そのステップを踏めない日。

ももいくれあ

第1話


ワタシは、軽い疲労感に襲われていた。

朝から作った朝食のそれらを、キレイにテーブルに並べては、

皆を呼んで、席についた。

殆ど同じ焼き色と大きさに揃えられたパンケーキ。

メープルシロップとバターが染み込んだそれらは、ふんわりとして、愛おしかった。

北海道産濃厚なヨーグルトに、砂糖不使用のブルーベリージャムを添えた。

プレートにはゴールドキウイとバナナに、アーモンド。

盛り沢山なワンプレート。

目玉焼きとベーコンは、勿論パンケーキの上にしっかり陣取っていた。

これで、いい。

すべて揃っていた。

あとは、フルーツジュースを作るだけだった。

バナナ、プルーン、キウイ、レモン果汁、リンゴ、ヨーグルト、豆乳、もしくは牛乳で。氷を4個入れたら出来上がり。

凄まじい音と共にドロドロと液状化していく。

あっという間に、ジュースになった。

毎朝の行い。

毎朝の出来事だったが、今日はなんだか少しだけ違っていた。


ワタシは、ただただ眺めていた。

カノジョが動くその姿を、働き者のその姿を、眺めることしかできなかった。

大変そうね。なんて言うアナタに、少しは手伝って欲しいものだわ。

カノジョはそう言って、手触りの良い紙の枚数を数えながら、

中腰になって、1時間近くただひたすらにそれらを数えていた。

カノジョの仕事は、ある絵を描くことだった。

それは、ちょっと秘密めいていて、ワタシは好きだった。

誰にもナイショでひたすらに、黙々と何日も、何週間も、時には何ヶ月も、

一枚の絵に向き合っていた。何度も何度も描き加えては、削ぎ落とし、

その一連の作業は時には、一年近くも繰り返された。

そうして仕上がったカノジョのソレは、決して世に出るコトはないんだと、

カノジョの口からは、そう聞いていた。

カノジョの名前は勿論、カノジョの描いたその創作物さえも

世に出ずに、誰かの何かの役に立つという、そういう仕業が、カノジョの仕事であった。

ちょっと不思議な仕事ではあったが、カノジョが向き合うその姿だけが、

ワタシに映る総てだった。

鉛筆、絵の具、クレヨン、筆、楊枝、バターナイフなど、

実に様々な描きもの用の道具を使い分け、

カノジョは、それはとてもキレイだった。

美しいその姿を観ているだけで、ワタシはなんだか少しホッとさせられた。

頭の中のモヤが晴れて、スーッとしたキモチが、

心地良い砂埃が上がるグラウンドのように、

そのグラウンドに引かれた、白線の上を恐る恐る歩いたコト。

それが、ワタシにとって映るカノジョの仕事の総てだった。

ワタシだって、ワタシにだって、出来るコトがあるのなら、手伝わせてくださいね。

そう思う気持ちと、ただの一つ手伝いたくないという叫び。

混乱してきてせいか、こめかみに軽い痛みと吐き気を覚え、

ワタシはまた朝訪れたはずの目覚めから、遠のいていた。

何時間経ったのかは分からなかった。

カノジョはすっかり機嫌を良くして、朝食後の散歩に出かけていた。

すっかり静まりかえったリビングで1人。

カノジョの不在を噛みしめていた。


珈琲豆を用意するコトを思い出した。

ネルドリップは生地の扱いを丁寧にする必要があった。

使用後煮沸消毒した生地を冷凍し、翌朝また、煮沸消毒して、使用する。

生地の衛生管理も含めたら、毎日毎回破棄してしまう、取り扱いがことさら簡易的な

ペーパードリップがワタシ向きだと確認していた。

珈琲豆は、冷凍庫に実に沢山入っていたようだ。

同じ銘柄、同じ名前のモノも沢山あった。

珈琲豆専用の冷凍庫かと思うほどに、ずらりと並んでいた。

その中から、今日の始めの一杯を選ぶのはワタシであり、カノジョだった。

それは、カノジョが飲みたいであろう一杯を精一杯ワタシなりに思案して、

これだろう。という一杯を選ぶコトだった。

ライヴコーヒースペシャルブレンド夏味。

これが今朝の珈琲に相応しく思えた。

もうそこまで近づいている夏にぴったりのひと味になりそうだ。

大さじ3ほどにわりとたっぷりのお湯を注ぐ、

ほろ苦くて、後味さっぱりの、酸味を殆ど感じないブレンドだった。

6対4。の割合で、牛乳を必要とするカノジョのほろ苦い珈琲。

ほろ苦い珈琲にたっぷりの牛乳を入れるコトで、口当たりがまろやかになるらしい。

というのがカノジョの好みだが、実はワタシはそれを守ってはいない。

珈琲はブレンドに合わせて、ごく深煎り、深煎り、中深煎り。

珈琲は飲むタイミングに合わせて、目覚めの一杯、朝食後、その後、昼食後。

珈琲は季節に合わせて、初夏、真冬、小春日和、真夏の午後。

珈琲はワタシの気分に合わせて、カノジョを感じて淹れる。

それがワタシのカノジョの仕事に対する感情表現、感覚表現だった。

毎日の一連の出来事が、まるで自然な流れだった頃、

ワタシが、珈琲をそんな風にして淹れていた毎日が、

たわいもないような、当たり前の毎日があったコトが、いまでは

懐かしくもあり、切なかった。

ワタシの目眩は、まるで地震の様に激しく、

あんなにいい香りを放っていた珈琲の余韻さえも、

そうやって、そのすべてを、総ての香りをかき消してしまった。

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そのステップを踏めない日。 ももいくれあ @Kureamomoi

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