光、射す

kowoegaku

第1話 闇に滑り落ちる

 気がつくと、そこには暗闇だけがあった。奥行きのないベッタリと塗った真っ黒が広がっている。左手には微かに日の光のようなものを感じる。今はベッドらしきところにいるのだろう。シーツの手触りがある。手のひらをシーツの上を滑らせると、ベッドの柵にぶつかった。

 ベッドの上か?

 自分の顔を両手でふれた。そこにはいつもの自分の顔があり、同じ感触であった。腕もそうだ。肩も、太ももも。前と変わらない。視界だけが変わっていた。

 自分の事故を思い出した。諜報員としての登山の訓練中、岩壁から滑落したことを思い出した。そのショックで視界がなくなってしまったのだろうか?

 いや、ハーネスに命綱はつけていたはずだ? 滑落死はしていない。今、俺は生きている。しかし、目の前に広がるのは闇であった。


 窓からはバチバチと音がし、風がぶつかり合うような音も聞こえる。部屋の明かりのスイッチでも探そうかと立ち上がった途端、こっちに向かって足音が近づいてくる。助けがやってくるかも知れない。だったら、どうしてこんな状況になったのかを教えてもらえる。エイトは人の気配に少しホッとしていた。


 「大丈夫ですか? 由木エイトさん。私は看護師の富野です」その女性の手を借り立ち上がった。

 「ありがとうございます。ここは・・・どこですか? 病院でしょうか?」

 「そうです。由木さんは岩壁から転落して、運ばれてきたんですよ」

 落ちていくまでの映像はひどくゆっくりだった。その後は、ゆっくり瞼を閉じるように、記憶が途切れている。頭を打って、気を失ってしまったのだろうか。

 「目が見えなくなっているんですが、どうなったんでしょうか?」落ち着いてくると、目の前の暗闇のことが気になってくる。看護師は熱や脈など測りながら、そのことは先生から説明がありますからねと言った。

 もうこのまま、目が見えないのだろうか? じっとりと濃い汗が流れてくる。打ちどころが悪かったというやつだろうか?それとも、このまま死んでしまうのだろうか?

 入院して数日は眼科医と名乗る爺さんが定期的にやってきて一日に一回ぐらいエイトの目を検査した。何を尋ねられたのかも覚えていない。体がとにかくだるい。数日はただ眠っていた。目が見えないことには慣れない。微かに聞こえてくるピアノが入院生活の楽しみとなった。病院なのにときどき昼下がりに演奏が聞こえてる。エイトは昼下がりになるとその音を探し、集中し耳を傾けていた。


 「こんにちは。初めまして。あなたを担当するリハビリ担当の医師 千枝田です」明るい女性の声に気がついた。

 「見えないだろうから、握手しましょう」目の前に手を出された気配があったのでエイトは手を差し出した。その手は暖かみがあり、親しみを感じる手のひらだった。

 「リハビリの先生?」

 「そうですと言ってもなかなか信じにくいよね。試しに黒いプラスチックのハンマーでも使ってみましょうか?」

 「いや、それは・・・。ときどきやってくる先生に聞いているんだけど。俺の目は見えるようになるのでしょうか?」

 「それは・・・ね。それについてはまだ、よくわかっていないというのが私たちの見解です」

 エイトはベットに座った。

 「手のひらを広げて。今からあるものを渡します。形を指で確認してみて下さい」エイトは指で大きさや、感触を確かめた。ワイヤスレイヤフォンのようだった。

 「このイヤフォンはこれからしばらく、君をサポートしてくれるものです」

 「サポート?」

 「そう。人間が気配を感じる感覚は内耳の蝸牛にあるの。これをしていると蝸牛の能力が増幅されて、音に対する感度が非常に高まるってわけ。音の方向や種類がよくわかるっていうか。視力が無くなった分だけ、聴覚が強くなるってことね。」

 千枝田は困惑しているエイトを見て、「とりあえず耳につけてみよっか、付けると電子音が聞こえると思う。それがスイッチオンだから」

 耳に近づけると微かな電子音が流れゆっくりと音がクリアに聞こえるようになった。

 「身近なところを例にとると映画館で立体的に音が聞こえるでしょ? 自動車が前からやってきて、自分のすぐ横を通り過ぎるという感じね」

 装着すると聞こえる情報が一気に増えた。右隣の診察室では、誰かが扉を開き入っていった。その後机の上に資料を置いたようだ。同時にこの診察室の近く自動販売機があるのだろう。ボトルが落ちて、自販機の取り出し口が開いた音がした。

 「確かに、音の方向性が掴めますね。それといろんな音がききとれるような?」

 「目が見えないと他の感覚が補おうとするの。耳は顕著ね。だから君は、訓練次第で晴眼者以上に「見る」ことも可能なんだよ」と言って千枝田は立ち上がった。

 「それと、どこに直したかな・・病院の3Dマップがあるんだけど」

 エイトはイヤフォンの音に注意すると千枝田が奥の棚から3Dマップを探している姿がはっきりと『見えた』ことに身震いしていた。

 「今ぐらいの距離感だと、よりわかりますね」

 「そうでしょう。筋がいいのね」と言いながら千枝田は近づいてきた。

 「これが、この病院1Fの立体地図。ここが診察室ね。正面玄関。受付、外科。そしてレントゲン室、手術室。救急搬送の出入り口。トイレ」千枝田はエイトの指を持って立体地図を紹介した。

 「しるしとしてピンを刺しておくね。指でこのマップを触れてみて」

 「すぐに覚えるのは難しいですね」エイトは指でピンを確認した。

 「もう一つあって、この施設の体育館の立体地図なんだけど、こっちも触ってみて」

 体育館の立体地図は体操用のマットや一部には砂利があったり、規則正しく、いろんなものが配置されていた。

 「明日、訓練として体育館にこれと同じ配置をしてあるの。追いかけごっこしてみようか」

 「追いかけごっこができるのか・・」エイトは微かな光をもらったような気がしてた。

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