第69話 未来の可能性

「なんでピッチャーって何度もバッター敬遠してもいいんだ?」

 ものすごく原始的な質問を、大介の息子である昇馬はした。

「それがルールでしょ」

 真琴がすぐに反応したが、昇馬はそれで納得しない。

「全然勝負してもらえない父さんが可哀想じゃないか」

 大介と対決しなければいけないピッチャーの方が、根本的には気の毒である。

 だが昇馬の目からすると、不公平に映るのも仕方がないのかもしれない。


 ルールだから敬遠はある。

 真琴はそう答えるのだが、大介ばかり敬遠されるのは、確かに不公平じゃないのか、と考えることはあった。

 なにしろ父である直史は、大介と対戦しても敬遠もフォアボールでの出塁もない。

 しっかり勝負して、だいたい勝って時々負ける。

 野球はそういうものじゃないのかな、とは真琴も思っているのだ。


 これについて説明するのは、言語化の得意な瑞希である。

「ほとんどの場合、勝負して打たれて点が入るより、敬遠でランナーを出した時の方が、点は入りやすいの。それが分かっていても敬遠するのは、本当に怖いバッターの証明になるの」

「つまり大介叔父ちゃんが凄いから敬遠されるんだよ」

「そうなのか」

 瑞希に続いて真琴が言って、一応それは納得する昇馬である。

「でもそれは、他のバッターだけなんだよね」

「そうそう、お父さんに関しては、絶対に逃げたほうがいいの」

「お父さんは100年に一人の、世界一のバッターだから」

 ツインズはうやむやにはせず、事実を語った。

 確かに大介は、レギュラーシーズンならまだしも、ポストシーズンになるとギアを替える。

 それによって絶対に、勝負は避けた方がいいと、統計に出てしまうのだ。


 もしも勝負したら、統計的には必ず単打以上が求められる期待値になる。

 そんな相手であれば、敬遠するのが効率的で合理的となる。

 もっとも大介は盗塁もするので、普通の期待値を持ち出してはいけない。

 大介を敬遠するならば、二塁にランナーがいて、一塁が空いているという状態が一番いい。

 それでも続くシュミットやグラントが長打を打てるため、得点の期待値は上がってしまうが。


「世界一なのに逃げられて勝負できないってひどいよな」

 昇馬の感想は、野球ファンならば普通のものだ。

 特にプロであれば、野球は興行なのである。

 単純に勝利を目指すのではなく、見てよかったと思える試合をしなければいけない。

 それでもワールドシリーズともなれば、やはり勝敗にこだわることになるのだが。


 大介と必ず勝負し、しかも首脳陣もそれを許す直史が、同じチームになったせいで、大介は対戦の機会が減ってしまった。

 もっともアナハイムとはリーグが違うので、元々ワールドシリーズまで勝ち残らなければ、対戦自体がなくなるのだが。

 大介にとって一番嬉しいのは、ラッキーズに移籍してくれることだろう。

 そうしたならばサブウェイシリーズで、直史と対決する機会が増える。


「父さんは無理なのかな?」

 これまでおとなしく話を聞いていた、司朗がそう恵美理に尋ねる。

 彼の父である武史は、大介と同じチームであるため、スプリングトレーニング中の紅白戦でもなければ、大介との勝負が成立しない。

 ただ五年契約が終わったら、おそらく別のチームになる。

 さすがにメトロズの総年俸が、上がりすぎるからだ。

 恵美理はアメリカにいるならニューヨーク在住を希望しているので、ラッキーズ以外なら単身赴任となる。

 そんなことになるぐらいなら、少しぐらい年俸を安くしても、メトロズかラッキーズを選ぶのが武史だ。

 年俸の支払い方によっても、上手く抑えることが出来るものだ。

「NPBのころはそれなりに抑えてたんだけど、あまり憶えてない?」

「そこそこ勝ってたよね?」

 そう、武史もある程度、大介と勝負できるピッチャーではあるのだ。

 もっとも難しい場面では、基本的に敬遠するのを恐れないのが武史だが。


 せっかく100年に一人のバッターがいるのに、凄すぎて勝負してもらえない。

 なんとも切ない話であるが、何人かは勝負してくるのだ。

 野球はそもそも、三割打てば一流なのだから、ピッチャー有利の競技なのは間違いない。

 大介だけが特別すぎるのである。

「決めた! 俺がピッチャーになって、父さんと真っ向勝負する!」

 宣言する昇馬に対して、大人たちはほっこりした気分になった。

 大介と勝負するということが、はたしてどういうことなのか。

 それ以前の問題として、昇馬が最速の高卒でプロ入りしても、MLBに来る頃には何歳になっているのか。


 MLBでは高卒ピッチャーがメジャーデビューするのに、数年はかかるのが当たり前である。

 大介はその頃、40代の半ば。

 いくら怪物であっても、さすがに身体能力は衰えるはずだ。

 特にバッターの場合、そのあたりで動体視力の限界がやってくる。

「出来たら『あぶさん』だね」

「サンデーにもなかったっけ?」

 ツインズもさすがに、それはないだろうなと思っている。


 現実的なところでは、40歳ぐらいでMLBを引退し、NPBに戻ってくるなら叶う願いかもしれない。

 もっともそれをやってしまうと、高校生になった昇馬に、大介が野球を教えられなくなってしまうのだが。

 あるいは中卒でプロ入りなら、これまた話は別だろう。

 一応NPBにおいては、過去に中卒からプロ入りした選手もいる。

 活躍したかと問われれば、沈黙するしかないのだが。


 しょせんは子供の言うことである。

 だが子供の言うことだからこそ、全力で応援してやるべきだと、白石家の家訓はそうなっている。

「じゃあ小学校の高学年になれば、私たちが教えてあげよう」

「男に混じって大学野球で活躍した、私たちの野球を!」

 そんなツインズの宣言に、なぜか嫌そうな顔をする昇馬であった。




 さすがにその頃には、叔父さんも引退してるんじゃないかな、と冷静に考えるのは司朗である。

 昇馬より一歳上の彼は、ほんのわずかだが昇馬よりも常識的だ。

 ボール遊び程度なら、同じく両親と一緒にしている司朗である。

 ただ彼の場合は、投げるよりも打つほうが、楽しそうだと思っているのだが。

 アマチュアならともかくプロは、先発だと出場する試合数が圧倒的に少ない。

 もちろん直史ならば、それが逆にありがたい、などと考えたりもするのだが。

 

 ツインズの言葉に反応したのは、むしろ真琴であった。

「女の人でも男と一緒にプレイ出来るの?」

 メジャーには男の選手しかいないし、そもそも身体能力は男の方が上。

 ずっと野球は性別で分かれたスポーツだと思っていたのだ。

「大学野球はずっと昔からそうだし、プロも本当は女の人も出来るし、高校も少し前に出来るようになったわよ。中学もそもそも一緒だし」

 そのあたりの知識は、一番詳しい瑞希である。

「なんで教えてくれなかったの」

「え……聞かれなかったからだけど」

「大切なことは教えないとダメでしょ!」

 瑞希としてはこの中で、一番運動に向いていない自覚がある。

 それに真琴は幼少時の心臓病で、スポーツには向いていないのかなと思っていたのだ。

 実際はオフシーズンなど、元気よく遊んでいるのだが。


 女子野球の世界から、男勝りに活躍した人間を、瑞希はもちろん知っている。

 そもそもツインズがそうであり、恵美理も練習試合で男子チーム相手に戦ったりした。

 リトルやシニアのチームなら、普通に女子も混じっている。

 もちろん少数派であることは間違いないが。


 アメリカでも普通に、女子野球はスポーツとして存在する。

 日本は昔はソフトボールの方が優勢であったが、最近は野球女子が増えて、全国大会も回数を重ねている。

 自分たちが最高学年の年、高校野球が女子に解禁されたのが、一番大きなことであったか。

 あとは六大学野球で、明日美とツインズが奮戦し、他のチームを叩き潰したこともあった。

 子供の可能性を、無意識のうちに限定していた瑞希は反省する。


 子供をどう育てたらいいのか、というのは常に親を悩ませるものである。

 だがなんとなく瑞希は、長男である明史の方は、スポーツには向いていないのかなと思わないでもない。

 真琴の活発さは、自分にも直史にも向いていない。

 心臓の手術が成功してからは、明らかに同年代の他の子供よりも元気である。


 おおよその未来は、自分たちはもう定まったと思える。

 社会の中で与えられる役割を、存分に果たしていけばいい。

 だが子供たちの未来は、まだ無限の方向性を持っている。

(女子スポーツの世界だと、良く分からないけど)

 女子プロ野球は以前、日本でもやろうと思った人間はいたが頓挫した。

 個人競技であれば、女子のプロスポーツもそこそこある。

 ただ団体でとなると、ほとんどないのではないだろうか。

 もちろん青春期の一部として、それを楽しむなら別なのだが。


 瑞希の思考は、野球以外の分野にも触れ始める。

 彼女のやっていることが、自分が当初思い描いていたこととはかなり違うとは、本人でさえも気づいていないものであった。

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