第59話 真相
ミネソタが最後にワールドシリーズに進出してから、もう半世紀ほどは経過している。
そもそもそのワールドチャンピオンの時代は、西地区に分類されていていたりもする。
それだけにこの年は、多くの地元ファンが期待していた。
前年久しぶりに、地区優勝してポストシーズンに進出。
そしてリーグチャンピオンを賭けて、アナハイムと対戦した。
その試合では圧倒的な直史のピッチングで、願いは断たれてしまった。
だが今年は前年、MLBの歴史を塗り替えた、二大強豪が弱体化したのだ。
ワールドシリーズ進出はもちろん、ワールドチャンピオンさえ現実的になった。
多くのファンがそう思っていたのは、八月に入る前までであった。
前年優勝したチームを最も苦しめたピッチャーが、優勝したチームに移籍。
確かに球団と選手に問題がなければ、それは禁止されてはいない。
だがいくらなんでも、それはないだろうという話である。
そんなことがありうるなら、アナハイムがチーム解体を始めた時に、直史を取っていけばよかったのだ。
もちろんそんなことは、チームとしてまとまっているミネソタとしては、出来るはずもなかった。
「そういうことなのかしら?」
「どうかな~?」
「アメリカだしね~」
恵美理の単純な質問に、ツインズはそんな返事をしてくる。
ただ恵美理の抱いた疑問は、ミネソタの深層心理にあったものなのだろう。
主力の離脱で今年のポストシーズン進出が難しく、ましてやワールドチャンピオンは無理だろうと思われたアナハイム。
そこから直史が移籍するのは、状況だけを見ればありである。
しかしツインズは、直史がトレード拒否権を持っているのを知っていた。
あくまでも拒否権なので、その気になればアナハイムにいることは出来たのだ。
だがトレードデッドライン直前で、メトロズとの話が出てきた。
大介との対決を望むのか、大介と共に対決するのを望むのか。
あの二人の関係からは、かなりの葛藤があっただろうな、とツインズは思っている。
ミネソタ以外であっても、たとえばシアトルが直史を取っていたら、ヒューストンを逆転して地区優勝をしていただろう。
そしてチーム力では劣っていても、どうにかワールドシリーズまで進めたかもしれない。
ただミネソタ相手にシアトルがボロボロになったように、直史もメトロズと対戦するまで、相当に消耗していたに違いない。
そうするとやはりシアトルは難しいし、ミネソタとは確執があると思えば、ボストンかラッキーズという選択があったのではないか。
ツインズはそのあたり、あまり追求しないがおかしいと思っているところはある。
ボストンはどうして直史を獲得しなかったのか。
またラッキーズもどうにか、直史を獲得する余力はあったはずなのだ。
メトロズによる直史の獲得は、かなり資金力をオーバーしている。
それでも勝てればいいというコールが、いい条件を出したということなのだろう。
しかしセイバーがアナハイムのフロントにはいる。
彼女が動けばメトロズよりも先に、ボストンなりラッキーズなり、あるいはちょっと心情的には厳しいが、ヒューストンあたりへの移籍の目途がついたのではないか。
もちろん選手の移籍については、GMの専任事項である。
だがセイバーがやろうと思えば、GMを動かしてメトロズ以外に移籍させる手段はあったと思うのだ。
今年の直史は基本中四日で、全ての試合を完封するスペシャルな記録を残している。
トレードデッドラインまでに獲得すれば、コンテンダーのチームであれば、どこでもワールドチャンピオンを目指せたのではないか。
ただ直史はキャッチャーの好みに、それなりにうるさいというところはある。
なので坂本、というのはその点だけを見れば、確かに納得する。
しかし大介との対決を選ばず、共闘を選んだ。
ワールドシリーズ一勝一敗で、今年が最後の直史の現役。
なんだかしっくりこないな、とは二人も思った。
そこで直史放出後の、アナハイムの様子を見れば、むしろ直史をメトロズに移籍させたのは、裏から手を回したセイバーではないのか、などという推測までが出てくる。
なぜかというと、直史を出した結果、最も利益を得そうなのが彼女だからだ。
まだ利益は出ていないが、確実に最高値からかなり安くなったところで、アナハイムの過半の権利を取得した。
これはファンによる、アナハイムのオーナーであるモートンへの抗議が、彼の運営するサービス事業に影響したからである。
昨年ワールドチャンピオンを争ったチームに、スーパーエースを売りつける節操のなさ。
いくら直史が今年で終わりだからといっても、せめて売る相手は選ぶべきであった。
チームとしてはプロスペクトを取れて、来年以降の巻き返しが見えている。
しかしモートンのビジネスとしては、大失敗なのは間違いない。
モートンが失敗したと言うよりは、ハメられたという印象の方が強い。
直史をメトロズに移籍させるという発想。
そしてそれを可能にするGMへの影響力。
モートンがそれによって、球団を手放すという予測。
そこから誰が一番、利益をこれから得るのか。
来季のアナハイムを建て直し、ファンを呼び戻すセイバーであろう。
色々とおかしな動きを、公平ながらも穿った視点から見ると、セイバーは直史と大介の対決より、己の利益の最大化を狙った。
それに前から聞いているが、セイバーがアナハイムの代表になるには、直史放出直前では、不可能であったのだ。
これについて二人は、お互いに似通った思考ながら、話し合っている。
かなり大きな問題のために、夫である大介や、兄である直史にも話してはいない。
瑞希あたりにも話せないし、恵美理にも話せない。
この自分たちの考えが、果たして妥当なものなのか、それともただの陰謀論なのか。
セイバーという人間は、直史や大介の利益になる行動をしてくれていた。
監督として白富東を掌握し、強力なチームの土台を築いた。
大介がライガースに決まった時は、さすがに彼女も動けていない。
だが直史の大学進学、それと後のプロ入りに関して、特にプロ入りに関しては、彼女が大きく関わっている。
もっとも直史が野球の道に戻ってくるのは、さすがに偶然の要素が強すぎたし、直史を単純にプロ入りさせるなら、もっとあくどい手をツインズでさえ思いつく。
彼女はそういうことはしなかった。
ただ直史が契約するにあたって、ポスティングの特約を条項に入れたのは、彼女の助言によるものだ。
あの時点では大介がMLBに行くなど、想像するのも難しかったであろうに。
だがその後、大介をメトロズに、直史をアナハイムにというのも、彼女の伝手を使っている。
そしてメトロズとアナハイムを上手く使って、彼女はアナハイムを手に入れたわけだ。
「陰謀論かなあ」
「ある程度はねえ」
たとえこれがセイバーの策略だとしても、全てが彼女のコントロール下にあったわけではないと思う。
そして彼女のやっていることは、直史や大介に害を与えるということでもない。
最後の年を、一緒のチームで。
これはもちろん二人の考えではないが、二人のためを考えたことではないか。
勝負というのはどうせ、どちらかが勝っても今年で終わるだけなのだ。
それならば勝負をさせず、ワールドチャンピオンを取らせたほうが、終わり方としては綺麗なのではないか。
こういう陰謀とか策略とか、そういうものが得意な人間。
そして直史やセイバーについて詳しい人間。
さらにはMLBの動きに敏感な人間。
「樋口君かな」
「樋口君だね」
ワールドシリーズのニューヨークでの試合に、樋口は見に来ると言っていたらしい。
他者の心理を悪意をもって見抜くという点で、樋口に勝るものはそうそういないだろう。
下手に深い知り合いでもないので、かえって相談もしやすい。
また今後のアナハイムに所属するので、オーナーの内面を知っておいた方がいいだろう。
ただ本当に相談するかは、直前まで慎重に考えないといけない。
ここまでの直史と大介、またその周辺の人間に関して、セイバーがやってきたことを整理する。
まず白富東における、セイバーの活動。これは純粋に大介や直史、他の後のプロ野球選手などに、しっかりとコネクションを作った。
実は他の学校の選手とも、少し話をしたらしいとは聞いている。
これはその後の、NPB選手のポスティングにおいて、彼女が果たした役割へとつながっていく。
大介のプロ入り後は、レックスのフロントスタッフとなっていて、特に大きな接触はない。
直史をプロの世界に入れたのは、真琴の病気が直接の影響なので、あくまでも状況を利用しただけ。
むしろ大介としっかり対決できるよう、セ・リーグのレックスへ入るように動いた。
「ここでおかしいのは、お兄ちゃんのポスティングに関する条項」
「まるで大介君が、MLBに海外FAすると分かっているような」
「それで大介君が、MLBに移籍した最大の理由」
「それは私たちとの生活をスクープされて、日本にいづらくなったから」
「私たちのことを、セイバーさんはある程度知っていた」
「あのスクープの収拾についても、セイバーさんが動いた」
「あのスクープとその解決はマッチポンプだった」
「ここでは明らかに、セイバーさんは悪意を持って動いている」
ただ大介はともかくツインズとしては、隠れて大介と暮らす必要がなくなったので、そこはむしろ良かったとも言える。
そう、セイバーはそれに限らず、当事者たちにとっては、むしろ良かった、とも言える状況を作り出している。
ニューヨークなら三人で出かけても何も言われないし、今では日本に戻っても、ゴシップネタにはほとんどならない。
堂々としていれば、それはゴシップになりようがないのである。
ため息をつきつつ、二人はセイバーのやったことを、表裏両面から見つめる。
ツインズにとっては決定的に悪いというものではなかった。
だがこの動きが、後に影響を起こしたとは言える。
イリヤの死である。
大介がMLBに来なければ、イリヤは日本にいただろう。
そして日本で子供を産んでいれば、あんな事件は起こらなかった。
もちろんそんなところまで、責任を追及するわけにはいかない。
己の衝動のままに行動するツインズだが、その後のことも考えるのだ。
ダイナマイトを発明したために戦争の死者が増加したとか、物理学の研究で核兵器が誕生したとか、そういうレベルの話である。
元々イリヤも、ニューヨークには戻るつもりであったのだ。
だから彼女の死の原因ではなく、遠因の中の一つと取るしかない。
しかしそれは人殺しの罪を、犯罪に使われた包丁を売った人間にまで適用するような、無茶な話である。
「MLBに来てからは?」
「メトロズとアナハイム、それぞれ優勝出来るようなチームを選んでくれた」
「おかげでMLBは盛り上がって、セイバーさんも得をした?」
「フロントに入れたんだから、それは間違いない」
「二年連続で同じカードになったワールドシリーズ、ものすごいお金が動いたはず」
「あとは大介君とお兄ちゃんも」
「ふたりはプリキュア」
「それは違う」
絶対に違う。
二年間の間は、確かに二人の対決のために、セイバーは動いていた。
二つのリーグに二人のスーパースターがいるという構図は、MLBの市場を大きくするために、とても重要な条件であったのだ。
ただこの三年目、アナハイムが崩壊した。
これはさすがにセイバーも想定外であったろう。
「対決したいのか、一緒に戦いたいのか」
「大介君は前者だった」
「お兄ちゃんは後者?」
「お兄ちゃんも前者だと思う」
直史が大介との対決を望んでいるのか。
そもそも直史は、大介と対決するために、プロに戻ってきたと言ってもいい。
真琴の手術代にしても、別に大介に借りる必要はなかったのだ。
その気になればツインズなり、他にも色々と伝手はあった。
たとえばセイバーなどもそうであるが、彼女も大介と似たような条件を出したかもしれない。
直史が大介の要求に、どういう感情を抱いたのかは知らない。
ただ即座に了承したことは知っている。
本来の人生設計を曲げてでも、娘のためにはプロの世界に入った。
しかし一度鈍った体を鍛えなおすためには、相当の苦労があったろうと思う。
兄として妹たちに頼らない、というのは直史らしい。
だが大介には頼んだし、そして大介は普通なら、軽く頷くぐらいには、直史に対して友情を感じていたはずだ。
そこに五年の期限付きというのは、おかしな話だとも思う。
結局はMLBという大舞台に、二人を連れ出すことには成功した。
ただ、ここで直史と大介の対決を、演出しなかったというのはどういうことなのか。
二人が消化不良になるのでは、とツインズたちは思う。
セイバーは二人が完全燃焼するよりも、アナハイムを手に入れることを優先したのか。
それなら確かにひどい話であるが、何かまだ目的があるような気もする。
彼女は基本的には、善良な人間であるのだ。
もっともそれは、法を守るとか、卑怯な手を使わないとか、そういうタイプの善良さではない。
道徳的に顔向け出来ないことを除けば、やれることはいくらでもやる。
白富東にあそこまで個人で投資するというのは、かなりグレーなことだったはずなのだ。
何かを企んでいる。
二人が揃ったメトロズと、ミネソタとの対戦。
これが彼女の描いた、最後の絵図面なのか。
どうにも違和感があるのは、二人とも同じである。
ならばどうするか。
ツインズであれば物理的に、セイバーの企みを阻止することは可能である。
しかしセイバーの陰謀は、むしろ二人を利するものかもしれない。
そういう敵味方であっさりと分けられないところに、セイバーの厄介さはあるのだ。
直史や大介に伝えるべきであろうか。
だが二人のセイバーに対する信頼は、15年もかけて作られたものだ。
それに本当に、単なる金銭的な利益ならば、直史も大介も充分に手に入れている。
ただあの二人のうち、特に直史は、他者の思惑の通りに動かされるのは嫌いなはずだ。
しかしそれを知らせても、セイバーに対して何か逆襲する手段などはあるのか。
「なるほど、これが本当の策略か」
「相手に利益を与えて、自分はそれ以上の利益を得る」
「これは強い」
ツインズは基本的に、敵対者は殲滅という考えである。
だがセイバーはそもそも、敵対者を作らないように利益を上げている。
さすがに金融関連では、ゼロサムゲームなので破産するものもいるだろうが。
二人は互いにため息をつく。
「言わないほうがいいね」
「どうせ今年で終わりだし」
直史と大介の人生は、まだまだ続いていく。
それは別に野球のことだけとは限らずに、また交わることがあるのだろう。
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