第9話 老婆との出会いの生活


「事実は事実。城に仕える者全て……いや、ニールを残して他はみな、俺が首を切った」


 本人が認めた。それが全て。

「そうですか」と小さな声で目線をレクサから下へと落とす。振られた女ともとれる様だ。そんな二人の真正面から腰が曲がった老婆が杖をついて立ち止まって見ていた。

 白髪をくくり、まるでメイド服のようにオフホワイトのエプロンがついたワンピースを身につけている。曲がった腰のせいで、千春の腰ほどの背丈しかない老婆は、皺だらけの顔を更にニコリと笑って深い皺を作る。


「なっ! メマッ……!?」

「メマ? お知り合いですか? え?」


 老婆を見た途端に急に焦りだしたレクサは、老婆に背を向けると元来た道を戻るように、千春の横を颯爽と走り抜けた。直後に、その後を何かが追っていく。


 目視ではなにも分からなかった。置いていかれた千春が、レクサの背中を追うように振り返って見たときには、彼はすでに無様なほどに地面に倒れていた。

 そして、その背中には先ほどの老婆が何事もなかったかのように座っている。


 千春は、老婆がついさっきいた場所をもう一度見る。そこには何も残っていない。再びレクサの方へ目を向ける。老婆は「ふぉっ、ふぉっ」と笑いながら短い杖でレクサの体をツンツンとつついていた。これはどういうことなのか。


「あのぉ……お婆さま。その方、一応王子なんですが……」


 遠回しであるが、退いて貰おうと千春は老婆に近寄って声をかける。


「あ? 何だって? あたしゃ、ボケてねぇよ!」


 耳が遠いようで、老婆は怒鳴る。

 年寄りとの交流がほとんどない千春は頭を抱えた。


「メマ……そろそろ退いてくれ。婚約者に無様な姿を見せたくない」


 レクサの低い声ですら、老婆に聞こえていないようで耳に手を添えてもう一度聞かせろとジェスチャーをする。


「はぁ……メマ! 聴覚補助魔法をかけろ!」


 強い声で言うと、老婆は一度杖を手放してから瞳を閉じ、自らの耳に両手をあてる。するとグリーンの光がわずかに生まれる。


「メマ。聞こえているのなら、そこから退いてくれ」

「はいはい。ですが、メマからは逃げられませんよ」

「わかってる」


 よっこらしょ、と老婆は杖を持ってレクサの上から退いた。

 背中の重みがなくなったレクサは、立ち上がりながら土ぼこりを落とす。


「ほいで? 坊ちゃんが泣かせたこのお嬢さんはどちら様で?」

「坊ちゃん呼びはやめてくれ」

「メマにとって、坊ちゃんは坊ちゃんなのでねぇ」


 親しげに呼ぶ老婆。千春は二人の関係を勘ぐる。


「深く考えるな。メマは元使用人。ハウスキーパーをしていた」

「メマさんですね。初めまして、私、諫早千春と申します……ってあれ? レクサさん。お城の人たちの首は切ったってさっきおっしゃって……?」


 頭を下げて自己紹介途中でハッとする。千春は答えを求めるようレクサに顔を向けた。


「ほほほ。坊ちゃんはメマの首まで切りましたよ。坊ちゃんが生まれるずっとずーっと前から、もう何十年と仕えておりましたのに、あっさりと切りました。メマはもう、毎日毎日坊ちゃんのことが心配で心配で、夜しか眠れなかったのですよ。しかし、それも全て坊ちゃんの優しさであることを知っております。坊ちゃんは本当にお優しい。メマは坊ちゃんのお考えを尊重いたします」

「……ああ! 首を切るって解雇ということですね! なるほど、なるほど!」


 言葉の意味をはき違えていたが、やっと正しく理解でき、千春の顔に笑顔が戻る。

「十分眠れているということだろ」とボソリと呟いたレクサ。


「ところで坊ちゃん。チハルさんとはどういう関係で? 街の者がやたらめったら騒いでおりますよ」

「ああ、婚約者だ」

「婚約……婚約! 星の数ほどの女性を泣かせてきた坊ちゃんが、婚約を! 西のご令嬢にすらろくに会話せず『帰れ』と突き返したあの坊ちゃんが! 北のご令嬢には『お前に費やす時間には全く価値がない』と言い切ったあの坊ちゃんが! おおおお……坊ちゃんの成長、メマは大変嬉しゅうございます!」


 大喜びのメマの発言に千春は口角を引きつらせる。人間性を疑ってしまっていたのだ。

 そんな千春の思考など読めるわけなく、レクサは興奮覚めやらぬメマの言葉を聞き続けている。


「ついに坊ちゃんが身を固めたのですね……祝いの席を用意しなくては。瘴気で今も収穫出来てるのかわかりませんが、坊ちゃんの好きなベリーのケーキを手配しましょう。ああ、でも……」

「どうかしたか?」

「ええ……その、手を貸してくれる孫が……」


 あんなに生き生きとしていたメマの声に活気がなくなっていく。何か起きていると一目瞭然だ。

 レクサが膝を付き、メマとの目線をあわせようとするが、メマは違うところを見ている。その方向には、一軒のボロボロの家があった。


 レクサはすぐさま立ち上がり、その家へと向かう。それを千春はゆっくりとメマと歩調を合わせて追いかけた。

 レクサが扉を開ける。軋む音。すぐに壊れそうな扉の先。棚のようなものを壁際に寄せ、穴だらけのソファーに横たわる少女の姿がそこにあった。

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