エースはまだ自分の限界を知らない[第七部B MLB編]

草野猫彦

一章 連覇への準備

第1話 高い男

 MLBのフロント、特にGMの忙しい季節は二つある。

 オフシーズンの戦力補強と、トレードデッドラインの戦力補強だ。

 なおチームの成績が悪い場合は、トレードデッドラインで戦力補強ではなく、チーム解体を行う場合もある。

 今年のメトロズは、契約の切れる主力が数人いる。

 なので積極的に、チーム編成に力を入れていく。

 単純に実績だけではなく、その試合内容までも。


 メトロズはとりあえず、主軸となるバッターを二人と、先発を一枚、そしてクローザーの獲得が必須となっていた。

 いや正確には獲得ではなく、準備が必須と言うべきか。

 マイナーでいい成績を残して、メジャーに上がってくる選手もいる。

 去年の九月にメジャーデビューし、そのままベンチに居続けたという選手もいるのだ。


 それでもやはり、安定して打てるタイプに、爆発力があるタイプと、バッターは必要だろう。

 そして大介を、二番で使うのはどうだろうかと、データ班から提言がある。

 大介が一番打者でなければ、去年のワールドシリーズは負けていた。

 それを承知の上でなお、レギュラーシーズンでは二番の方が、得点での貢献度は高いのではという分析がなされたのだ。

 シュミットの慰留には、かなり早い段階で成功していた。

 しかし大介にシュミットに、坂本もかなり高額であるし、懐事情は厳しい。

 去年上杉をトレードデッドラインで獲得したため、プロスペクトを多数放出してしまった。

 そのためマイナーから上がってくる選手に、さほどの期待が出来ないのだ。


 大介は高いが、それでも活躍の度合いと比べると、はるかに安い買い物なのである。

 日本円にして50億円以上の年俸が、充分にお買い得。

 ほとんどのNPB球団の、チーム総年俸よりも、大介一人の方が高い。

 ただそう言われても、ほとんどの人間は納得するだろう。


 レギュラーシーズン大介は、その打撃力に走力、そしてこれまた派手な守備のビッグプレイで、数多くのチャンスを作り、物にし、ピンチを防いできた。

 打率四割、シーズン80本オーバーの本塁打、100盗塁。

 三冠王がゴールドグラブを取っていて、盗塁王まで取っているのだ。

 大介に少ないのは、それこそヒットの数ぐらいだろう。

 だがそれも他の数字に比べればという話で、充分にたくさんのヒットを打っている。


 三年連続で70本本塁打などというのは、もちろんMLBの史上初めて。

 そもそも三年連続で、三冠王になっている。

 打点や四球、敬遠のシーズン記録も大介のもの。

 あの巨大なネット辞書で調べれば、大介の記録は赤字になっているのだ。


 そんな大介であるが、日本に帰ってきたのは、12月になってからである。

 そして東京でホテル暮らしをしつつ、取材を受けたりなどもした。

「贅沢な暮らしだなあ」

「お金がありすぎるからね」

「使わないと減らないからね」

「使っても減らないけどね」

「お金って勝手に増えていくんだね」

 うらやましい生活である。


 インセンティブを含めて、4580万ドル。

 NPB時代九年間の総年俸を、MLBでは一年で稼げるような計算だ。

 もっとも大介の突出度、貢献度を数値化すれば、これでもまだ安い。

 いずれメトロズは、大介とまた新しい契約を結ぶかもしれない。

 大介の最大のプロスポーツ選手としての長所は、その安定感にある。

 日本時代は九年間で34試合しか休んでおらず、後遺症の残るような怪我はしていない。

 MLBに来てからも、負担の大きいショートを守りながらも、DHで入ったりベンチスタートで休むということがない。

 休んだのは子供が生まれた時と、あのイリヤ事件の時だけである。

 自分自身の疲労や負傷では、全く休まない耐久力。

 この安定感はギャンブルに近いスポーツの高額契約において、非常に信頼できるものなのだ。

 それでいながら本人は、安定した長期契約など望まない。

 義理の兄弟であって血はつながらないながら、大介と直史が似ているところ。

 NPBの単年契約に慣れていたからかもしれないが、長期契約を嫌うということだ。


 二人はこれを、同じ理屈で嫌っている。

 長期契約などすると、自分に油断が生まれるのでは、ということだ。

 一年ぐらい失敗しても、来年取り返せばいい。

 そんな気分ではなく、その年その年を、しっかりと生きる。

 大介にしても本当は、複数年契約など結びたくなかったのだ。

 もっとも周囲の人間からすれば、大介も直史も、安定を求めない不思議な日本人に見えるだろう。


 だがこれは球団側にとっても、ある程度はメリットがあるのだ。

 それは数年間に渡って、決まった金額で戦力を保持できるということ。

 もちろん故障などのリスクはあるが、それも含めた上で、決まった金額の中でチーム編成が出来るというのが大きい。

 ただメトロズの場合は、これが悪いほうに働いていたことがあったのも確かだ。

 オーナーのコールがぜいたく税を許容して、最強のチームを作ろうとしてしまった。

 制限がないために、契約選手の選定が甘くなる。

 これまでの成績に従って、契約をするなどというのは、本来はバカらしいことなのだ。

 そんな過去に一石を投じたのは、それこそセイバー・メトリクスだ。

 これまでの基準では評価されてこなかった選手を、その役割を考えて集める。

 そしてそのチームによって、シーズンを勝ち進むというものだ。


 もっともこれに従って最初に動いたチームは、ワールドチャンピオンにまでは届いていない。

 結局セイバー・メトリクスを利用しても、資金を投入したチームが先に結果を出している。

 要はバランスの問題なのか。

 限られた中で選手を揃えるのと、決戦用の戦力を金をかけて揃えること。

 これを同時にやらなければいけない。

 ただセイバー・メトリクスを本気で導入しているのは、この理論である程度の結果が出ているなら、ワールドシリーズの優勝までは求めていないのかもしれない。

 ポストシーズンまで出れば、それで結構な収益になるからだ。


 コールのような金は出すが口は出さない、というオーナーは理想的なオーナーのように思える。

 実際にチーム編成などは、GMに任されているのだ。

 しかしチームとして、利益を出しているのはモートンの方だ。

 彼の場合はチームもであるが、その他の事業も展開している。

 それらとの連携によって、利益を出せばいい。

 そちらにも資金が必要なため、アナハイムにはある程度の限界がある。


 21世紀になってから、MLBで連覇したチームはない。

 年間の最多勝記録を塗り替えた去年のメトロズも、アナハイムに敗北した。

 去年よりもチーム力は高まったはずのアナハイムも、今度はメトロズに敗北した。

 そしてどちらのチームも、このオフでかなりのチーム編成が変わることは避けられない。

 単純に選手の能力を、前と同じような人間を入れればいいというものではない。

 どうしても選手間の相性はあるし、故障者が出たりもする。

 複数年契約の最初の年は、すりあわせが必要であったりもする。

 またプロスペクトの収集も、重要なことだ。

 資本力に乏しいチームが、数年に一度プロスペクトが上手く開花し、そこに補強を加えて一気にワールドチャンピオンを目指す。

 今年であればミネソタが、その代表例であった。

 去年はリーグで最下位であったのだ。


 一つのチームが連覇する。そうでなくてもずっと強い。

 それはMLBにとっては、不自然なことなのである。

 ただこの自由主義経済の世界では、やはり資本力こそパワー。

 信念によって金では動かない直史。

 助力者の手によって、金で動く必要がなくなった大介。

 この二人をどう使うかで、MLBのチームは今後数年、そのチーム力を保てるのだろう。




 大介は自分の属するメトロズについて、当然ながらその動向は気にしている。

 新しく誰と契約をしたか、またトレードなどをどうしたか、その動きはチェックしてもらっているのだ。

 確定したトレードはともかく、交渉中のものなどは漏れてくるはずもなし。

 もちろんその気になれば、調べられなくはないのだろうが。

「なんで今まで契約してたウィッツとかペレスと、そのまま再契約しないんだろな」

 大介はふとそう思う。自分自身は契約期間中に新たな契約をしたため。


 それに関してはツインズも、完全な説明がつくわけではない。

「一つにはアメリカのライフスタイルと、あとは契約が想定以下であること、それと自由な交渉と、ついでにプライドかなあ」

 再契約をする選手も、もちろんいる。

 ただアメリカという社会自体が、そもそもステップアップを大前提として考えているのだ。

 よりよい契約を求めて、環境を変えていく。

 実は日本とは逆の同調圧力が存在する。

 成功へのステップアップ、成功者への強烈な信仰、他にも色々と。


 契約が想定以下と言うか、他のチームが適性額よりも高い金額を出すのは、自軍の戦力補強以外に、もう一つ意味がある。

 当たり前だがFAになった選手を引き抜いたら、そのチームはそれだけチーム力を失う。

 昨年128勝もしてワールドチャンピオンになったメトロズからは、戦力を奪っていかなければいけない。

 そのためには適性額よりも、少し高めの年俸を提示してもいい。

 実際にカーペンターはそれで引き抜かれている。

 だが大介とは契約を延長したし、おそらく再度延長すると、ツインズは思っている。

 それはもちろん大介が、代えの利かないぐらいとんでもない選手であることもあるし、付加価値もあるのだ。

 記録を作る選手には、それだけで価値がある。

 大介はこれまでの成績や、人間の肉体的限界などから、35歳前後まではピークが続くと思われる。

 大介が記録を作るたびに、メトロズの大介、と呼ばれることになるのだ。

 これは広告の意味がある。つまり付加価値だ。


 自由な交渉というのは、競争である。

 これまでの実績を残してきた選手には、当然ながら球団が接触する。

 すると当然ながら、少しでも条件のいいところへ、という話になる。

 メトロズは一番多くの情報を、その選手について持っている。

 だから適正価格も分かるわけで、競争してまで取ろうとは思わない。


 あとは単純にプライドだ。

 自分はもっとやれる、別の環境ならもっと結果を出せる。

 成功している人間ほど、ある意味自分を信じている人間はいない。

 だから今の環境に満足せず、自分を高く評価してくれるチームに移籍するのだ。

 もちろんもっと打算的な選手もいるが、実のところあまり計算する選手は、むしろ失敗したりする。


 大介の場合は単純に、野球が好きで打って走って守りたい。

 直史の場合はある意味恐ろしいが、金などよりも自分の信念が大事。

 もっとも田舎の旧家に生まれ、現物での財産を目にし、税金などの話も聞いている彼は、ちょっと普通の育ちではない。

 金を貪欲に求める者も成功するし、金ではないのだと考える者も成功する。

 失敗するのは金に満足してしまう者だ。

 より金を儲けようとするなら別だが、満足してどう使おうかと考えた時。

 その時に人間は、向上する理由を失ってしまう。


 何が自分にとって一番大切なのか。

 金であっても、夢であっても、信念であってもいい。

 上杉などは自分への応援を、最大の理由にしている。

 一番大切なものさえ忘れなければ、それでいいのだ。

 すると武史などは、どうして成功しているのだ、という疑問も湧いてくるが。


 とにかくメトロズは、チーム編成に力を入れている。

 編成と言うよりは、再建と言ってもいいかもしれない。

 栄光を知るチームが、改めてチームを作り直すのは、勇気がいることだ。

 だが人間が必ず衰えることを考えれば、チーム内の選手の循環はした方がいい。

 いや、するしかないと断言するべきか。




 メジャーのスカウトは、GMの命令を受けて世界中に飛んでいる。

 日本にももちろんいて、今年もポスティングを行使して、MLB入りを希望している選手はいる。

 ただメトロズの場合、日本からの選手のこれ以上の受け入れは、慎重になっている。

 それは既に主力として、三人もの選手がいるからだ。


 日本人選手を獲得すること。

 それは日本という、巨大な野球大国のシェアに、MLBのチームのファンを増やすということ。

 本来ならばNPBにおける大スターであった大介だけで、充分にその役割は果たしていたのだ。

 だがメトロズは、圧倒的な成績を残した去年、アナハイムに負けた。

 スーパーエースの不在。

 言うなればそれは、アナハイムに負けた最大の要因であった。


 そして国内を見渡したところ、そのスーパーエース級の出物との交渉が上手くいかなかった。

 なので次善の策として用意していたのが、セイバーによる日本人ピッチャー獲得である。

 実績は充分である。この実績とは武史の実績ではなく、セイバーの実績だ。

 アナハイム側のフロントにいながら、ボストンやメトロズにも、人を介して接触する。

 完全にアナハイムに対する背信であるが、それはどうでもいい。

 実際に武史がいたことで、メトロズは勝利したのだ。

 もしも最終戦に投げたのが武史以外であれば、間違いなく延長に入る前に、アナハイムに負けていた。

 よって今年の優勝の時点では、武史の獲得は間違いなく正解であった。

 だが次の契約を結ぶかどうかは、また別の話である。


 武史にはハングリー精神がない。

 いい意味で自分がないのだ。

 自己主張をどんどんしていけというのが、体育会系やアメリカの社会だと思われている。

 だが実際のところ、武史は平凡な精神に、ただ己を知るという最も難しい特質を持っている。

 MLBには絶対的な自信や、執念がないなら挑戦してはいけない。

 なんで? と考えてしまうのが武史だ。

 進学、プロ入り、そして移籍。

 武史は自分の身の丈を、周囲が測ってくれることに慣れている。

 そしてそれが間違いのないことだと、直感的に分かっているのだ。


 別にプロ野球の世界だけではないだろうが、超一流の世界で成功するのに必要なのは、素直さと頑固さ。

 武史の場合は、素直に意見を聞く相手を、ちゃんと選んでその助言に従っている。

 そしてその相手を、コロコロと変えないという頑固さだけはあるのだ。

 信頼する相手は兄であったり、恩師であったり、先輩であったりする。

 自分の意思があまりないように思える武史だが、信じる相手を決めることだけは、ちゃんと自分で選んでいる。

 実際に人生のパートナーを選ぶことでも、大成功しているではないか。

 もっともこの先どれだけMLBの世界にいるのか。

 正直に言うと武史は、拘束の長すぎるMLBには不満がある。

 一年目で既に辟易、とまではいかないが、ビジョンに違いがあるのだ。


 そんなわけで武史は、オフシーズンに日本に帰国する前、セイバーに会ってたりした。

 アナハイムのフロントに入っているセイバーであるが、本拠地とするのはニューヨーク。

 実はものすごくやることはあるセイバーであるが、優先順位というものはある。

 金になることが優先されるのではない。

 自分が面白いと思ったことが、優先されるのだ。

 彼女は金を生み出すが、金に支配された人間ではない。




 レストランの個室を使って、万一にも他に話が漏れないように。

 武史が一緒に連れてきたのは、パートナーである恵美理だけである。

 そしてセイバーは、他に誰も同席させない。

 秘密は抱えている人間が、少なければ少ないほど望ましい。

 本当なら恵美理の同席も、微妙かなと思っているセイバーなのだが、こと人生を自分自身で生きるという点では、配偶者である恵美理の力が、必ず必要だとは思っていた。

「将来に対する漠然とした不安ね……」

 セイバーは事前に少しは話を聞いていたが、さすがに眉間の間を指で揉んだ。


 武史という人間について、セイバーはいまだに把握出来ない部分は多い。

 性格というか価値観と言うか、たとえばこのような機会においても、何を重視しているのかが分かりにくいのだ。

「何か他にやりたいことでもあるの?」

「そういうわけじゃないんですけど、父親が年に何度も出張するのって、子供たちにはどうなのかなって。あと自分としても、教育にもっと関わった方がいいとも思うし」

 NPBにおいては、武史はまだしも許容範囲内であったのだ。

 在京球団のセ・リーグのチームとしては、遠征も少ない。

 また先発のローテに入っていれば、チームだけが遠征し、自分は東京にいる、などという事態もあった。

 だがMLBの場合はロースターの人数とベンチの人数が同じなため、投げないと決まっている先発も、常に帯同する必要があった。


 こういったことにストレスを感じる人間は多いだろう。

 セイバーは直史からも、似たような話を聞いたことがある。

 特に直史の場合は、真琴の病気の件もあったため、家族と一緒にいたいという欲求も強かった。

 この兄弟に関しては、両親が共稼ぎで毎日帰宅することが多いという、一般的な職業であったこと。

 また祖父母が農家で土地を離れないということも、人格形成に影響を与えている。


 武史の欲求は、金よりも自由時間、ということが言えるだろうか。

 単純に言うと自分の提供している時間に、金銭が釣り合っていない。

「たとえば将来的に、白石君のような高額年俸になれば、現在の仕事もいいと思える?」

「金は……どうかなあ。でもMLBってどこの球団でも、拘束時間は変わらないでしょ」

 現在のMLBは、実はレギュラーシーズンは短縮しようか、という議論も起こっている。

 しかし武史は、他にやりたいことがあるわけでもないという。


 自分がない、とセイバーには思えてしまうところもあるが、選択はしっかりとしている。

 大学を卒業する時も、セの在京球団以外は拒否としっかりと決めていた。

 このあたりのことを考えると、単純に意思が定まらないというのとも違うと思う。

 とりあえず周囲の言うことを聞いておけばどうにかなる。

 ただし誰の言うことを聞くかは自分で決める。

 信頼してもらうのはありがたいが、人生は他人に任せるべきではない、とセイバーは思うタイプだ。

 しかし武史のこの考えは、彼を一個の神輿として考えた場合、確かに周囲が動いていくのかな、と考えないでもない。


 ともあれ武史には、残りの契約は全うして貰った方がいい。

 そしてそこから数年、100億ほどにもなる契約を手に入れられるだろう。

 他に何かやりたいことがあるというなら、今の契約が終わればすぐに、そちらに向かったほうがいい。

 だが漠然と考えているなら、まずは金を稼げばいいのだ。

「ただ野球を引退してから何をやるかって考えると、今のままでいいのかな、とも思うんです」

 武史は野球を、それほど好きではないのだ。

 解説者やコーチなどといった仕事が、向いているとは思えない。

「そうね、もちろん未来の保証なんて出来ないけど……」

 それでもセイバーは、ある程度の目算は立てられるのだ。

「出来ればあと九年、無理なら四年、MLBで働きなさい。そしたら普通にファンドなりNBAのチームなりの株を買えば、とりあえず一生食べていくのには困らないから」

 メジャーリーガーの五年以内の破産率は八割。

 ただ直史ほどではないが武史も、それほど散々するタイプではない。

 そしてあと四年というのは、明確な理由がある。

「メジャーで五年間働いたら、年金が受け取れるようになるから」

 もし破産などしても、平均的なサラリーマンよりも多い額を、年金として受け取れる。

 それが人生のリスクヘッジである。




 さて、武史はある程度納得したが、恵美理としてはどうなのか。

 彼女は明確に、親は常に傍にいなくても、愛情さえあれば立派に育つと思っている。

 子供に必要なのは、親からの実際の世話ではない。それを言うなら自分は、かなりの部分をシッターに任せてしまっている。

 だが重要なのは、子供がちゃんと、愛されていると感じるかどうかなのだ。

「私も父は海外で過ごしていることが多かったから、特に中学以降は親元を離れていたし」

 武史はある意味、心配のしすぎなのである。


 彼女としても自分が、お嬢様育ちだなという自覚はある。

 だが単純に何も出来ないお嬢様、というものではない。

 そもそも父の代でいきなりお嬢様になったというわけではなく、代々の家風というか家訓というか、そういうものを教えられている。

 それに従って重要なところでは、子供たちを育てているのだ。


 またセイバーが気にしている、経済的な問題。

 これに関しては恵美理は、まさに親の代からつながる縁で、様々な債権や有価証券、美術品や宝飾品、はたまた不動産といった財産を、バランスよく相続するようにと言われている。

 武史はこのあたり、幸いにして人に騙されにくく、下手に金を使わない。

 なのでちょっと大きな子供の世話をするように、武史の世話をしている自分を発見したりする。

 妻に母親を求めてしまう、日本の男性。

 武史はその典型的な例かもしれないが、それで上手くいくのならそれでいい。


 ただ恵美理が重要視することは一つある。

「ニューヨークを離れたくないですね」

 これである。

 彼女の仕事は、基本的に音楽の教師、それと音楽イベントの手伝いなどといったものだ。

 その仕事の市場は、当然ながらニューヨークが世界で一番大きい。

 東京に戻るならそれもいいが、それ以外では彼女の仕事をしていくことが厳しくなる。

 そう言われたセイバーは、そこは少し困ったものだが。


 メトロズはいずれ、必ず武史を手放すことになる。

 万一にも大介が、それまでに再起不能になどなっていれば、話は別だが。

 選手としての価値が高すぎて、この二人を同時に所属させるのは、必ず無理になるのだ。

 だが幸いなことに、ニューヨークにはもう一つMLBの球団がある。

「いずれはラッキーズへの移籍を考えていた方がよさそうね」

 そしてそのあたりからのオファーもなくなったなら、いよいよ引退すればいい。


 とりあえず将来何かをやりたいと思っていない武史は、今は全力で金を稼げばいいのだ。

 そして配当金の多い企業の株でも買っておけば、その配当の範囲で充分に生きていけるはずだ。

 なんなら大好きなNBAの共同オーナーにでもなればいい。

 セイバーとしては、ちょっと今のNBAの経営は、自分の価値観から言うとギャンブル性が高いのだが。


 引退するのはおそらく、40歳前後ではないか。

 武史もまた頑丈なタイプなので、セイバーはそう思っている。

 パワーピッチャーなので寿命は短いのではと見るむきもあるが、セイバーは高校時代に既に、遺伝子レベルで佐藤兄弟のことは調べてある。

 大介もであるが、この三人には早期老化の遺伝子が見られない。

 おそらく直史なら45歳まで、大介と武史は43歳ぐらいまで、選手として通用するのでは、と見ている。

 もちろん大きな怪我をすれば、それは別だが。


 今はとりあえず、使う暇もない年俸は、ファンドにでも預けておけばいい。

 アメリカのファンドに分散して預けておけば、勝手に運用してくれる。

 セイバーは自分でも運用しているが、他に運用を任していたりもする。

 色々と理由はあるのだが、彼女としても自分一人でするには、仕事の量が多すぎるのだ。


 まだ優勝の余熱が残る時期から、既に来年の計画は始まっている。

 武史の未来も、まだまだ未確定であるのだ。

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