第40話 背景

 メトロズが強すぎて怖い。

 プロ野球というのは普通、いくら強くても三試合やれば、一試合は負けるのが普通なのである。

 その常識を覆す勢いのメトロズは、果たしてどういった理屈でなっているのか。

 単純に言えば相手よりも多く点を取れば、野球は勝てるスポーツだ。

 そして最低でも一点は取っておかないと、勝てないスポーツでもある。

 この極めて単純化した原理から、導き出される理屈。

 それは打撃に長じたチームの方が、統計的には勝っていける、というものだ。


 もちろんピッチャーがあまりにも弱ければ、負けることはあるだろう。

 打線で相手を上回り、守備で取った点以下に相手を抑える。

 この基本をどういう形で成立させるかで、試合の結果というのは出るものなのだ。

 八月に入ってから、明らかに得点はまた、増加しているのだ。

 ただでさえ強力であった得点力。

 どうしてこれが共に向上しているのか。

 大介が復帰したため、得点力はシーズン序盤に戻ったと言った方が正確だろう。

 そして投手と野手による守備力は、絶対的に失点を減らしている。


 直史が確かに、クローザーとしては完璧なピッチングをしているのだ。

 だが直史一人で、こうまで失点が減っているというのはおかしい。

「単純に僅差の勝負を落とさないようになったんだな」

 ある記者はそれこそ単純な、その事実を見逃さない。


 アービングは四月途中からメジャー昇格してクローザーを務めた。

 そして三試合にセーブに失敗している。

 セーブ機会数と比べれば、それほど多いとも言えない失敗だ。

 だが直史は一点でもリードしていれば、確実にそこでセーブしてしまうのだ。

 

 人間離れしている。

 色々な称号をつけられたりもしたが、今更の話である。

 そして直史がどんな活躍をしてようが、それは自分とは関係ない。

 ターナーは調整も含めて、AAAのチームで試合に出ているのであった。




 セイバーと一緒にマイナー巡りをしている樋口は、もちろんそんなターナーの姿を見ることがあった。

 いまだにまだ、AAAでも打率はいまいち。

 しかしOPSはそれなりに高い。

 つまり長打力は持っているということだ。


 たとえ三振が多くなっても、その分をフルスイングして、ホームランを狙うのが正しい。

 現在のMLBにおいては、統計上そうなっているのは間違いない。

 ただ理想的なのは、大介やブリアンのように、打率も高い上で長打力を持っていること。

 さらに言えば、出塁率も高いほうがいい。


 ターナーは今、まだ完全なミートの感じをつかんでいない。

 だからパワーで強引に持っていっている。

「苦しそうだな」

「そちらもな」

 樋口の場合はまだ、左肩をギプスで固定したままである。

 大介ならそろそろ治っているかもしれないが。


 現在のターナーは、打率が0.250あたりで、OPSが0.850あたりとなっている。

 完全に長打でOPSを稼いでいるわけだが、去年はシーズンを通じてOPSも1.0をオーバーしていたのだ。

 やはり目の後遺症は、そう簡単になくなるものではない。

 だがわずかずつではあるが、当て勘を取り戻しつつある。


 球団からは来季を目処に、ゆっくり調整すればいいと言われている。

 実際に今年のアナハイムは、八月以降はひどい数字になっている。

 アレクは復帰したが、樋口とターナーが抜けて、シュタイナーも放出したのだ。

 そんな戦力で勝てるほど、MLBは甘いものではない。


 今季はもう、若手のテストをする場として、来年以降のシーズンのことを考えるべきだ。

 それに年俸の高いターナーを上げてしまうと、またぜいたく税がかかってくる。

 球団の財政上の健全さを保つためにも、今年はもう上げないと、ターナーは言われている。

 ちなみに樋口も同じことを言われている。彼の場合はそこまで高い年俸でもないのだが。


 ただ長期の離脱となった選手を、トレードで放出しなかったのは、やはり翌年以降の巻き返しは考えているのだ。

 実際に樋口はこうやってマイナーの試合を見ていると、相手チームの中にも光る選手を見つけたりする。

 アメリカのプロ野球の裾野は、日本よりもずっと広い。それは確かだ。

 来年のアナハイムは、かなり戦力を補強しないといけない。

 しかしそのために、実績のある選手をどれだけ取れるのか。

 ターナーが復帰してくるなら、そのサラリーは大きな割合を占める。

 ちなみにアレクも高給取りだし、残っているピッチャーではボーエンが一番だ。

 樋口の契約は、実はそこそこ安い。

 一番格安と言うか、実績と年俸が釣り合っていないとも言われる。

 ただ日本人キャッチャーの成功例が坂本ぐらいしかいなかったので、これは仕方がないと言えるだろう。

 坂本もNPBからではなく、アメリカでマイナーから上がってきた選手なのだ。

 実家が太いので、別に貧乏暮らしなどはしなかったが。


 来年は主軸を打てるバッターが一人、先発が二人、リリーフが二人、抑えが一人確保できれば、充分にワールドシリーズ進出は狙える。

 もっともミネソタが上手く育成に成功したので、来年は厚い壁になりそうであるが。

「たとえポストシーズンを諦めても、サトーは残しておくべきだったんじゃないのか?」

 食事中にターナーはそんなことを言って、樋口はうんうんと頷いている。

 そうすればアナハイムも、今のような体たらくにはなっていなかったであろう。

 中四日で投げて、果たしてどれだけ勝つことが出来たのか。

 そんな想像は、永遠に謎のままになった。




 今年のMLBの注目は、メトロズの連覇がなるか、というところに焦点が当てられていると思っている。

 七月までは微妙な感じであったが、MLBではほぼ先発でしか投げていなかった直史が、ここまでクローザーとしてもフィットするとは。

 去年のリーグチャンピオンシップで、ミネソタ相手にセットアッパーとして出てはいた。

 だからある程度の適性はあると、誰もが想像はしていたのだが。


 樋口としては初めて直史とバッテリーを組んだのが、そもそもクローザーとしてであった。

 それに甲子園でも、途中から出たりはしていたのだから。

 大学時代もクローザーはやっていたが、リーグ戦の場合は直史が土曜日に投げると、それで普通に一勝が取れる。

 日曜日にもし負けたとしても、月曜日に勝ってしまえばいい。

 それが大学時代の話であったが、あの頃の直史は完全に、勝つためのマシーンでしかなかったと思う。


 さて、今のメトロズに勝つには、どうすればいいか。

 単純に打撃だけではどうにもならない。

 ある程度はメトロズの打線を抑えないと、勝負にならないのだ。

 果たして直史は、ポストシーズンもクローザーとして使われるのか。

 少なくともアービングは間に合わないので、他にマイナーから誰かを上げない限り、クローザーとして働いてもらうことになるのだが。


 連勝を続けるメトロズであるが、セイバーにとってはこれはさすがに、統計の偏りである。

 七割勝てれば地区優勝出来るのがMLBであり、八月の無敗記録は異常なのだ。

 しかしこういった偏りが、発生するのも統計である。

 だからといってこの姿が、チームの本当の姿だとも言えない。


 八月にメトロズは、五点以上取られた試合が、10試合以上もあるのだ。

 普通のチームであればこれで、負けてしまうことは珍しくない。

 九失点した試合まであるため、これは負けてもおかしくない数字であろう。

 だが実際にはそこで、10点取ってしまって勝っているのだ。


 ただメトロズは、五点未満の得点であった試合が、三試合しかない。

 その時の先発は武史とジュニアで、ピッチャーを信頼して、打線の援護が少なかったと言える。

 もっとも他に武史が投げた試合では、13点も取って圧勝していたりもする。

 この連勝記録は、絶対に偶然である。

 偶然であるはずなのだが、狙って出来るものではないパーフェクトを、複数回やってしまっているピッチャーがいることが、世の物理法則を捻じ曲げているのかもしれない。

 ならば統計の結果も、願ったとおりに捻じ曲げられているのではなかろうか。


「そういえばマイナーの選手って、他のチームからも獲得できるんですか?」

 そのあたりマイナーを経験していない樋口は、いまいち分かっていないのだ。

「簡単に言うとルール5ドラフトね」

 もちろんセイバーは知っている。


 MLBにもマイナー選手の飼い殺しを防ぐため、取り決めがちゃんとあるのだ。

 簡単に言ってしまえば、五年もしくは四年、契約してから40人枠に入っていない選手は、ドラフトで指名することが出来る。

 もちろん他にも色々、細かい規定はある。

 ちなみにこの制度を使うため、ターナーと樋口は今季、もうメジャーではプレイしないだろうと言われている。

 特に樋口の場合は、完全に負傷者リスト入りのままなので、40人枠が空く。

 そこに一人は取ってみるつもりなのだ。


 ストーブリーグにはFA選手の契約や、トレードが活発になる。

 しかしそれとは別に、まだマイナーのままで長くいる選手を、引き抜いたりもするのだ。

 もっとも結果が出ていれば、普通に40人枠には入れるのだMLBだ。

 なので掘り出し物というのは、それほど存在するわけでもない。


 だがセイバーは、来年の年俸総額を抑えるため、そちらにも手を出すつもりである。

 そのためにアナハイムのスカウトたちは、アメリカ中を飛び回っているのである。

 いやアメリカのみならず、海外までも舞台にしている。

 このあたりがやはり、NPBとは規模の違うところなのだ。

 NPBの場合はMLBに昇格していない、マイナーの選手に目をつけることがある。

 また調子を落としているが実績はそこそこある選手などを、獲得するのは毎年のことだ。

 こういった助っ人外国人は、今までにも大きな貢献をしてきた。

 レックスにも投打共に、色々と外国人はいたものだ。


 アメリカのマイナーに比べれば、NPBの年俸ははるかに高い。

 また今はNPBにもMLBのスカウトは目をつけているので、そこからメジャー昇格という話も出てくる。

 セイバーはそうやって、あちこちから選手を集めてくるのだ。

 来年も日本から、誰かを連れてくるのかもしれない。

 さすがにこの時点では、樋口には教えられないが。


 直史がMLBから去ることは、三年前からずっと知らされていた。

 樋口としてはこの2シーズンで、自分のアピールは出来たと思っている。

 来年からセイバーがちゃんと戦力を整えてくれれば、ターナーの回復具合では、充分にポストシーズンまでは戦っていける。

 ワールドシリーズ制覇となると、ちょっと難しいかもしれないが。

 ポイントとなるのは、武史がFAになった時だろう。

 特殊な五年契約をしている武史は、33歳でFAになる。

 さすがに大介と武史、二人を同じチームで抱えれば、年俸がとんでもないことになる。

 いくらなんでもそれは無理だろうと、セイバーも樋口も思っている。


 舞台からは去っていく者がいる。

 しかしそれが即ち、舞台の終焉を意味するわけではない。

 このMLBという舞台は、100年以上も続いてきた。

 そしてこの先もずっと、続いていくのかと思われている。


 失われないものはない、というのがこの世の摂理だ。

 だが誰かが輝きを発し、それによって魅了される者がいる限り、MLBが消滅することはない。

 もっとも内情は色々と争いもあり、少しずつ色々なことが変わっていくのだが。

「とりあえずMLBの公式球に関しては、どうにかしたい問題よね」

 それは一つの問題である。


 MLBが採用しているボールが、明らかに投げにくいものであるのは、MLBとNPBの両方を経験している者からさえ、よく言われていることである。

 それにこのボールは明らかに、ピッチャーの肩肘に負担をかけている。

 そもそもWBCという、MLBが主催しているもの以外の世界大会では、MLBのボールは使われていない。

 この点に関してはピッチャーの肩肘の問題のみならず、ピッチャーが失投してバッターが怪我を負う可能性も考えて、選手側からは働きかけが出来ると思う。

 ただアメリカは変に伝統に固執する文化であるため、これに対する抵抗勢力もあるだろう。当然ながら利権にもなっているわけであるし。

 日本製のボールの方がいいことは、多くのピッチャーが認めている。

 ここで上手くMLBを、機構の中へと影響力を増したい。

 セイバーの考えることは、選手の領域を超えている。

 だがこれに関しては、多くのピッチャーからは賛同の声が上がるであろうと思っている。

 少なくともマウンドとバッターボックスの距離の変更よりは、よほど健全であるだろうから。

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