第11話 アトリエの生活
結局千春が必要な糸を伝えて選んだ。
欲しかった刺繍糸だけではなく、見ているうちにあれもこれもと欲が出てしまい、いつしかアリィが用意したカゴには沢山の糸や布が入っていた。
さすがに千春も欲張りすぎたと反省し「減らしてもいいですか?」とアリィに聞く。
「駄目! 全部欲しいんでしょ! お金なら王子が払ってくれるもんね!」
「ああ、金ならある。どれだけ選んでもらっで構わん」
値段は分からない。それなりにかかるだろう。しかし、レクサは金銭面で困るようなことはないようである。
でも、と千春が言えば、メマが割って入る。
「チハル様はこれでアリィを助けたように、多くの人を助けられるのではないですか? でしたら、そう身を引くものではありません。ここは旦那様に甘えるものです」
メマの言葉に納得してしまったのもつかの間、レクサが隣に立ちアリィと会計をし始める。日本ではないこの世界で、お金の単位も相場も分からないが、これだけ沢山買っても『三〇〇ルピ』であるという。それをレクサはポケットから通貨を取り出して支払った。
「毎度です!」
元気なアリィの声に千春の肩が上がる。
「……足らないか? ならばもっと――」
「違います! こんなに買って貰っちゃって悪いな、と。ほとんど買い占めたようなものだし、他の人が買えなくなっちゃうし……」
声は小さくなっていく。
瘴気で生活が脅かされているのに、ひとりで買い占めるのはよろしくない。かつて被災した経験があった千春には今回の買い物に、引っかかるものがあった。
その気持ちは言葉にせずとも、顔が曇る様子から何かを感じ取り、レクサは言う。
「この国の民が、そのようなことで腹を立てるわけがなかろう」
「レクサさん……」
「今は瘴気で皆、自分のことで精一杯。最低限の衣食住は必要だが、食の方が満たさていない。他はかろうじてまかなえている。だから気にとめることもかろう」
真面目に話すレクサに感銘を受け、千春は言葉の通りに受け取ることにした。
「民が望むは、瘴気のない生活だ。お前の力が、品がそれに繋がるのであれば協力は惜しまない」
「……ありがとうございます、レクサさん。私に出来ること、頑張ってやりますね!」
「ああ、よろしく頼む」
アリィが購入品を持ち帰りやすいように、紙袋にまとめたのをレクサが持つ。そしてこの場を出ようと体の向きを変えたときに、メマが口を開く。
「坊ちゃん。お一つ、お伺いしたいのですが」
「なんだ?」
「アトリエをお使いになられては?」
「……それは……」
レクサは渋い顔をする。
「坊ちゃんのことです、アトリエは残してあるのでしょう?」
「ああ……一応、な」
「でしたら、そこをチハル様に使っていただいた方が利便性も安全性も高いのでは?」
「それはそうだが……あそこは母上の……」
「承知しております。メマも給仕に伺いました」
二人の会話に入ることは出来ない千春へ、アリィがこっそりと耳打ちする。
「王子のお母さん……死んじゃったの。すごく裁縫上手だったんだって。いつも裁縫するのに使っていた秘密の場所があるみたいだよ」
「へぇ……そうなんだぁ。アリィちゃん、詳しいね」
「えへへ!」
誇らしげなアリィは胸を張る。こそこそと話している間に、レクサは覚悟を決めたようでメマへ何度も頷く動作をしていた。
「坊ちゃん。決してご無理はなさらぬように。坊ちゃんが倒れれば、国は倒れる。母上様も父上様も悲しむでしょう……何かあればメマをお呼びください」
「それはメマもだ。そろそろ隠居生活したらいいだろう? もう歳なんだから」
「ふっふっふ。メマはあと百年は生きます故、瘴気が無くなり次第、城に戻りますよ」
「それは、楽しみなことだな」
再会当初見られたメマの動きを思い返せば、彼女があと百年生きても何の違和感も抱かない。元気な姿のままで会えることを約束し、千春とレクサは店を後にするのだった。
☆☆☆☆☆
レクサは目的のない行動はしないようで、買い出しが済むと、街をうろつくことなく、真っ直ぐ城に戻った。
その足は早くて、置いて行かれそうになるのを小走りで追いかけた。
日頃の運動不足がたたり、城に着く頃には千春は汗ばんでいた。
「こっちだ」
「はいっ」
ボロボロの城の中、千春が過ごしたあの部屋を通り過ぎた。
城の壁には額縁が飾られている。そこに何の絵があったのか、ボロボロでわからない。そんな通路を通り、壁が崩れ、石片が散在している城の中庭へとやって来た。
まるでそこは滅びた都市のように、石片を隠せるほどに緑が生い茂る。だが、鬱蒼としているのではなく、草木の丈は低く整えられている。それに見上げれば青空が見え、明るい光が差し込んでいる。
「遅れるなよ」
レクサに続いて、石の通路を進む。
右にある崩れかけている噴水からは、水は出ていない。大きくない噴水だが、役目を果たしていた頃は、さぞかし綺麗な姿だっただろう。面影が見えた。
余所見をしていたら、足を止めたレクサに気づかず、彼の背中に顔をぶつけた。
「いてて……すみません……」
「気にするな。それより、ここが母上が使っていたアトリエだ」
目の前には、中庭の自然に溶け込む小屋がある。
扉を開けたレクサ。すると中に篭もっていた空気が千春を包む。
懐かしいようで、優しい匂い。
引き込まれるように小屋に入ると、そこには作業台と共に、トルソーやらミシン、多数の糸に布が綺麗に並んでいる。大きい窓から自然がよく見え、明るさも申し分ない。
「母上が亡くなってからは、誰も立ち入らず、ここを使う者はいなくなった。というより、誰も使えなかった。俺も兄上も、細かい作業は苦手でな。使用人も恐れ多くて使えなかった」
「大切な場所なんですね」
レクサに兄がいることは、初めて聞いた。
いつ頃彼の母が亡くなったのかわからずとも、それが彼の心に深く刻まれた記憶になっている。他人事だが、切なくて、悲しくて、千春は目を閉じた。
「大切な……ああ、そうだな。だが、いくら大切にしていようが、建物は使われなければ廃れていってしまう。チハルに使って貰えるのなら、母上も喜ぶだろう」
そう言ってレクサは作業台の上に、購入品を置く。懐かしむような目で、台に触れていた。
「ここには結界も張ってある。魔物から守ってくれるのと同時に、何かあれば俺やニールの持つ水晶から異変が伝わる。今の城の中では、最も守りが堅い場所だ。アトリエといいながら、生活の全てをまかなえるほど設備も整っている。しばらくはここで暮らすといい」
「……レクサさんの大切な場所に、部外者の私が踏み入ってもいいんですか?」
不安が言葉に出た。
強い意志を持つ彼が、こんなにも儚げに見えるほど、ここは思い入れの深い場所である。千春が立ち入るのには、恐れ多い。そう思ったのだ。
「……? 何を言っている? お前は部外者じゃないだろう? 俺の命も、アリィをも救ってくれた恩人だ。将来の妻として、俺にはもったいないぐらいだ」
「ツマッ……!」
千春の顔が赤く染まる。耐性のないワードに、熱が上がっていくようだった。
慌てて顔を手で覆うところまで、全部レクサに見られていた。
「フッ。いつかは慣れるだろうさ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます