第56話 残されたもの
ミネソタに対してシアトルは、健闘したと言っていいだろう。
先に一勝し、二戦目も途中まではリード。
三戦目を落として諦めずに、四戦目を勝利する。
だが第五戦には、それまで使ってきたピッチャーの疲労が、もうどうにもならないところまできていた。
野球はピッチャーから始まる。
特に短期決戦は、ピッチャーが勝てば試合は勝つ。
それを最もよく知っているのは、高校野球で甲子園を経験している者だろうか。
第五戦、ミネソタは打線が二桁得点し、シアトルを打ち破った。
それでも第五戦まで粘られた、と言うことは出来るだろう。
同じア・リーグでもヒューストンは一足先に、リーグチャンピオンシップ出場を決めている。
このヒューストンと、ワールドシリーズ進出をかけて対戦するのだ。
戦力自体は、ミネソタの方が上だとは言われている。
実際にレギュラーシーズンでの勝ち星は、軽く10勝以上も差があった。
しかしシアトル相手に、上手く試合を運ばれたと言っていい。
ヒューストンも長くポストシーズン進出を続けていて、レギュラーシーズンとは違う戦い方を知っている。
それに比べるとミネソタは、去年が久しぶりにポストシーズン出場となったのだ。
さらにその前年は、地区最下位。
打線は若手が多いために、プレッシャーの利用の仕方がまだ分かっていないのか。
だからこそ去年は、アナハイム相手にスウィープで負けてしまったのか。
それでも今年、114勝したのがミネソタなのだ。
またピッチャーの運用を見てみれば、無理にエース球を短い間隔で投げさせることなく、チームの打撃力に信頼を置いている。
シアトルとの最終戦など、その打撃力がまさに花開いたと言っていい。
ここまでの苦戦は、むしろこの日のために。
そんな感じで粉砕して、シアトルを打ち破った。
織田としても最終戦は、さすがにもうどうしようもなかった。
ピッチャーがしっかりと投げてくれて、第四戦を勝てたのが奇跡、とさえ思えたのだ。
それにミネソタは、しっかりとピッチャーを温存した。
普通のローテピッチャーを使って、打撃力でシアトルを上回ったのだ。
むしろこうやって苦しい状況を与え、ミネソタを鍛えてしまったような気さえする。
だがとりあえず、今年のシアトルの、そして織田のシーズンは終わったのである。
織田はここから、ニューヨークでしばらく過ごす。
ケイティがいるということもあるし、子供にも会いたいからだ。
シアトルにはシアトルで、いい仲の女性がいたりする。
しかし織田は独身であり、別に婚約などもしていない。
自由恋愛というわけではないが、この時期はニューヨークで過ごすのだ。
特に今年は、まだメトロズが残っている。
そして最後まで残るのだろうな、と織田は思っている。
ニューヨークはラッキーズもポストシーズンに進んでいたが、ヒューストンの前に敗退していた。
そう特別仲がいいというわけでもないが、織田は同じ敗北仲間の井口を訪れたりもする。
NPB時代は千葉の織田と東京の井口で、それなりに交流はあった。
オールスターなどではしょっちゅう顔を合わせていたものである。
シーズンが終わってしまった二人は、ラウンジなどで酒を飲み交わしたりもする。
アメリカという広大な大地にいると、無性に日本が恋しくなったりもする。
「どこが勝つと思う?」
「メトロズ、でしょうけどヒューストンが勝ってもおかしくないかな」
「ヒューストンはミネソタにも勝てないだろう」
「いやいや、今は分かりませんよ」
こうやって適当な予想をするのも、敗北した者の特権である。
それでも今は、悔しいものであるが。
井口の場合は特に、同じニューヨークがもう1チーム残っているのだ。
それもこの三年で、二度の優勝をしている。
久しくない連覇を、メトロズが果たしてしまうのか。
その可能性は相当に高いなと、二人の認識は共通している。
もっともアメリカのメディアによると、案外優勝の予想は拮抗していたりする。
ただそれでも、メトロズとミネソタが二大本命ということは変わらない。
直史と大介が揃っていて、ついでに武史までいるのに、どうしてそんな評価になるのか、と二人は思う。
だがそれはどうやら周囲には、日本人びいきに見られるらしい。
直史と大介、ついでに武史の戦力も数えたら、ミネソタを大きく上回っていると思う。
まだ七月までの段階なら分からなかったが、八月以降の2チームの勝率を見てみるといい。
ミネソタのおよそ七割もすごいものだが、メトロズのそれは九割を超える。
そして重要なことだが、直史はレギュラーシーズンで二度ミネソタと対戦し、二度とも完封している。
それでもなお、ミネソタ有利派や、両雄拮抗派が存在するのは、直史が先発をするとメトロズからクローザーがいなくなるから、という理由らしい。
確かにクローザーを欠いていた時期のメトロズは、精彩を欠いていた。
だがこの短期決戦のポストシーズンでは、直史と武史だけで、二勝ずつしてしまうのではないか。
第一戦に先発したら、第六戦は中六日。
そして第二戦に先発して、第七戦も中六日。
移動に一日休みが取られるだけ、レギュラーシーズンよりは楽な日程になっているのだ。
むしろ周囲のアメリカ社会が、日本人ばかりが活躍するのに、拒否反応を示しているのではないか。
アメリカの差別感情と言うか、無意識の悪意というのは、かなり根深いものがある。
ネイティブ・アメリカンを家畜扱いした過去、黒人を家畜扱いした過去。
この二つは完全に歴史上の汚点であり、アメリカの宿痾と言ってもいいだろう。
特に黒人は絶対数がかなり多いため、過去の公民権運動も盛んであったし、今でも犯罪を犯しても逆に問題になったりする。
ただそれなりに長くアメリカに住んでいる織田などからすると、アメリカの人種差別はもっと根深い。
白人の中でもアイルランド系、イタリア系などの移民において、独立以降も大きな問題であった。
またユダヤ問題などは、アメリカに限ったことではないが、これも大きな問題だ。
日本にもまったくこういった問題がないわけではないが、アメリカのそれと比べると小さな問題で、地域的な要素が大きい。
特に織田と井口などは、そういったものを経験していない。
「あんまり活躍しすぎると、変なところで爆発するかもしれないなあ」
「……俺としてはイリヤの件が、かなりそれに近い感じなんだけどな」
「……あれはちょっと、ミザリーとかそういう系統のような」
実際に読んだことはなくても、概念としては知っている井口であった。
まったくアメリカというのは、有名人が殺される国である。
もっとも有名人が襲われるのは、普通に日本でもあることだ。
実際に野球選手が襲われて、その時の怪我が元で、結局は引退したということもある。
ストーカー行為などは、普通に日本でも多いのだ。
ただアメリカの場合は、銃があるので過激なことになったりするが。
ミネソタとヒューストン、もしメトロズと対戦するなら、どちらの方が面白い展開になるだろうか。
それはミネソタだな、と二人の意見は一致する。
ミネソタのMLB最強打線を、どうやって直史は封じてしまうのか。
レギュラーシーズンではそれを、ずっと見ていた織田である。
ポストシーズンの直史がどうなるか、それには大きな興味があった。
ア・リーグのチャンピオンを決める、七試合が行われる。
正確に言えば、最大で七試合だが。
先に四勝してしまえば、ワールドシリーズへの進出が決定する。
戦力的な特徴からして、優位なのはミネソタ。
しかしヒューストンはこの10年ほど、ほとんどをポストシーズンに進出している。
ミネソタも去年ポストシーズンに進出したが、それまでは中途半端な低迷期が続くことが多かった。
地区優勝の前年は、地区最下位。
そういったメリハリがあった方が、一部の資本力の高いチームと比べて、MLBではワールドチャンピオンに届きやすい。
またポストシーズンの経験も、どうかというものだ。
移籍の多いMLBにおいては、どのチームにもワールドチャンピオンになった選手ぐらいはいる。
だからその点では、さほどの優位はないだろう。
それが指揮官となると、これまた話は変わってくるだろう。
ヒューストンというチームは、もう長らく西地区で強豪となっている。
また球団の中には、ワールドチャンピオンになった時代を知っている者もいる。
現役の主力の中には、さすがにもういなくなっている。
だがミネソタ相手に、どうにかなりそうな試合を、展開できるとは思っている。
第二戦の先発を任された蓮池は、第一戦を眺めている。
全体的にやはり、ミネソタの方が戦力は強い。
ただチームが有機的かというと、どうもそういうものが感じられない。
力任せの攻撃というのが、打線陣にはよく見られるのだ。
しかしそうやって、最も単純化した打撃力は、分かりやすくて強い。
ホームランをどんどん狙っていって、長打が重なっていく。
下位打線は球数を投げさせることを徹底しているのか、それでも出塁は目指してくる。
そこから上位打線につながると、一気に大量点すらあるのだ。
フィジカルをとりあえず鍛えて、そこから技術を磨いていく。
MLBのやっていることは、大阪光陰でやっているのと同じようなことだ。
ただ高校野球よりもさらに、まずはフィジカルが重視される。
そもそもプロで通用しないフィジカルに、テクニックを積み上げていくのは、効率が悪いと考えられているからだろう。
実際のところ高校野球では、二年と四ヶ月しかないのだから、素材としてはもう出来上がっているものに、技術を追加していくのは間違っていない。
しかし直史のピッチングなどを見ていると、天才は常識を軽々と超えてくる、というのもはっきり分かるのだが。
この第一戦において、ヒューストンはあまりにも真正面から、ミネソタの打線に突撃していった。
それでも他のチームに比べれば、ずっとマシな結果であったのかもしれない。
しかしミネソタの攻撃力を、先発だけでどうにかすることは出来ない。
球数自体はそれほど増えていなくても、とんでもない攻撃力を持つミネソタ相手には、消耗が大きいのだろう。
主に精神的に、疲れてくる。
そしてミネソタは去年から、投手陣も獲得していっている。
強化された先発を、バランスのいいヒューストンの打線は、それなりに打つことが出来る。
ただ終盤に入ってからは、その均衡が崩れた。
ヒューストンのリリーフを打ち崩し、ミネソタは上手く継投をつなげる。
かなりの打撃戦であったが、12-8とミネソタが勝利した。
ここでのポイントとなるのは、どちらのチームも勝ちパターンのリリーフを使っていったということだ。
しかしヒューストン側は、クローザーまでは使っていない。
四点差というのは追いつけると思うには、厳しい点差なのだ。
それに対してミネソタは、この点差でもクローザーを使ってきた。
正確にはミネソタは、現在クローザーが二人いるので、その点で余裕があるのだ。
今年の七月までは、アナハイムにいたピアースを、リリーフとして獲得している。
今年一年で契約が切れるが、それでもこうやってポストシーズンでは役に立つ。
メトロズがクローザーで取ったはずの直史を、先発として使っているのと対照的だ。
戦力の有効利用という点では、ミネソタの方が上であろうか。
こうやってリリーフ陣が優秀であったことが、シアトルの下克上を阻止する最大の要因となったのだろう。
「だが、まあ分かったかな」
レギュラーシーズンでも、ミネソタとは対戦している蓮池である。
一応は勝っているが、それでもレギュラーシーズン用のピッチングであった。
このポストシーズンは、やはりポストシーズン用のピッチングをしなければいけない。
終盤でしっかりと、相手の下位打線を抑えることが出来るか。
蓮池は出来ると考えているが、チームとしてミネソタに勝てるかと言われれば、難しいと言うしかない。
第一戦に蓮池が投げて、上手くミネソタを封じられたら、そこに勝機があったかもしれない。
しかし蓮池に対する評価より、他のピッチャーへの評価を優先した。
だから結局、ヒューストンは負けるのだ。
(まったく、もっと合理的に考えられないものか)
日本に比べれば合理的なはずの、アメリカの野球。
だがそれも最後には、ガッツだのどうのと言われる。
蓮池は元々が、テクニカルな面が全てを言う、陸上競技の出身だ。
メンタルなどというものは、全くもって信じない。
それこそが彼の、メンタルの強さとも言えるのだが。
(まあ俺の評価を上積みする、実験台になってもらうか)
異色のピッチャーである蓮池は、真にプレッシャーとは無縁の存在であるのかもしれない。
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