第68話 渇望
まだ足りないのか。
これだけの戦力を整えて、まだ足りないのか。
ミネソタ・ダブルズはアナハイムやメトロズのような、ほぼ単独のオーナーが掌握する、ワンマン経営の球団ではない。
だが実験を握っているのは、カールソンである。
彼の家族がミネソタの権利の大部分を持ち、カールソンがその代表として球団会長をしている。
この数年のチーム編成の成功により、ミネソタはワールドチャンピオンを狙えるようになった。
去年などはア・リーグにおいてはアナハイムに次ぐ勝率を誇っていたものだ。
とんでもない怪物がいるアナハイムであったが、野球は偶然性の高いスポーツだ。
野手の打線陣をしっかり揃えていたら、点の取り合いで勝つことが出来る。
直史が来る以前のMLBであれば、それは真理であったのだ。
実際にメトロズは、大介を中心とする打線の爆発で、ワールドチャンピオンになったと言ってもいい。
しかしアナハイムの赤い悪魔が、通常の三人分ほどの働きをして、ポストシーズンはスウィープで敗れてしまった。
そしてメトロズとアナハイムの、史上最高勝率の対決があり、その結果メトロズが勝った。
メトロズのチーム編成と、アナハイムのチーム編成にいささかばたつきがあったため、ミネソタにとってはチャンスになった。
事実メトロズはクローザーの不在、アナハイムは相次ぐ主力の離脱からチーム解体と、ミネソタがワールドチャンピオンになる下地は出来ていっていたのだ。
それがまさか、アナハイムの最高戦力が、メトロズの弱点を埋めるとは。
日本人同士で、ハイスクールのチームメイトだったという、その関係もあったのかとも思う。
またピッチャーはチームを変えると、ある程度適応するのに時間がかかる場合もある。
そんなことを考えていたが、実際のところメトロズは、圧倒的な連勝を始めた。
八月以降の勝利は九割と、ミネソタの年間平均七割をオーバー。
それでも直接対決をしてみなければ、勝敗というのは分からないものだ。
ミネソタが時間をかけて、育ててきた自慢の打線。
しかしそれは佐藤兄弟を相手にし、完全に封じられてしまった。
なぜあんなものが、同時代のしかも同じチームに集結しているのか。
去年のアナハイムをリーグチャンピオンシップで負かした相手であっても、直史をトレードで取れなかったのか。
それこそメトロズがトレードに成功しているのだから、ミネソタも成功してもおかしくなかったろう。
ただ、今のメトロズは、おそらくMLB史上最強のチームだ。
年間の勝率はともかく、八月以降の勝率は、52勝5敗から導き出される。
その中にはMLB新記録となる、27連勝も含まれていた。
昔と違って今は、ある程度の戦力均衡がなされている。
そんな中で27連勝というのは、非常識的すぎる数字だ。
あの道楽オーナーめ、とメトロズのコールには色々と言いたくもなる。
いくら老い先が短いから、好き放題に金を使ってやると思っても、こんな使い方があるか。
そうは言っても直史は、その成績に比べるならば、はっきり言って格安の存在だ。
取ろうとしなかったミネソタが悪いのである。
もしも直史がミネソタに来ていたら、間違いなくミネソタは、さらに絶対的な数字を残していただろう。
もっとも今年の直接対決でも、ミネソタは直史に完封されている。
ファンやチームが直史を受け入れるのは、感情的には難しかったろう。
しかし成功していれば、ワールドチャンピオンはかなり現実的であったはずだ。
ただ直史は、今年でメトロズとの契約も切れる。
ならばそこに、大型契約を持ち込めば、ミネソタが獲得することも出来るのではないか。
当初はトレード拒否権を持っていたが、アナハイムがチーム解体をするにあたり、トレードを受け入れたのだ。
どれだけ評価をするかは、球団次第である。
ワールドシリーズがミネソタからニューヨークに移り、メトロズのオーナーのコールは、GMのビーンズと仲良く、VIP席で試合を観戦したりしていた。
本当ならバックネット裏で熱気を感じたかったのだが、一般席が完全に満員になっていたため、仕方なくこちらに移動したのだ。
優雅に楽しむだけなら、確かにVIP席の方がいい。
だがコールは、ひたすらチームを強くして、優勝させたいと思ったオーナーだ。
その気持ちの根源は、子供の頃にMLBの試合を、砂かぶりでしっかりと目にしていたことである。
第三戦も勝利し、いよいよ連覇が現実的なものになってくる。
一時期はかなり失速したチームを立て直せたのは、間違いなく直史のおかげだ。
試合前の時間、コールはビーンズに話しかける。
「サトーの契約は今年で切れるんだったな」
「そうですね」
「今はいくらでやってるんだったかな?」
「三年3000万ドルとインセンティブです」
「来年も契約出来ないかな?」
さすがのビーンズも、おいおい待てよと言いたげな顔になる。
コールは道楽オーナーだ。
チームを強くするためならば、いくらでも金を使うというのが彼の心情である。
しかし大介を獲得するまでは、その情熱が実ることはなかった。
だがこの数年のメトロズは、間違いなく黄金期と呼べる強さを誇っている。
直史が来年以降もいれば、王朝と呼ばれる時代が続いてもおかしくはない。
もしちゃんとクローザーを用意して、先発に回したとしたら、どんな結果になるのか。
ビーンズとしてはわずか二ヶ月ならともかく、開幕からずっとであると、何か亀裂が入るような気もするが。
チームバランスという問題ではなく、嫉妬とでも言うべきもので。
メトロズは現在、チームの選手の総年俸が、一番多いチームとなっている。
MLBで決められた基準を大幅にオーバーし、ぜいたく税を多く払っている。
それでもコールとしてみれば、利益が出ているなら問題はない。
ワールドチャンピオンの栄光は、何度味わっても嬉しいものなのだ。
ただ、直史に相応しい契約というのはどれぐらいになるのか。
正直、年俸3000万ドルとインセンティブでやっている大介でも、安すぎるぐらいなのだ。
直史は確実に、年間30勝はしてしまうピッチャーだ。
しかし問題は、年齢にあるかもしれない。
パワーピッチャーでない直史は、おそらく選手寿命も長い。
ここから五年契約ぐらいをすれば、年間4000万ドルと、インセンティブもつけなくてはいけないのではないか。
コールならそれは、用意することは出来る。
だがさすがに、いい加減にしろと言われるかもしれない。
「ダメですよ、彼はメトロズとだけは延長しません」
そう言ったのは、アナハイムの新オーナーとなったセイバーであった。
招待されてこの試合を見ているセイバーは、大介から直史、そして武史と、日本人の怪物たちをMLBに招き入れた。
それに彼女は、アナハイムとの間の、直史のトレードを成立させた人間のはずだ。
その言葉に、コールは鋭い視線を向ける。
ビーンズもまた、訝しげな顔をする。
「アナハイムはもう一度契約するつもりかね?」
直史を放出したのは、主力の故障で今季が絶望となったからだ。
それがなかったら今年も、ワールドシリーズはアナハイムとメトロズの対戦となっていた可能性は高い。
「契約したいと思っても、彼は拒否するでしょうね。家族との生活が制限される、MLBの過密日程は嫌っていましたから」
「その中でも特に、うちとは契約出来ないとは、どういうことかね?」
それに対してセイバーは、明確に答える。
「彼は金銭も、名誉も、名声も、そういった虚飾のものは、何も求めていないんです。そんな彼がプレイする理由はなんだと思いますか?」
金は大切なことだ。
金で買えないのは時間ぐらいで、あとは愛でさえもおおよそは金で買うことが出来る。
コールはさすがに答えられなかった。
大介などは単純に、野球をするのが好きであるが、これとは違う。
「満足感ですよ」
「なぜうちと契約したら満たされないのかね?」
「成績を見れば分かりますが、彼はもうどんなバッターであっても、簡単に封じてしまうことが出来るんです。そんな彼を満足させる試合とはどういうものだと思います?」
「……シライシとの対決か?」
「そうですね」
満面の笑顔で、セイバーは正解だと告げた。
「だがそれなら、どうして今年、メトロズにトレードするように画策したんだ? アナハイムがポストシーズンを諦めてトレードデッドラインが過ぎるまで、ラッキーズやボストン、色々と候補はあったんじゃないのか?」
「それは彼に未練を感じてもらうためですよ」
セイバーの論理は明快であった。
このまま他のチームにでも移籍して、ワールドシリーズをメトロズと対戦した場合。
勝っても負けても、満足して引退してしまう可能性が高いとセイバーは思っていた。
そもそもそれが、直史の約束であったからだ。
しかしこの二ヶ月、大介と同じチームでプレイして、このまま引退出来るのか。
直史が考えを変えることに、セイバーは賭けていた。
もっともここまでは説明しないし、瑞希と接触した感じでも、直史は今年で本当に引退するつもりであるらしい。
それでもセイバーは、どうにかして野球の世界に引き止めるため、色々と画策したのだ。
大介と対戦するのではなく、同じチームでプレイして、共に喜びを感じてほしい。
そこからワールドチャンピオンになって、満足できるのだろうか。
ミネソタは直史にとって、対戦相手としてそれほどの脅威ではなかった。
こんな楽なワールドチャンピオンで引退して、直史は燃え尽きることが出来るのか。
引き止めるための手段は、本当に色々と考えたのだ。
だが最後に残ったのは、大介との再戦である。
「男の意地ですな」
「なるほど、それでは確かに、うち以外のチームとなるか」
圧倒的に不利な状況とはいえ、直史は大介にホームランを打たれて負けている。
この勝負をそのままに、引退できるのか、というものだ。
直史は実際のところ、とんでもなく負けず嫌いな人間である。
意地と誇りと執念を、直史にもたらす人間は大介しかいない。
「素晴らしい対戦を、また期待していいのかな?」
「全ては彼……いや、彼ら次第ですけどね」
そう語るセイバーの顔には、全く悪意の欠片はなかったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます