっくり休んでいて」


妻の言葉に安堵しながら、デーヴィドは目を閉じる。

寝れば明日になるだろう。

明日が来れば、今日起きたことは何かの冗談で、幻覚で、何も起きていなかったとわかるはずだ。

そう信じて、デーヴィドは眠り――



――そして、目が覚める。


「おはよう、貴方」


微笑む妻、ロクサーネに起こされて。


「もうご飯できてるわよ」


その言葉通り、扉の向こうからは覚えのある匂いが漂っていて。

よろよろと立ち上がって食卓へ向かってみれば、"昨日"と寸分違わぬ食事と、既に席に就いている我が子達。


スプーンを持って食器を叩いている、兄のアレク。

行儀よく両手を膝に置いたまま、大好きな目玉焼きをじっと見つめている、妹のメアリー。


デーヴィドにとって何よりも愛しいはずの双子の兄妹は、四歳という年齢に違わず愛くるしい笑顔を父親に向けると、二人揃って口を開いた。


「「ねえねえおとうさん、きょうはまちでおまつりあるんだって! いっしょにみにいきたいな!!」」

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世界の命運はお父さんの観察力と家族サービスにかかっている。 枝之トナナ @tonana1077

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