第4話 速球

 フロリダの別荘が、一番というか唯一活気付く季節。

 大介は直史のピッチングが、おおよそ元通りに戻っていると判断した。

 そもそも大学を卒業し、第一線では三年ほどプレイしていなかったのに、プロ入りを決めて半年ほどで、通用するところまで戻してきた。

 いや、通用するという表現では、かなり控えめであったろうか。

 一年目から沢村賞を取ったのだ。

 通用と言うよりは、圧倒と言うべき実力であった。


 誰が言ったか、それとも本で読んだのか。

 人間の肉体の能力は、一度記憶すればまず忘れないものと、少しでも怠ければすぐに衰えるものの二つがあると言った。

 自転車の運転や、水泳などが前者。

 バレエのダンサーなどは、後者であるという。

 直史の場合は、今から思えば両方なのだ。

 大学入学後の直史は、一つのシーズンを除いては、球速アップに取り組んでいない。

 そして大学在学中は、それ以外にはほどんと技術的な向上がなかった。

 それでも圧倒的にパーフェクトゲームを展開し、無敗であった。


 更なる進化はプロに来てからだ。

 変化球がそれぞれ磨かれて、特に大きなスライダーと高速シンカーは、必殺と言ってもいいものになった。

 ただ直史は高校時代から、これだけは一貫していることがある。

 コンビネーションが最優先ということだ。


 今までに直史と対戦し、負けてきた打席を思い出す。

 そもそもバッターは五割も打てないため、負けることには慣れている。

 冷静に敗因を分析してみれば、思考の間隙を突かれたり、どうしても動きを制限されたり、あるいは想定を超えた球を投げてきたりと、かなり圧倒されたものである。

 ただ重要でない場面では、それなりに打たせてくる。

 もっともホームランにはならないように、コースや球種は絞られていたが。

 ストレートの高めを、ホームランに出来なかった二年前の最終打席。

 あの時は直史も、あの一球で体に限界が来たという。


 大介の場合は、負けた時には何も問題は起こらなかった。

 だが去年、勝った時に問題が起こった。

 バッティング全体の不調。それは直史にも起こっていた。

 しかし日本で別れてからここで合流し、対決した時には既に、直史はほぼ不調を脱していた。


 直史の変化球を、先に告げられて投げてもらって、スタンドに放り込む。

 そして実戦的に、樋口からサインが出て、大介にボールを投げる。

 カーブを主体にするコンビネーションは、去年と変わらない。

 だが時々一球もカーブを使わずに、一打席を終わらせることもある。

 アレクや樋口もいるので、大介ばかりが直史を独占するわけにはいかない。

 そしてピッチャーも、直史だけではなく武史も投げるのだ。


 ピッチャーが二人とも休む時は、ノックで守備の練習もした。

「行くよ~」

 桜が上手く打ったボールは、MLBのバッターの打球と比べると遅い。

 だが別にノックは、速く強いものだけを捕っていればいいというものでもない。

 基本的には、ぎりぎり捕れるというようなボールは、捕っても意味がない場合もある。

 体勢を戻して投げるにしても、間に合わない場合などだ。

 特にショートの位置からでは、ファーストまでが一番深くなったりする。

 なので重要なのは、守備範囲内の強い球を捕ること、あるいは普通のボールを普通に捕ること。

 普通のことを普通にするのが、重要なのだ。


 もっとも年間に162試合もやっていけば、わずかな守備力の差は、累計でとても大きなものとなる。

 なので大介が、ショートとして守備を磨くのも間違いではない。

 ちなみに去年、ナ・リーグの守備指標で、一番高い値を記録したのは大介である。

 守備の他に打撃と走塁も、大介は一番高い数字を記録している。

 ア・リーグで一番守備貢献が高かったのは、実は樋口であったりする。

 これはキャッチャーというポジションが、特に守備貢献が高いポジションだと、最初から数字に加点されているからだ。

 なお選手としての総合的な貢献度では、直史よりも樋口の方が高くなる。

 なぜならMLBでは、ピッチャーにはバッティングと走塁がないからだ。

 それでも直史がア・リーグのMVPを取ったのは、その実績があまりにも抜きん出ていたからである。


 直史は32勝した。

 それも32試合を全て完投したのだ。

 リリーフたちを消耗させなかったことで、直史は間接的な貢献の仕方もしている。

 直史がリリーフを必要としていたら、他のピッチャーの勝ち星が幾つか、減っていたことは間違いない。

 そのあたりのことも考えると、試合に出ていなくても、直史は貢献度が高くなる。

 このあたりを評価するために、セイバー・メトリクスの計算は常に更新されている。


 


 やがてバッテリー陣は、先にキャンプ地へ向かう。

 直史と樋口はアリゾナで、武史はフロリダだ。

 二流のピッチャーのボールを打っても、これ以上は向上しないところまでは回復した。

 そこで二人は練習もしながらだが、他のチームのキャンプ地を巡ることにした。


 フロリダ各地に存在する、アメリカ東部のチームのキャンプ。

 大介にとっては今年は、インターリーグでもア・リーグ東地区のチームと当たることになっている。

 なのでこれを見学することは、いわゆる偵察になる。

 もっとも球団の分析班も、当然ながら人を派遣しているだろうが。


 この時期のキャンプというのは、オフの間にどう過ごしていたかが、良く分かる舞台である。

 既にメジャーで、替えの利かない選手にでもなっていなければ、オフにもしっかりと自主トレをしてキャンプに入ってくる。

 だがメジャーリーガーの中には、ほとんど練習しない選手もいて、かっつりとやる選手もいる。

 そして全体練習は少ない。


 まだ若手なのに、体を作らずにキャンプに入るような選手は、だいたい大成しない。

 人生を楽しもうぜ、というスタンスのアレクであっても、練習をサボることはない。

 優先順位がはっきり決められて、それを実行できる人間は、おおよそ成功しやすい。

 実は大介は、その点では微妙なのである。

 自分が出来ることを、精一杯楽しむ。

 結果は後からついてくるものだ。

 なので金銭に執着はないし、同時に贅沢にも興味はない。

 そして天性の直感で、自分に有害な人間は見極めることが出来ている。


 ちなみにアレクの場合は、近づいてくる人間は全て、最初から疑っている。

 成功者に群がる人間は、ほとんどが寄生虫だ。

 金持ちになると親戚や友人が増えるのは、本当のことである。

 大介などはプロ入りしてからなどは、中学時代の部活顧問が取材を受けたりなどもしていた。

 さすがに当時からスラッガー指導をしていたなどという嘘はついていなかったが、期待されていたのは足と守備。

 典型的なゴロを打つバッターだったわけである。


 東京から千葉へ、そして関西へという移動は、大介にとっては悪いことではなかった。

 人間関係は完全にリセットされるわけではないが、自分の望んだ関係のみを、継続していける。

 大介の場合、成功している一番の理由は、自分の傑出した部分は野球だけだと弁えているからだ。

 実際のところはギャンブルなどをさせたら、圧倒的に強運で勝っていくのだが。

 ライガース時代に麻雀をチーム内でやっては、勝ちすぎて敬遠されたのはいい思い出だ。

 こんなところでも敬遠である。




 この時期のフロリダは活況を呈す。

 アリゾナも同じことであるが、特にフロリダは観光地としても名高い。

 もっとも治安自体は、全体的に見れば悪いと言われる。

 だがフロリダ州はその面積は、日本の都道府県でもかなり大きな、長野県の面積の10倍以上。

 北海道と比べてさえ、倍以上の面積となっているのだ。


 ローカルニュースなら毎日のように、殺人の報道がなされている。

 だが都市部でも治安のいい場所と悪い場所は分かれている。

 そして郊外はおおよそ、治安がいいようになっている。

 また時間帯によっても、当然ながら危険度は違う。

 さらに人種によっても体感は違うだろう。

 フロリダはそこそこ、人種差別のきつい州であるとも言われている。

 もっとも大介などであると、普通に誰もが顔を知っている。

 キャンプ地のように人の集まる場所では、普通に警備もされている。

 そんなキャンプ地を、大介はアレクに加え、ツインズと共に回っていたのだ。


 ちなみに車は自分で買うのではなく、運転手ごとレンタルしている。

 わざわざ車をここで買うのは、面倒以外の何者でもない。

 ニューヨークでは基本的に、タクシーを利用する。

 あるいはスタジアムへの往来は、球団職員が動いてくれているが。


 別に車を買ってもいいのだが、大介自身が移動に使う場合、だいたいは迎えの車が来る。

 自分たちで運転するのは、アメリカの場合はリスクが高いしコストも高いのだ。

 それでもニューヨークの駐車場には、日本車が存在していたりはする。

 何かあった時に自分で動かせる車があるのは、やはり便利であるのだ。


 フロリダのあちこちを、移動しながら見物した。

 もうすぐに自分たちも、キャンプに合流することになる。

 だが注意するのは、主に当たるナ・リーグのチームとア・リーグ東地区のチーム。

 一番当たる数の多いナ・リーグ東地区のチームは、かなりチーム再建にかかっている。

 アトランタはまた上手く戦力を維持しているが、今年はフィラデルフィアが大型補強をしてきた。

 昨年は東地区三位ということで、今年はポストシーズン進出を目指しているのだろう。

 まずそこを見に行って大介は、むしろ自分がマスコミに囲まれることになった。

 サングラスぐらいはかけておいた方が良かったかなと、フロリダの陽光を浴びながら反省する大介である。


 フィラデルフィアが補強出来た理由は、単純なものである。

 大型契約の割りに活躍出来ていない選手との契約が、ようやく終わったからだ。

 この数年で年俸の高い選手を放出し、プロスペクトを獲得し、一気に五億ドルの補強をしてきた。

 フィラデルフィアはその創立当初から、移転をしていないチームである。

 歴史のあるチームはそれだけで、ファンの数は多い。

 ただ長期的に見ても、決して名門とは言うほどのチームではない。


 資金力は高いので、やはりチーム編成の失敗が大きかったということだ。

 アトランタは細かい補強をしているが、フィラデルフィアほど大胆ではない。

 ひょっとしたら今年のメトロズは、フィラデルフィアも注意してレギュラーシーズンを戦わなければいけないのかもしれない。

「うちには関係ないけどね~」

 アレクが属するアナハイムは、ワールドシリーズまで進出しなければ、フィラデルフィアと対戦する機会はない。 

 もちろん選手の入れ替えが激しいMLBで、色々なピッチャーを見ておくのは重要である。

 全然知らない顔ばかりの中に、知っている顔も混じっている。

 おおよそ知っている顔は、去年のインターリーグで対戦した相手だ。


 NPB時代に比べると、MLBと言うかアメリカは、ベースボールの裾野が広い。

 四大スポーツの中では凋落したと言っても、バスケットボールなどは完全に身長スポーツだ。

 NFLなども体格がものをいう部分があるし、別に野球なら身体能力が低くてもどうにかなるというわけではない。

 だがピッチャーの才能を持つものが大量にいるという点では、やはりアメリカが最高なのだろう。

 実際のところ体格の平均値が違うので、その点では日本は相手にならない。


 ただ一億人もいて、その中でも野球が人気となれば、上澄みはMLBのトップに匹敵する。

 今はその中でも二人が、突出した成績を残しているが。

 直史が相手なので劣っているようにも見えるが、武史も年間の奪三振記録を大きく塗り替えた。

 現時点の日本人選手では、この三人が圧倒的に目立っている。

 実は樋口の貢献度も、充分に常識外であるのだが。


 フィラデルフィアのピッチャーたちは、屋内のブルペンで投球練習をする。

 なのでそのピッチングまでは、せっかくキャンプに来ても見られるわけではない。

 しかしキャッチボールやフィールディングを見ていれば、だいたいその身体能力もピッチングも、予想がつくというものだ。

 去年のフィラデルフィアとの対戦成績は、16勝3敗。

 圧倒的過ぎるが、ナ・リーグ東地区はどのチームも難しい選択を迫られている。

 メトロズの覇権を、どうやって揺るがせばいいのか。

 ただオフに戦力の入れ替えがあったので、上手く機能しなければ、意外なほどに負けるかもしれない。

 野球はチームスポーツなのだ。

 もちろんポジションごとに、かなり独立した役割はあるのだが。




 フィラデルフィアの次は、アトランタを巡ってみた。 

 アトランタはそれほど大きな戦力の入れ替えはない。

 目指すは地区優勝ではなく、ポストシーズン。

 だがもし大介が故障などをしてシーズン全休になれば、逆転優勝の可能性はある。


 野球は九人でやるスポーツなので、一人が抜けただけでチーム力が急落するのは、とても問題がある。

 同じ四大スポーツでも、NBAなどは五人でやるスポーツなので、司令塔やポイントゲッターの離脱で、一気に成績が落ちることはある。

 ただ野球は、いくら大介が突出していても、ある程度は埋め合わせが出来る。

 これがアナハイムで直史が外れたとすると、32勝が五分で16勝ほど勝ち星が減ることになるだろう。

 だがそれでもどうにか、戦力を揃えていくのがMLBだ。


 さすがにどうにもならないのは、トレードデッドラインを越えたところで、主力が二人ほど故障する場合だろうか。

 そういう場合はチームによっては、チーム解体に踏み切るところもあったりする。

 数年をかけてようやくコンテンダーとなっても、主力の故障でポストシーズンを諦める。

 理不尽と思えることは、どの世界でもいくらでもあることなのだ。


 練習とトレーニングと偵察をしている間に、二人もチームに合流する日になってきた。

 アレクは飛行機に乗って、アリゾナのキャンプ地へと。

 大介はこのまま、別荘を拠点にキャンプへ参加する。

 そして知らされるのだが、メトロズはまだクローザーの確保に成功していない。


 今年のメトロズの先発は、武史、オットー、スタントン、ジュニア、ワトソンの五人にリリーフデーで回していくらしい。

 そしてリリーフ陣の中でも勝ちパターンに投げるのは、バニングとライトマンは去年と同じ。

 このリリーフ陣についても、短いイニングをしっかり投げるピッチャーをあと一人、そしてロングリリーフでそれなりに投げられるピッチャーも一人はほしいだろう。

 大介としてはいまだに、戦力補強はドラフトと育成という意識が強い。

 ライガースは比較的FAの選手も取るが、トレードについてはNPB全体があまり流行ではない。

 主流となっているのは、福岡のようにドラフトを育成枠まで使い、しっかりと自前で育てること。

 ただ育成まで手が回らないチームは、なかなかそう上手くはいかないのだ。


 もうMLBも四年目となる大介であるが、トレードについてあまり実感がないのは、メトロズ側から出している選手が、若手のプロスペクトであることが関係する。

 昨日までのチームメイトが、もういないというのが少ないのだ。

 上杉を連れてきた時などは、これがMLBかと思ったりもした。

 ただ不思議に感じるのは、カーペンターやモーニングがFAになった時、契約をしようとしなかったこと。

 今年であればウィッツなどもそうだ。

 日本であれば間違いなく、ある程度は慰留の交渉がされたであろう。

 しかしペレスとシュレンプも、確かに年々わずかに衰えているが、NPBであれば契約更改をしていたと思うのだ。


 MLBにおいては、フランチャイズプレイヤーというのが少ない。

 生涯1チームにとどまった名選手など、果たしてどれだけいるものやら。

 もちろんマイアミやピッツーバーグ、あとはオークランドのように、高くなった選手は放出するというチームもある。

 だがメトロズは容赦なく、貢献した選手を切っていく。

 そして切られたほうも、普通に次のチームを探すのだ。よりいい契約をつかむために。

 なおモーニングもカーペンターも、移籍後のチームではメトロズほどの成績を残せていない。

 モーニングなどは単純に打線の援護が減ったからというのもあるが、防御率やWHIPなども減っている。

 こういうことはよくあることで、これを見れば契約を結ばなかったメトロズフロントは、有能であったと言えるだろう。

 事実、FAになったシュミットとは、大型契約を結んでいるのだ。


 クローザーのレノンと再契約しなかったのは、今年はクローザーのアテがあるのか。

 それもこの時期までに決まっていないということは、若手の中から育成された生え抜きを使うのだろう。

 100マイルオーバーのボールを投げるピッチャーは、普通にいる。

 だがスピードだけではどうにもならないのも、MLBという世界だ。

 紅白戦などが行われる頃には、FMやコーチが誰をクローザーに持ってくるのか。

 さすがに分かっているはずである。




 ピッチャー30人以上、野手60人以上。

 今年も巨大なキャンプが開始される。

 調整の仕方は、選手によってそれぞれ変わる。

 ベテランになればなるほど、無理をせずに自分なりの調整法を持っている。

 だが大介は初日から、喜んでフリーバッティングの打席に入り、またノックも積極的に受けに行く。


 もう今年のシーズンの途中で、大介は31歳になる。

 さすがにこれ以上の肉体的なパフォーマンスの向上はないだろう。

 だが技術と経験は、いくらでも増やすことが出来る。

 そして重要なのは読みだ。


 去年の直史との勝負で、ホームランを打ってワールドチャンピオンになった。

 だがあれで二人の勝負が完全に終わったとは、大介も思っていない。

 大介は見ないがネットの世界でも、大介が一方的に勝ったと思っている人間は少ない。

 六打席も回ってきて、三度の三振。

 14回まで投げていたピッチャーを打って、それで決着とはいかないだろう。


 今年が直史のいる、最後のシーズン。

 ここで勝てなければ、もう二度と勝負のチャンスがない。

 最終的な勝敗というのは、プロの世界ではなかなかつけづらいものだ。

 それだけに今年は、圧倒的に勝つ必要がある。


 自然と流れてきた話で、大介を今年は二番で使おうという話になっている。

 年間300個の四球や敬遠の出塁を誇る大介としては、一塁にランナーがいるならば、自然と得点圏に進むのはいいことだと思う。

 もしも一塁にランナーがいなければ、今度は盗塁をしかければいい。

 そして勝負をしてきたら、容赦なくスタンドに運べばいいのだ。


 フリーバッティングになると、本物のメジャーリーガーのボールを打つことになる。

 もちろん直史の変化球と武史のストレートで、ちゃんと練習は行ってきた。

 だがそれでも二人のボールばかり打っていれば、応用力がなくなってしまう。

 野球は最悪、たった一打席でそのピッチャーを攻略しなければいけないこともある。

 クローザーとの対決がそうである。

 初見で打てなければ、チームが負ける。

 間違いなくそういう場面は、レギュラーシーズンでもありうるのだ。


 ただ二年前、上杉がせっかくセーブ機会を全て成功させたのに、メトロズはアナハイムにワールドシリーズで敗北した。

 NPB時代は二人で15回を投げ合い、一人のランナーも出さないという無茶苦茶な試合も成立させてしまった。

 アナハイムのクローザーのピアースは、もう充分に慣れた。

 むしろレギュラーシーズン、19試合がある同じ地区のチームのピッチャーを、どう攻略するかが重要である。




 フリーバッティングながら真剣勝負という場面で、今年からメジャーに昇格してきたアービングというピッチャーがいる。

 若く、肩の出来るのが早く、ややコントロールは悪いが、とにかくスピードがある。

 103マイルのストレートをコンスタントに投げるので、このストレートだけでもかなりの威力になる。

 コントロールが定まらないと言っても、ゾーンから外れるほどの悪さではない。

 適当に散らばって投げるように、そして下手にフォアボールにならないように。

 そして決め球として、スプリットを持っている。


 高卒二年目で、去年はマイナーでかなりの実績を上げていた。

 だが40人枠に入らなかったのは、それなりに問題もあったからだ。

 第一には、さすがに高卒で若すぎる選手を、メジャーに上げるのはどうかというものであるが。

 大介はそんな事情は知らない。

 だがミートの上手いシュミットが空振りをしていて、たいしたもんだと思っただけである。


 バッターが交代し、大介が打席に入る。

 マウンドから睥睨してくるアービングは、身長も高いがそれ以上に、腕の長さがはっきりと分かる。

 単純にボールが速いというだけではなく、その腕の長さも魅力の一つなのだろう。

(20歳か)

 これからはどんどん、自分よりも若いピッチャーが、対戦相手となるのだろう。

 当たり前のことであるが、大介はどうしても自分が、もう30歳になったのだという感覚にならない。

 どうも高校生ぐらいで、大介の野球に対するメンタルは、止まっているような気がする。

 それだけにいいピッチャーが出てくると、それを粉砕しようと思えてくるのだが。


 メトロズの首脳陣としては、ちょっと心配はしている。

 一つにはアービングが、大介にデッドボールなど投げないかということ。

 普通に大介は動体視力と反射神経がいいので、最悪でもバットで守って、デッドボールで故障するということはない。

 もう一つは大介が、アービングのプライドを砕いてしまわないかということ。

 もっともこんなところでプライドが壊れて、それで終わってしまうようなら、そもそもMLBでは通用しない。

 前提として大介は、105マイル出る武史のボールを打っているのだ。

 103マイルのボールで大介が打てないとしたら、それはアービングのコントロールが、アバウトであるのが良く機能した場合だろう。


 武史は105マイルのボールを、キャッチャーの構えたところにしっかりと投げることが出来る。

 素晴らしいコマンドの能力であるが、配球を読まれた場合は、打たれてしまうこともある。

 アービングはアバウトに散らばっていくので、逆に読むバッターは打ちにくい。

 だが大介は去年もその前も、そういうアバウトなパワーピッチャーを、簡単に打ってしまっている。


 バッターボックスに入って一球目は、しっかりとボールを見た。

 なるほどこういう軌道か、と確認したのである。

(タケほどのホップ成分はないな)

 はっきり言ってこれから、学ばなければいけないことが多すぎる才能だ。

 ただスピードは間違いなく才能だ。

(タケがサウスポーでこいつは右だから、チームのピッチャーのバランスとしてはいいのかな)

 全力投球で投げてきて、抜いて投げるボールを持たない。

 なるほど現時点では、先発を任せるわけにはいかないだろう。


 大介は少し本気になった。

 アービングのボールは、アバウトにまたも投げられる。

 真ん中からはちゃんと外れた、インハイの打ちづらいコース。

 ただぎりぎりというものではなく、ゾーン内にしっかりと入っていた。

 大介としては、とても打ちやすいボールである。


 体軸を意識して、踏み込んだ足で全力で踏ん張る。

 すると体が一回転し、バットはボールを弾き返した。

 軽々とスタントの、さらにその向こうへと。

 キャンプで使われるスタジアムは外野席が狭いので、場外がかなり出てしまうのだ。


 呆然としているアービングに、大介は声をかける。

「Hey! Hurry!」

 わざわざバッターボックスを使っているのだ。

 ショックを受けるなら他の誰かに代わってくれ。


 結局この日、大介はほとんどボールをホームランにしてしまった。

 泣いたり怒ったりするでもなく、最後にはへらへらと笑い出したアービングである。

 頭がおかしくなっちゃったかな、と心配になるのは大介だけではなかろう。

 そこでピッチャーは交代し、肩を作ってきた武史がマウンドに登る。


 初球のストレートは、大介を空振りさせた。

 しかし三球も投げれば、アジャストしてくる。

 スタンドに放り込まれても、平然と武史は次を投げる。

 彼は、大介に打たれることには、本当に慣れているのであった。

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