第30話. 漆
「このクッキーも絶品ですね、おじいちゃん」
今日もまた4人でテーブルを囲んでいた。
本日のお菓子はレーズンクッキーなり。
全くどこでレーズンやら貴重な砂糖を手に入れているのかは全く不明だが、俺も賄賂を払っている身。あまり深く詮索するのはやめておこう。
今日のテーブルに並ぶ紅茶。
ただあくせく日々働くだけの生活に、一息ついてゆったりと贅沢な時間を過ごすのもいい。
なんというか人としての自尊心を取り戻すようだ。
「ところでウルシとはなんなの?」
クッキーを齧りながら腹減り爺さんが質問した。
「塗料になったり、木材の接着剤になるものです。それがあれば木材をくっつけることができて、彫刻の幅が広がるんですが・・・」
「ウルシなんて聞いたことありません」とラベンダー。
贅の限りを尽くした宮殿でさえ、一度も漆塗りの食器など見たことがなかったので、もしやと思ってはいけけど。うーん、ないとなると諦めざる得ないな。
クッキーを食べ終わった腹減り爺さんが、「カラフルボムは?」と提案する。
カラフルボム?
どうやら他の二人も知らなかったようだ。
「カラフルボムはこれくらいの大きさの実なんだけど」と言いながら、拳を見せる。
「その実をわるとどろっとした液が出てくるんだけど、それが接着剤になるんだよ」
おお。そんな便利な物があったのか。
「で、それはお高いの?」
「ううん、売ってるところは少ないけど、宮殿の建築を請け負っている店にいけば扱っているはずだよ」
俺は早速グナシに依頼をし、週末にグナシは大量に買ってきてくれた。
言っていた通り、拳大のくるみのような硬い殻に覆われていた。その実に斧で叩き割ると、どろっとした液が出てくる。
色は・・・桃色か。
ラベンダーが好きな菓子のような甘い香りがする。
腹減り爺さんの言うとおり、この液は木材をくっつける作用があった。
漆のりとなんら遜色がない。それどころか漆は直接手で触るとかぶれてしまうが、カラフルボムは直接手で触れても何の影響もなく、その点では漆のりより使いやすかった。
が、ひとーつ。
カラフルボムにも難点があった。
それは匂い、だ。
不思議なことに接着作用はどれも一緒で差はないんだけど、なぜかそれぞれの実で色と香りが異なっている。
桃色はお菓子、黄色はバナナの匂いといった具合に。
おまけにかなり強烈。
塗った彫刻はそれはそれは強い匂いを放っている。
まあ、2、3日陰干すれば匂いは消えるんだけど。
お陰様で彫刻の注文が重なった時は、バナナとラベンダーと硫黄の匂いが混ざり合って、部屋がとんでもない状態になり、ラベンダーから「息ができません!!」と苦情がきた。
そんなこんなで、俺の彫刻家としての仕事は順調そのものだった。
注文は絶えず、そして顧客の反応も上々。また、大家が知人に紹介してくれたおかげで太客も増え、この前は銀貨1500枚という依頼がきた。
懐も豊かになり、生活に余裕ができるとラベンダーの顔にも笑顔が戻ってくる。
やはり人間には余裕が必要だ。
そう、生活は良くなっていた。
だが、一つだけ問題があった。
う。
痛い。
朝日が部屋に差し込むが、体が重くなかなか起き上がれない。
痛みと体の重さが抜けない。
原因は明確だった。
彫刻作業だ。
俺は生活の為に金が必要だったし、作品が想像以上に評判がよく次から次へと注文が舞い込み、ここ最近休みなく彫り続けていた。
そう、休みなくーーー。
疲れた。
腕が痛い。
俺は奈良時代も仕事しづめだった。
休めと言われても、仏像のことが頭を離れず、ついつい工房にこもっていた。
手を見る。
あの日、この世界で初めて目覚めた日の手は白魚のようだった。
か細く、透き通る肌。
その手はまめ一つなく、爪は艶やかで高貴な女性の手であった。
今のオーロラの手は仏師の手のようだった。
まめに傷、爪は欠けたり、さかむけでガサガサしている。
休みなく突き進むように彫刻を続けたことと、道具が原因だ。
グナシが太客への納品が終わると、ご褒美にと新しい鑿などをくれた。
切れ味は鋭く、物置で見つけた物に比べて彫りやすくなったのだが。
いかんせん。
道具がでかいのだ。
この国の人は骨格ががっしりしている。
特に男は身長も胸板も奈良の男とは比べ物にならなかった。
こちらの世界でも大工はほとんどが男の仕事という事もあり、道具が女の身体にはでかいく重い。
ただでさえ、彫刻は木を彫るので力を使う。
それに加えて、重く大きな鑿の扱いのは俺が思っていた以上に力を使っていた。
今の身体には大きな負担となっていた。
井戸の水を汲もうとしたが、それも一苦労だった。
もたもたとしていると、後ろからグナシが声をかける。
「何してんだ、元聖女さんよ」
「ちょっと手に力が入らなくて・・・」
変われと、グナシは井戸の水を汲んでくれた。
「どうした体調でも悪いんか?最近は食事も良くなったと思ったけど」
グナシから桶を受け取ろうとした時。
ぴきっ!!!!
手首に痛みが走った。
バシャ。
力が入らず、せっかくグナシが汲んでくれたばかりの水を盛大にこぼしてしまった。
あ、俺の靴だけじゃなくグナシの靴にまで水が掛かってしまった。
「すまない」
手ぬぐいを取りに家へと戻ろうとした俺の手をグナシが「待て」と掴む。
何かを言おうとしていたグナシがはっと息を飲む。
「この手・・・・」
グナシの瞳が揺れる。
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