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「わちきからの質問は以上です」

 アリバイに関して深く突っ込むでもなく、被害者たちとの具体的な相関関係を質すでもなく、将門はいともあっさり身を引いた。傍らの元アイドル声優には、端から質問する気もないらしい。

「何だ、もうお終いか。もっと警察みたいにしつこく迫ってくると思ってたよ」

「あんな無能の集まりとは違いますので」

「おっ、キレイな顔してきついこと言うねえ。時間があれば、君とは膝を交えてじっくり話したいものだよ」

 軽口を叩く我王区の頭を、両頬を膨らませた超野茉茶が軽く拳で叩いた。

「もう、民明さんったら」

「あはっ冗談だって」

 眼も当てられぬ両者の惚気ぶりに、壱八は全身がそそけ立つのをどうすることもできなかった。この場に朱良がいたら、豪快に鏡の一枚でも叩き割っていたに違いない。

 ともあれ、将門の質問は終わった。次は自分の番だ。些か調子は狂うが、この機を逃すわけにいかない。

「我王区さん、ちょっとよろしいですか」

 壱八は大した理由もなくついと手を上げると、鏡に向かってしかつめ顔で髭剃り跡をチェックしている我王区に声をかけた。

 押しかけ女房の排斥的な眼差しに一瞬怯む。席上の将門はというと、外方を向いて誰の許可もなしに黙々と電子タバコを喫っていた。

「ん? 君は誰だい」突き放すように言う我王区。

「彼の、いや、彼女、将門の知り合いです」

「ふうん」

 中堅芸能人の眼に、壱八の存在は恐らく将門のヒモ程度にしか映っていないのだろう。鏡に映る自分の顔から、片時も眼を離そうとしない。

 胸中の不満をぐっと怺え、壱八は更に、

「一つだけ、訊きたいことがあるんです」

 思った通り応答はなかったが、別段その必要もない。次の質問に対してだけ、きちんと返事をしてくれればよいのだから。

「今度の、連続殺人の犯人は、あなたなんですか?」

「あ? 何だって」

 犯人はこの男なのか?

 もしこの男が犯人でないとしたら、今までの聞き込み調査は、どうなってしまうんだ?

 いや、やはり犯人は彼だ。残る容疑者は彼しかいない。

 だが万が一、そうでなければ。

 最悪の事態を念頭から追い払おうとすればするほど、脳裏にはその光景がありありと浮かび上がってくる。

「どういう意味だい。君はあっしを、あの事件の犯人と疑ってるのか」

「いえ、別にそういうわけじゃ」

「ねぇあんた。誰だか知らないけど、民明さんを困らせるようなことしないでくれる?」

 然りか否か。イエスかノーか。マルかバツか。極限にまで削ぎ落とされ、簡略化された究極の問いが、最後の牙を尋問相手に向けようとしていた。

「深い意味はないんです。ただ、どうしてもあなたの口から聞きたいんです。あなたが犯人なのか、違うのかを」

 本当に、これで最後なのか?

 今眼の間にいる、弁当箱みたいな顔をしたこの男が、本当に真犯人なのか?

「何だかよく判らんが、そこまで言うのなら、君に教えてやる」

 そう断って、我王区は己の犯行を自供したのだ。犯人は自分だ、と。


 我王区民明の心理を読み取り終え、壱八は静かに瞼を閉じた。

 事件が己の手を離れ、不可知の空間へ飛躍していくのを感じた。

 亀裂だ。回答者の心理は自身の証言を裏切り、否定の刃によって分断されていた。

 我王区民明も、連続殺人の犯人ではなかった。

 船酔いのような不快感はとうに収まっていたが、容赦なく地盤が震え、大音響と共に足場が崩れ去っていく、そんな恐怖があった。

 控え室のドアを叩く重々しいノック音にも、従って壱八はほとんど上の空だった。

「我王区さん、失礼しますよ」

 そう断り、真っ先に入室してきたよれよれのスーツを見て、将門が呆れがちに息を吐き、聞こえよがしに舌を鳴らした。

 警視庁捜査一課勤務、津村刑事その人だった。

 部屋に入るなり、刑事は品定めするように室内の人間を順繰りに見渡し、やがて中央の椅子に反り返った占い師に視点を定めた。

「おい、こんな所で何してるんだ」

 恫喝に近い刑事の声色。将門がいること自体は、さほど驚いたふうでもない。

「決まってるでしょう」一方の将門も、仇敵とも言える人物のお出ましに、冷めた口調で応じた。「ろくに部下の教育もできないあなたに代わって、〈ガダマダ〉の件を調査してるんですよ」

「部下の教育だと。何のことだ」

「あんな下手な尾行に、わちきが気づかないとでも? 刑事さんの躾がなってない証拠です」

 険しく眉を歪め、刑事は背後に鋭い一瞥をくれた。見ると、聞かれたままの控え室のドアに、二人の男が肩を並べて立っている。恐れ入ったふうに項垂れた海老茶色のスーツのほうが、津村刑事の部下だろうか。

 どうやら将門と一緒にこのテレビ局に向かうまで、ずっと後を尾行られていたらしい。迂闊にも壱八は今の今まで気づかずにいたが、大賀飛駆らとの面会の際にも、同じように警察の何者かに尾行され、聞き込みの始終を監視されていたのかもしれない。確かに青年の家へ向かう途中、将門はいつになく後方を気にかけていた。

 下っ端刑事の隣にいるスポーツ刈りの青年は、首に提げたパスから判断するに、番組スタッフか、あるいは我王区のマネージャーだろう。

「ホントすいません。こちらの刑事さんが、我王区さんに伺いたいことがあるそうで」

 平たい頭部を撫でながら、青年は焦れったそうに口を開いた。次なるラジオ番組の収録までもう時間がないのか、盛んに自分の腕時計に眼をやっては、数秒置きにポリポリ頭を掻いている。ゴテゴテしたごついデザインの銀時計は、壱八程度の念動では持ち上げるだけでも骨が折れそうな代物だった。

「参ったな。そういう用件は、事務所を通してからにしてほしいんだが」

「身辺警護も兼ねての調査なんですよ。番組関係者の被害者は、これで四人になりました。我々としても、悠長なことは言ってられません」

「はは、次はあっしが狙われてるのか。君たちも難儀だな。犯人さえ捕まえれば、わざわざあっしを警護することもなかろうに」

 皮肉たっぷりの発言に、刑事も憤然と口を閉ざすしかなかった。

「さてと、用事も済んだし、わちきどもは帰るとしましょうか。行きましょう、壱八君」

 二人の応酬を尻目に席を立つ将門を、津村刑事が両手で押し止めた。

「こら待て。このまま帰すと思うな」

「ちょっとどこ触ってるんです。訴えますよ、このセクハラ刑事」

「何だと貴様、参考人の分際で何をぬかすか」

「ヘボ刑事が言ってくれますね。まあ、罪もない人間の後を尾行け回るなんて、いかにもヘボ警察の指図しそうなことですけどね」

「貴っ様、どこまで侮辱する気だ」

 激越な口調で津村刑事が怒鳴りつける。いつの間にか、占い師に対する呼称も最低ランクに下がっていた。

 慌てて仲裁に入ったもう一人の刑事が、怒りのあまり振り上げられた上司の拳を運悪く顔面に受け、変な悲鳴を発してその場に蹲った。

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