第45話 挑戦者
メトロズとのカードで先発が回ってきたら、それだけで嫌な顔をするピッチャーがいる。
あのとんでもない打撃陣、その中でも大介との対決を考えると、どうしても悪いイメージばかりがついてしまうのだろう。
メジャーリーガーなどというものは、どいつもこいつもおおよそは自信過剰である。
その自信に加えて、ひたすら野球をやり続けるという、偏執的な愛情がなければ大成しない。
そこまでやっても才能の前にひれ伏すのが、MLBという世界であるのだが。
本多などはいくら打たれても、楽しみでたまらない。
勝つまでやるから、勝負事というのは楽しいのだ。
負けるのが嫌ならば、最初から勝負などしなければいい。
逃げれば負けることを経験せずに済む。
だが戦うならば、負けるという経験に加えて、挑戦する強さを手に入れることも出来る。
誰だって最初から、強いわけもないのだ。
特に野球などは、集団競技なので自分一人では、どうしても勝てないということがある。
負けた時に立ち上がって、勝つまでやってやるという人間。
別に野球に限らず、多くのことは他人と競うことが多い。
それでも勝つまでやっていたら、代えの利かない人間になることが出来る。
本多は今年、これでメトロズとの対戦は終わりである。
またアナハイムとの対戦では、直史と投げ合うことはなかった。
ポストシーズンで勝ち進めば、またメトロズと戦える可能性は高い。
なにせもう三年も連続で、リーグチャンピオンを賭けて戦っているのだから。
ちなみに本多自身はそれなりに勝っているが、チームは毎年負けている。
本多はなんだかんだ言って、勝つまでずっとやってきた。
大介を相手にしても、プロの舞台でそれなりに、封じてきたのが本多である。
諦めなければいつかは、どんな形になるかは分からないが、勝つことは出来る、かもしれない。
しかし勝負をしなくなれば、負けることはなくなっても、勝つことも出来なくなるのだ。
ほんのわずかではあるが、大介のバッティングのクオリティが低い。
まさに本多だからこそ、気づいたことかもしれない。
だがメトロズのあの連勝記録を見れば、その反動も強いと分かるだろう。
調子が良すぎたあとに、スランプというのはやってくる。
本多にしてもコントロールに苦しむことが、年に一回か二回は波のようにやってくる。
全く調子を崩さない直史のような人間は、珍しいと言うよりも異常なのである。
MLBという世界は、化け物の巣窟、とまでは本多は思わない。
確かにレベルが高いなとは思うが、高すぎるほどではない。
もっとも、NPBとは異質だな、と思うことは多い。
シニアから高校に上がり、高校からプロに入り。
そこまでは確かにレベルがどんどん上がっていったが、異質とは感じなかった。
しかしNPBからMLBという過程では、間違いなく野球の質が変わった。
それは一つ一つのプレイの質とかではない。
重要視するものや、優先することが変更したため、評価の内容が大きく変わったのだ。
もちろんシニアから高校、高校からプロと、フィジカルのレベルやパワーにスピードは段違いとなった。
しかしそれは、そのまま真っすぐにすすめば、普通に追いつけるものであったのだ。
だがMLBの数値評価は、正直なところかなり戸惑った。
勝負すべき場面や、それに勝った評価。
またプレイの価値も、日本の野球とは違うのだ。
おそらくこの文化の違いが、NPBではトップでも、MLBでは通用しない、というものなのだろう。
もちろん使われているボールの違いも、よく言われていることである。
ただ本多の大きな手は、その違いには簡単に適応した。
戦略的に長く考える、というのが本多の感じた違和感だ。
それでも適応できないほどの差ではない。
本多はいい意味で、鈍感なところがある。
そのくせ勝負の勘所は間違えないのだが。
その勘が、今日は冴えていた。
ヒットは打たれたが、要所を抑えて七回無失点。
もっとも敬遠したわけではないが、大介を歩かせてしまった場面はあったが。
本当に三振の取れないバッターだ。
それでも今年は怪我から復帰後、例年になく三振は多いのだが。
高校時代、最後の一年は被っていなかったが、甲子園での打率も八割を超えたという。
初めて出場したセンバツでは、一大会三試合で、五本のホームランを打った。
本多が初めて大介を見たのは、それよりも早い段階である。
練習試合でBチームと、大介の高校が対戦したのだ。
あの体格で打てるのか、と当時は思っていた。
だが結果としては甲子園で、おそらく永遠に消えない記録を残した。
そして今日は、相棒がメトロズのクローザーとして控えているのだ。
本多のような正統派のパワーピッチャーであり、フィジカルで勝負する人間にとっては、理解不能であった。
しかしあのピッチングを見たからこそ、本多の思考は柔軟になったとも言える。
今でも本質的には、力と力の勝負を挑んでしまう。
だが勝利に徹するには、ああいった技術も必要なのだ。
そしてあれは、単純に鍛えるだけでは、身につくものではない。
針の穴を通すようなコントロールに、バッターを翻弄する洞察力。
魔球が注目されるが、それは余技に過ぎないのだ。
本多が充分なリードを取って託した試合が、メトロズに追いつかれそうになる。
そして九回の表で逆転された時、本多は諦めた。
自分の仕事は果たしたのだ。
ただそれだけでは、足りなかったというだけだ。
諦めたが、また明日から次の戦いが始まる。
そうやってどこまで戦い続けても、追いつけない存在などがあるが。
直史は今年、先発として既に25勝していた。
八月からはクローザーに回り、それでいて最多勝レベルの勝ち星。
もっともナ・リーグの勝ち星については、武史が上回るのだろう。
現時点で24勝1敗。
またもア・リーグとナ・リーグで兄弟受賞だ。
他に並べるほどのピッチャーが今はいない。
弟の方も弟の方で、これは本多にも分かりやすいパワーピッチャーだ。
しかしこれを不気味だとは、本多は思わない。
本多は甲子園で上杉を見た。
シニアの時代から、遠目でその試合を見ることはあったのだが。
当たり前のように、三振をどんどんと取っていく。
そして対決したのは、甲子園である。
パワーピッチャーの完成形は上杉であると、今でも本多は思っている。
故障から復帰した上杉は、セーブ失敗なしのMLB記録を作った。
しかしそこまでやっても、本多から見れば衰えたな、と思うのだ。
正確には衰えたのではなく、失われた力が回復しきらなかったのだが。
上杉に憧れるピッチャーが増える中、直史が出現した。
140km/hを投げなくても、充分全国制覇は可能なのだと、あの甲子園で証明した。
試合自体は決勝で敗れたが、あの準決勝で、当時最強であった大阪光陰との対戦を思えば、間違いなくナンバーワンピッチャーであった。
プロには行かずに大学に進んだ直史を、本多はそれなりに見たことがある。
同じ在京球団であったことが、その余裕を生ませた。
大学野球での直史は、無双という言葉すら生ぬるい、まさに神であった。
在学中に球速は150km/hを超えたため、今度はプロに来るのか、とも思ったのだ。
それが大学で、野球は終わり。
そのくせクラブチームに入って、エンジョイ野球は続けていたが。
もしも志望届を出していれば、果たして何球団競合となっただろう。
本多の所属していたタイタンズは、育成指名で直史を指名したことがある。
育成ではあるが、もしも入団したら即座に支配下登録。
クラブチーム時代の直史は、社会人のチームを相手にしても、やはり無双していたのだから。
結局プロの世界には入ってこなかった。
本多としてはあの才能が、大学まででも見れて良かったのかな、と思う。
直史ほどではないが、野球は高校で終わり、という選手は多かったのだ。
それは帝都一のような、毎年のようにプロを輩出する学校でも、普通にいたものだ。
直史はクローザーとして登場し、トロールスタジアムに大歓声を呼び起こした。
その内容は喜怒哀楽にとどまらず、全ての感情を呼び覚ますようなものであった。
直史のパーフェクトピッチングの達成の衝撃で、冗談ではなく何人かはお年寄りが死んでいる。
もちろんそれは、直史に責任のあることではないが。
こうやって敵として見ていても、色々と学ぶことが多いピッチャーだ。
ただピッチングの方向性は、基本的に本多とは違うのだろう。
クローザーとして登場しながら、わずか八球でトローリーズの最終回を完封。
これでまたトローリーズは、直史相手に負けたようなものである。
翌日からの第二戦と第三戦、先発ローテの本多はもちろん、直史も出番がなかった。
勝敗は結局、メトロズの二勝一敗で終わる。
今年のポストシーズンも、メトロズと対戦する可能性はある。
本多としてはその時こそ、逆襲の機会であると考える。
三年も連続で、メトロズとトローリーズは、リーグチャンピオンシップを戦っている。
まさにこの2チームが、ナ・リーグの代表とでも言いたいように。
もちろん実際は、他のチームも多くが、ぎりぎりの試合を繰り広げている。
その中でもメトロズは、またもワールドシリーズを狙っているのか。
MLBの戦力均衡の中でも、トローリーズはかなりの割合で地区優勝を果たしている。
だがメトロズのように、三年も連続でワールドシリーズ進出ということはない。
もしも直史がいなければ、メトロズは三連覇を果たしていただろう。
そしてその直史が、今年はメトロズにいるのだ。
クローザーとして直史を使うなら、それほど怖くはない。
だが先発として間隔を詰めて使われるなら、おそらくそれでポストシーズンは終わる。
そろそろレギュラーシーズンでは、誰がMVPに相応しいかなど、そういう話も出てきている。
その中でア・リーグとしては、ブリアンの名前が挙がるわけだ。
本多からしてみれば、今年も直史だったよな、と思うのだ。
トレードさえなければ、おそらく35勝ほどはしていたはずだ。
そしてミネソタ相手でも、完全に封じ続けていた。
ブリアンが野手のスターであるので、今年は言い訳がついてよかったな、と皮肉にも思う。
ただサイ・ヤング賞は二ヶ月いなくても、直史のものである。
積み重ねたWARが巨大すぎるのだ。
スタジアムから去っていくメトロズを見ながら、本多の意識はポストシーズンに飛ぶ。
一時期凄まじくアンチが増えた、トローリーズ。
チーム内の雰囲気も悪かったが、大介の復帰でそれは忘れられた。
忘れられただけで存在しなかったわけではないが、強烈な向かい風は消えている。
ポストシーズンで対決したら、また思い出される可能性は高い。
だがそんなことで、本多の戦意が消えるはずもない。
また、ポストシーズンで。
そしてそれが過ぎ去っても、また来シーズンで。
どちらかが引退するまで、勝負は続いていくのだ。
あるいは国際大会で、また一緒にならないものか。
「再来年にはWBCもあるけどなあ」
本多は呼ばれれば、ぜひ参加したいと思っている。
また日本人は、そういうプレイヤーが多いのではないか。
最強のチームで、またWBCの大舞台で。
かなわない夢を見つつ、また本多のシーズンは続いていくのであった。
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