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「なるほどね。筧と教授が殺害されたとき、君は独りで寝室にいたと。判りました、ありがとうございます」

 飛駆青年の証言を将門がどう思っているのか、壱八には見当もつかなかったが、ともあれ、これでアリバイ証言を残すのは春霧空のみとなった。

 質問を向けられるや、ただでさえ色素に乏しい少女の両頬は紙のような生気の失せた白に褪せ、黒目がちな瞳には早くも潤みが生じていた。

「わたしも、家に、いました」

 震えを帯びた空の声。心なしか、長い髪を後ろに流した肩口までもが震えているように見えた。

「空ちゃん、怖がらないでいいんですよ。わちきはあなたが思うような悪いお姉ちゃんじゃありませんので」

 お姉ちゃんという半分偽りの言葉に朱良がどう反応するか窺い見てみたが、表立っての反論はなかった代わりに、緩めの膝蹴りをこっそり太腿に受けた。将門への不満が凡てこちらに向かってくるのだとすると、全く割に合わない。

「では空ちゃんも、塞の神以外の二つの事件発生時、自分のお家にいたわけですね」

「……はい」たった一語の返事に、充分すぎるほどのビブラート。

「事件の起こった時刻、誰か家の人と一緒にいましたか」

 俯きがちに眼を閉じ、少女は諦めたように首を左右に振った。

「部屋で、寝てました」

「お一人だったと」

「はい」

 筧の死亡時刻は、深夜〇時半前後と推定されている。一方、十条教授の死亡推定時刻は午後十一時前後。朝型の生活サイクルならば自室で眠っていてもおかしくない時間ではあった。けれども、彼女の証言もまた、厳然たるアリバイとして警察に適用するとは思えない。

 ふむ、と鼻から息を抜き、将門は毒気のない笑顔を座席上の二人に向けた。

「判りました。ありがとう空ちゃん、正直に話してくれて」

 それから俄かに表情を引き締め、ほろ苦い顔のプロデューサーに眼をやった。

「まだ何か?」

「最後の質問です。塞の神の事件のとき、飛駆君と空ちゃんの他に、第二部の出演者はスタジオのどこかにいたんでしょうか」

「いいえ、この子たちだけ。ねえ円筒さん、あなた番組をご覧になったことは?」

「〈ガダラ・マダラ〉ですか。毎週欠かさずではありませんが、ちょくちょく拝見しています。話題豊富な番組は、お客様と話を合わせるのに好都合ですので」

「ありがたいことね。制作者冥利に尽きるわ。だったらお判りいただけると思うけど、二部のレギュラー出演者二十名のうち、一人前と呼べるくらい異能を開花させたのは、この二人だけなのよ。この子たちに比べたら、他はまだまだ発展途上段階」

 殺された筧の穴を埋めるべく、プロデューサーは〈一人前の異能力者〉大賀飛駆を〈ガダラ・マダラ〉特番に出演させた。春霧空に収録風景を見学させたのも、行く行くは第一部に昇格させるためなのかもしれないが、残りの生徒たちは差し当たり第一部とは無縁なのだろう。

「他の子たちは、さすがに関係ないと思うけどね」

「念のために伺ったまでです。失礼しました」

「そう、なら質問は終わりね」

 南枳実はそう呟き、気が抜けたように椅子に凭れた。口には出さないが、早く邪魔者供を追い払いたくて仕方がない、そんな心境が滲み出ていた。

 将門自身も引き揚げ時と感じたのか、乱れてもいないスーツの襟首を正したり、妙にそわそわしていたが、将門の隣で傍観者に徹していた朱良が、ここに来てずいとテーブルに身を乗り出した。

「南さん。殺害された筧要と塞の神紀世は、本当に超能力を持っていたんですか」

 将門に同行した真の目的を、一気に果たそうというのか。弾劾に近い朱良の語気に、プロデューサーの表情は瞬時にして曇った。

「それ、どういう意味?」

「言葉通りの意味です。彼らは本物のエスパーだったんですか」

「まず断っておくけど、〈ガダラ・マダラ〉に籍を置く者として、エスパーや超能力の呼称は全部異能に置き換えさせてもらうわ。その上で、あなたの質問に対して言わせてもらうなら、それって私が答えることじゃないわよね。筧は自分に霊感があると確信していたし、浦河は浦河で己を神威の使い手と主張していた。私に言えるのはそれだけ」

「つまり、能力があるかどうかは関係ない、どうでもいいってことですか」

「プロデューサーの眼から見ればね。私が二人に眼をつけたのは、芸能人としての才能を見出したから。異能力者としての素質は、さほど問題にはならないわ。彼らの場合」

「じゃあ、この二人の場合は」

 視線をプロデューサーに固定したまま、朱良はうら若い二人に話を移した。糾弾者を見据える少女の円らな瞳は悲しげで、ファンの娘であろうと容赦なく責め立てる朱良の姿に、壱八は日頃以上の怒りを覚えた。テーブルの下で、青年が少女の左手を固く握り締めているのが何とも印象深かった。

「この子たちは、筧や浦河とはまた事情が違ってくるわ。異能力を開発するコーナーの常連だし、何よりもまず能力の有無が重要なのよ」

「ということは、つまり本物だと」

「ええ。飛駆と空は、間違いなく本物の異能力者よ」

 きっぱりと言い切った。その自信に満ちた言葉に壱八は面喰らいつつも、努めて冷静に〈本物たち〉の様子を探った。

 両者とも、唇を引き結んだまま沈黙を保っていた。青年は自分のコーヒーカップに、隣り合う少女は対面するプロデューサーの胸許に、余人には計り知れぬ思いを秘めた真剣な眼差しをひたすら注ぎ込んでいた。

「証拠はあるんですか」朱良の追及は止まらない。

「証拠ねえ。色んな方面から事あるごとにエビデンス、エビデンス言われて辟易してるんだけど、あなたもファクトチェック気取りの類いか何か? この子らがスプーン曲げでも披露すれば信じてやるとでも?」

 怒張を孕んだ声で言い返すプロデューサー。

 怪しい雲行きを帯びてきた座席の雰囲気に、それまで話の主導権を握っていた将門が、慌てて同行者を咎めた。

「よしなさい、朱良。それは事件とは関係のないことでしょう」

「フン、うちはこのために来たのよ。あんたにとやかく言われる筋合いないし」

 口論などしている場合ではないのに、どちらも我を主張するのに必死で、相手の意見に耳を傾けようとしない。今の二人には、譲り合いの精神も何もなかった。朱良がここまで直接的に将門に抗うのはむろん注目に値するのだが、泥沼の様相を呈してきた仲間割れの状況に、壱八はただおろおろと眼を泳がせるばかりだ。

「判りました」

 口を開いた大賀飛駆の諦観に満ちた雰囲気に、将門と朱良は同時に口を噤み、以後の発言権を青年に委ねた。

「見世物じゃないから人前ではやるなって、南さんには言われてますけど」

「飛駆、やめなさい」

「いいんです。慣れてますから、こういうのには」

 青年はカップの中身を掻き混ぜる用の黄金色のスプーンを、朱良のほうへ翳した。スプーンに異常や仕掛けのないことを、実際に確かめてもらおうというのだろう。

「オッケーよ」

 形状や硬度を一通り確認した後、朱良はスプーンを戻した。同様のことを、彼は将門と壱八にも要請した。

「壱八君、どうぞ」

 言われて手に取り、調べたそのスプーンは、どう見てもどう触れてもただのスプーン、人間の力で曲げられないことはないにしても、相当の腕力や技術を必要とする、硬質な金属製スプーンだった。

「今更スプーンを使っての異能なんて、皆さんには笑われるかもしれません、けど」

 耳許の空気がやけに重い。壱八は息を殺して、スプーンを持つ飛駆青年の手を注視した。別のスプーンに振り替えるような不自然な動きは、なかったように思う。少なくとも、壱八の視覚では全く捉えることができなかった。

 柄の先端を指先で抓み、青年は一度だけ、スプーンの最も細い箇所を他方の手で優しく労り撫でるように触れた。頭側を上に片手でスプーンを掲げ持ち、深い深呼吸に入る。

 息を吐き、更に大きく吸い込み、止めた瞬間。

「あっ」

 そう声を上げたのは、果たして誰だったか。

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