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「しかしながら、犯人の行動の中に、そのヒントとなる何かが見つかるかもしれません。カメラを使った念視と小生の描写を併用して、皆さんにも小生の視た映像をなるべく正確にお伝えしましょう。必ずや犯人の姿をこの眼に収めてみせます。小生も筧君を怨霊になどしたくありませんから」

「それはそれは、心強い発言ですね。あっしらも期待してますよ」

 明るい表情を見せた我王区は、洗顔直後を思わせる豪快な仕種で顔面を拭い始めた。

 無人の長テーブルに寂しく置かれていたロックグラスも別のスタッフに片づけられ、新企画のお膳立ては終了した模様だ。

 出演者らの振る舞いを唖然とした顔で眺めていた壱八は、自分が今とんでもない場所に居合わせているのでは、と思い始めていた。

 クレーム必至の超常現象トンデモ系バラエティ番組〈ガダラ・マダラ〉。その出演者だった故人の追悼は、名目上も過去の遺物となり果てていた。番組の企画を変更させ、殺人犯を見つけ出すと豪語したこの塞の神なる男、曲者には違いないが、山師にしては言動が妙な自信に満ちている。山師故の慢心か、はたまたそれ以上の何かがあるのか。

 左の将門に眼をやると、細い前髪の先端を指で擦り合わせながら、ありったけの疑念を込めた茶色い瞳をセットに向けていた。右の朱良に至っては、今にも笑いが吹き出しそうな、爆発寸前の風船といった形相で唇を噛み締め、揚々と背凭れに寄りかかっていた。塞の神の発言をまともに受け取る気は、端からないらしい。

「それでは、どうかご静粛に。これより小生の神威をアストラル界に顕現させますゆえ」

 塞の神の言葉を皮切りに、収録スタジオは沈黙と緊張の支配する一大実験室となった。どのテレビカメラも黒衣の怪僧に焦点が合わせられ、新たに用意された小型のサブカメラは、彼と青年のテーブルから五メートルと離れていない至近距離で、机上のポラロイドカメラに指先を乗せた怪僧の姿を捉えていた。

 よそ見さえ憚られる観客席の雰囲気に、壱八は懐疑的な思いを多分に抱きながらも、異能力による殺人犯捜しがなされようとしている舞台セットを、能のない木偶のようにただただ見つめるしかなかった。

「神の眼を拝借する前に、飛駆君に言っておきたいことがあるのです」もったいぶった口調で、塞の神が囁く。

 それまで自分のグラスを指一本触れずに凝視していた青年は、無言のまま眼を瞬かせて先輩の異能者に首を巡らせた。

「君はさっき、自信がないと言って犯人捜しを辞退しました。小生はその発言がどうしても納得できない。小生の場合、神が持つ超自然的な力を喚び起こし、一時的に我が肉体と同化させる、謂わば外的な〈借り物の力〉に頼るしかないのですが、君は人智を超えた能力を生まれながらにして身に享けている。以前、第二部で君が披露したポラロイドカメラによる念写実験には、端倪すべからざるものがありました。小生のように煩わしい手順を踏まなくとも、君ならばそのカメラ一つで、いつでも犯人を写し出せる気がするのですよ。神威の持ち主たる小生から見ても」

 言い終えた瞬間、フード奥の両眼が今までにない確信めいた輝きを放った。横に座る青年は、相変わらず黙秘を続けている。

 塞の神は縁の近くまで注がれた飲み物のグラスを手にして、

「ちょっと失敬。命の源泉たる水分補給は、神威を充分に発揮する条件として必要不可欠なのです。普段も一日三リットルは飲みますね。アルコールではありませんよ。我王区さんとは違いますゆえ。一番良いのは天然水ですが、まあスタッフの方が用意した烏龍茶でも問題ないでしょう。何はともあれ、飲料水を摂取しないと集中できない性分なのでね」

 飛駆青年が何か言いたそうに身じろぎしたが、構わず塞の神はグラスの中身を半分ほども吸い上げ、ふうと息を吐いてグラスを戻した。

「記録に残された最古の自然哲学者タレスは、万物の根源は水であると主張しました。お嬢さん、そう眼を丸くなさらず。哲学史の講義ではありませんゆえ。このタレスさん、星空を見上げて天体観測に熱中するあまり、溝に落ちたなんてエピソードもありましてね。天然ボケの先駆者でもあったわけです。何とも示唆的じゃありませんか、我王区さん」

「はあ、酒は程々にしろと」

 塞の神は雑談を切り上げると、両袖をたくし上げて青年を称えるように生白い腕を伸ばした

「小生が思うに飛駆君。君は既に、筧君を殺害した犯人が誰なのか、知っているのではないだろうか。君は犯人を捜す自信がないのではなく、自身の口から犯人の名を告げるのを恐れているのではないのかな」

 断言に近いニュアンスを帯びた怪僧の声は、再びスタジオをざわめきの場に変えるかに見えたが、今度は彼自ら先手を打って、

「皆さん、今のは憶測の域を出るものではありません。焦って騒ぎ立てる必要もないゆえ、どうか静粛に。反論や飛駆君への追及は後ほどにしていただきたく」

 観客以上に驚いた表情で眼を丸くする青年を尻目に、塞の神はローブの袖で口許を拭いつつ、

「小生の都合で企画まで変えた以上、責任は取らねばなりません。いずれにせよ、犯人はもうじき暴かれます。さて、うん、そろそろ」

 塞の神の口調が、次第に途切れがちな、ゆっくりしたものに変化していく。

「か、神威を、んっ……」

 神憑り状態に陥ったのか、発音がおかしい。体の動きも小刻みに震えたり不意に止まったり、安定感がない。まるで病的な動作だ。

 神威なる代物を披露する際、毎回あんなふうに大袈裟な芝居を打つのだろうか。神威を一度も眼にしたことのない壱八は、疑問を解消すべく将門に視線を移した。見ているほうが恥じ入りそうな、美しく整った横顔が壱八の眼前にある。

「将門」

 眉根を寄せ舞台セットに眼を凝らしていた将門が、そのときはっと息を呑んで二重瞼を大きく開いた。

「まずいです」

「え?」

 甲高い破壊音がセットのほうから聞こえた。グラスの砕ける音だった。教授のグラスと同じ高さからの落下ながら、こちらは呆気なく割れた。不吉の前兆を思わせる脆さ。客席の何人かが小さな悲鳴を上げた。

「む……ぬぬぬ……ぐおぉ……あ、が、あ」

 不明瞭な呻きを洩らす怪僧を、司会のコンビと若き異能力者が椅子から腰を浮かせて呆然と見守っている。

 彼は右手を喉にあてがい、左手で胸を押さえて必死にもがいていた。細い両眼を目一杯見開き、狭い肩をガクガクと揺らす様は、発作を起こし呼吸困難に見舞われた病者の如くだった。長テーブルの脚下には第二の被害を被ったグラスの破片が散らばり、彼の言っていた烏龍茶の残りがその破片と床を申し訳程度に濡らしていた。悶えた拍子に、彼のグラスだけがテーブルから落ちたのだろう。

 その苦しげな様子が尋常でないことは、壱八の眼にも明らかだった。やや負荷のきついルーティンワークなる考えは、捨てる必要があった。身悶えしながら海老反りに仰け反り、塞の神はそのまま後ろ向きに音を立てて倒れた。あるいは神威の発現に体力を消耗し、立っていられなくなったのか。

 前列にいた観客の女性が、非常事態を宣言する代わりに短い叫びを発した。

「ちょ、ちょっと塞の神さん」我王区が狼狽眼で呼びかける。「どうしました。あっしまだボケてませんけど。すっ転ぶの早くないですか。もしもーし」

 中堅芸人としての精一杯のアドリブだろうが、誰も反応できなかった。全くもってそれどころではなかった。

 テーブルや青年の姿に視界を阻まれ、黒ローブの長い裾だけが壱八の眼に入った。裾の断続的な動きで、両脚が痙攣気味に震えているのが判る。

「ぐぁ、あが……ぎぎぃ……うぐっ」

 大賀飛駆、超野茉茶、それと手持ちのサブカメラを抱えたカメラマンの三人が、床に倒れ苦しそうに呻き続ける塞の神を、それぞれの持ち場から一歩も動くことなく見下ろしていた。二組に分かれている客席が俄にざわつき始め、後方のスタッフ陣からも心配そうな声が上がった。

 次の瞬間、スタジオの重い空気を長い悲鳴が切り裂いた。書記役を擲ってアイドル声優の放った悲鳴は、恐怖映画のヒロインさながらの迫力をもって人々の心を掻き毟った。

 何だ。何が起こった?

「救護班、いや、救急車だ」

 床に倒れた塞の神の様子を窺っていたカメラマンが、切迫した蒼白い顔を仲間たちに向け、叫んだ。

「救急車を呼ぶんだ、早く!」

 彼はカメラマンとしての職務を放棄した。そうせざるをえない状況だと判断したのだ。

 撮影は即座に中断された。

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