第43話 喜劇

 喜びも過ぎれば心臓に悪い。

 敵地ながらオーナー席から観戦していたコールは、記録の達成と共に、ガッツポーズをしたものであった。

 これで永遠に、記録は残る。

 もちろんこれまでも、普通に優勝の記録などは残ってきた。

 だがこれは記録と言うよりも、もはや事件である。

 この連勝記録についてはいずれ、何者かが本に残すかもしれない。

 その時には間違いなく、コールの言葉も求めてくるだろう。

 戦力均衡がMLB自身によって、強固に求められている時代。

 この記録を覆すことは、もう絶対に出来ないであろう。


 80歳をとうに過ぎたコールは、己の財産になどさほどの興味もない。

 ただひたすらに自分の求めるものを、追い続けているのだ。

 金にあかせた行為と言われても仕方がない。

 だが最強のバッターを手に入れて優勝し、最強のピッチャーにワールドシリーズで破れ、その翌年には最強のピッチャーにリベンジした。

 そしてこの年には、調子を落としたチームのために、最強のピッチャーを手に入れた。


 ぼくのかんがえたさいきょうのちーむ。

 コールはついに、その夢をかなえてしまったのだ。

 誰もが見る、子供の頃の夢。

 それを追いかけ続けて、諦めることが出来ずに、コールは達成してしまった。

 しかしそれには、かなりの時間がかかってしまった。

「少し、興奮しすぎた」

 心臓が先か、脳の血管が先か。

 コールにはもう年齢に相応しい、持病が存在する。

 チームの一勝ごとに、大喜びするというのはさすがになくなっていた。

 しかし連勝が続いていくと、さすがにもうどこまで続くのか、期待で夜も眠れなくなる。

 睡眠薬を処方してもらったのは、本当の話である。


 27連勝。

 年間128勝というおかしな数字も、去年は叩き出していた。

 今年はとにかく、連覇を狙っていきたい。

 それが達成されてこそ、本当の最強のチームと言えるだろう。

「お医者様に」

「うむ」

 医療費が高額のアメリカであっても、コールほどの大富豪には専属の医者がいる。

 残り短い余生を過ごすためにも、金は使わなければいけないのだ。




 コールが検査のために入院したところに、訪れた者がいる。

 現在は立場的には、敵対者であるはずのセイバーだ。

 かつてはボストンのフロントの一員として、様々な現場に出ていた。

 今は職員からオーナーの一員で、同じフロントでも立場が違う。

 そんな彼女がコールを見舞うのは、それほど不思議なことでもない。

 彼女の手はボストンを離れてから、あちこちに伸びている。

 彼女にとってみれば、本当の意味での敵対者などはいない。

 チームとしては対戦者であり、確かに勝敗は存在する。

 しかし巨大な舞台を作るという点では、共に出演者であるのだ。


「おめでとうございます」

 セイバーはそう言ったが、ベッドに横たわるコールとしては、言葉のまま受け取ることは出来ない。

 彼女がアナハイムの筆頭株主になったことは、コールとしても既に聞いていたからだ。

「うちのチームに勝てるかな?」

「今年は無理でしょうね」

 アナハイムは完全に再建に周り、主力の多くを手放した。

 その中の最大のものが、メトロズのクローザーとなった直史であるのだ。

 おかげで今年のアナハイムは、地区の最下位を争うことになる。

 オークランドが意外と連勝もしたりするため、最下位ということすらありえる。

 それもまた一つの、面白い展開ではある。


 この動きは果たして、彼女にとってはどういう損得勘定になったのか。

 目先のことばかりを考えて、セイバーが動いたはずもない。

 ただアナハイムの資産価値は、まだまだ徐々に下がり続けている。

 モートンから買うのが、少し早かったな、とコールなどは思っている。

 底値で買って、高値で売る。

 コールなどは不動産投資で、莫大な資産を築いたものだ。


 かつてコールは、セイバーと約束をした。

 しかし彼女の動きから、その約束は無効になったのかな、とも思ったものだ。

 だがこうやってセイバーは、コールとのつながりを保とうとしている。

 彼女がコールに渡した、大介という鬼札は、MLBというリーグ全体の活性化を促した。

 そして長年コールが望んでやまなかった、ワールドチャンピオンの座まで。

 翌年には彼女のチームにしてやられたが、その翌年にはなんとか逆襲を果たした。

 そして今、最強のピッチャーもコールの手の内にある。


 直史にはそれとなく、来季の契約について話しているのがGMのブルーノだ。

 しかし直史はそれにしっかりと、来季については何も決めない、と答えている。

 確かに直史が過去に残してきた成績を考えれば、年俸は4000万ドルあたりから交渉スタートになるだろう。

 さらにインセンティブを付ける必要や、オプトアウトを付ける必要もあるだろう。

 さすがに直史にまでそのような年俸を払えば、メトロズの年俸は膨大なものとなってしまう。

 それでもコールは払う気はあったのだが、直史は謝絶した。

 もうちょっと押してみようかとは思ったが、今はレギュラーシーズン中。

 オフになってから改めて、そういうものは話した方がいいとブルーンにも言われた。


 コールとしては大介や直史、そして武史や樋口を、セイバーが連れてきたのをおおよそ理解している。

 もちろん代理人は他の人間であったが、セイバーの意向が働いていた。

 そのくせ今回の直史の移籍には、彼女の動きは鈍かったのだが。

「君は以前、メトロズのオーナーになりたいと言っていたが」

「今でもそれは変わりませんよ」

 コールもなにしろ高齢であるから、いつ何があるかは分からない。

 球団については出来れば、ちゃんと責任をもって運営してくれる人間に託したいと思っていた。

 セイバーはその一人のはずであった。


 アナハイムの権利の過半数を手に入れたとは、コールも知っている。

 そしてオーナーが二つのチームを手に入れることは出来ない。

 アナハイムを手に入れれば、彼女の野心というか、希望はかなうはずである。

 しかしセイバーとしては、最初からこちらの方を狙っていたのだ。

「来年はまたコンテンダーになって、球団の価値を上げますよ」

「ああ、なるほどそういう順番か」

 コールは想像したのだ。

 安く買って高く売る。

 彼にはたやすく理解できる。


 今のメトロズの資産価値からして、セイバーが手に入れるには資金が足りない。

 だからまずは、アナハイムに手を出した。

 アナハイムの資産価値が急落したところで、その権利の過半数を獲得。

 そして彼女の長い手で、おそらくまたも日本から選手を取ってくるのだろう。

 するとアナハイムはまたも、勝てるチームとなって資産価値が上がる。

 その上がったところで売却するなら、彼女に入る利益は大きいはずだ。

 そこまでやって資金を作って、メトロズを買収する。

「そんなところかな?」

「まあここからの数年で、それはやっていく予定ですね」

 そしてさらなる未来については、もうコールには関係はないのかもしれない。


 セイバーの考えていることは、海の彼方にまで及んでいる。

 長年金をかけていながら、メトロズが優勝できなかったのは、その視野が狭かったからとも言える。

 彼女の提案に乗って一年で、メトロズは結果を出した。

 そしてその次の年には、アナハイムを優勝に導いている。


 結局彼女のやりたいことは、なんだったのか。

 それともいまだに、その途上にあるのか。

 コールは出来れば、その先までも見届けたいと思う。

 しかしこれほど興奮する試合が多いと、本当に寿命が縮みそうだが。




 セイバーにはコンプレックスがある。

 それは童顔であるとか身長が低いとか、あるいは胸が小さいとか、そういうものではない。

 自分には真の、創造性が欠けているということだ。

 金を動かして金を儲けるというのは、誰かがやっていることだ。

 本当にセイバーがいなくなっても、誰かが同じように金を動かしていくだろう。


 その人間でなければ、出来ないということがある。

 セイバーが強烈にそれを感じたのは、イリヤが最初であった。

 彼女は彼女にしか出来ないことをやり、事実彼女がいなくなった後、彼女の穴は完全には埋まらない。

 同じようなことが、他の分野にもある。


 大介の代わりになる選手がいるだろうか。

 直史の代わりになる選手がいるだろうか。

 スポーツ選手でもおおよそは、代えの利くのがチームスポーツだ。

 しかしその中でも、特別な存在がいるのだ。


 セイバーには真に創造的なことは出来ない。

 だが真に創造的なことをする人間を、プロデュースすることは出来る。

 同じく創造的なことの一つには、映画製作なども含まれる。

 そのためにハリウッドで出資したこともあったが、こちらは失敗であった。

 ハリウッドから近いアナハイムに目をつけたのは、本当にただの偶然だ。

 

 創造的なこととはなんなのか、という話にもなってくる。

 むしろこの人間の社会は、歯車が重要なのだ。

 巨大な宇宙船が一つのパーツの不備で、爆発してしまったりするように。

 人間社会で、強い圧力を受けながら、歯車として働いていく。

 たとえば直史などは、本来はそういう生き方が好きそうに見える。


 金を上手く動かすということは、創造的ではないのかもしれない。

 だが間違いなく、支配的なものではある。

 人にはそれぞれ、向いた才能というものがある。

 才能がないように思える人間、あるいはついに才能が分からない人間も、それなりに社会の中では生きていける。 

 セイバーのように贅沢な人間は、才能のある人間が無為に過ごしているのを見ると、どうしてもそれを活かしたくなってしまう。

 それでも上手くいかなかったのは、本当に直史ぐらいか。

 もっとも才能のある人間というのは、その才能が棘のように引っかかる。

 なので実際にその成果が出るのは、数年単位で後になることもあるのだ。


 今のメトロズは、結果的にではあるが、セイバーが世に出した才能が揃っている。

 ただコントロールが不可能であった、坂本などという存在もいたりする。

 果たしてこの組み合わせで、どういった物語が紡がれるのか。

 舞台と役者は用意して、設定も用意した。

 しかし脚本のないドラマが、これから始まるのだ。


 あるいは懸命に作り上げたように見えるストーリーが、最後の最後で破綻するかもしれない。

 それはそれで逆に、現実のリアリティというものがある。

 完璧に作られたように見える脚本と、全く筋書きのないドラマ。

 人間の社会においては、どちらも面白いと思えるものだ。


 それはさておき、セイバーは来年のことも考える。

 主にNPBではあるが、他の外国のリーグにも、セイバーの手は伸びている。

 今年のオフにメトロズは、しっかりと補強をしてくるだろう。

 それを上回るためには、セイバーもさらに補強をしていかなくてはいけない。

 そして再来年の予定まで、彼女には詰まっている。

 もっともより筋書きのいいドラマを見つければ、そちらの方に近寄っていくのだが。


 セイバーは経済的な人間である。

 そして合理的な人間である。

 だから自分が、真に創造的な人間であることに気づかない。

 プロデュースする能力というのは、才能にも似た職人芸だ。

 彼女がそれに気づくのはいつになるのだろうか。


 言わば彼女は、高校時代においては、直史や大介のパトロンであった。

 公立高校に資金を投入し、とんでもない環境を用意した。

 対戦相手にしても、すぐに強いところに話をつけた。

 そんな彼女が創造的でないと、誰が言うのであろうか。


 それはもちろん、彼女自身だ。

 だからこそ貪欲に、才能の輝きを見つけていくのだ。

「とりあえずは再来年……」

 セイバーの未来は、猛烈に書き込まれた脚本のように、余白がほとんどないのであった。

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