第5話 約束破りの生活


 ニールに出ないよう言われた扉を恐る恐る開けた。扉は重く、軋む音を立てながらも開く。部屋の外は、石造りの城の内部。城というだけあって、床は赤い絨毯が敷かれ大きな窓から美しい城下町が見えて太陽もしくは月の光が差し込む――そんな千春の想像を裏切る様が広がる。


 部屋は壁に飾られた蝋燭により柔らかな明かりが灯っていて、夜だったことにも気づけないぐらいだった。それが、部屋の外はうって変わって深い闇。窓ガラスが割れており、そこから風と共に月明かりが差し込んで、あたりを確認できた。


 足元には絨毯が確かに敷かれている。だが、見るも無残に破れて石の床が見えている。それどころか、朽ち果てたかのように、下のフロアが見えている。何かに抉られたかのようだ。


「…………」唖然として、言葉が出ない。本当にここは一国の城なのかと、疑わざるを得ない。

 これだけボロボロであるならば、修繕に手が回らないと言われても納得がいく。直すべき箇所が多すぎるのだ。

 挙動不審になりながらも、千春は転んだり、下へ落ちぬように足元に気を付けながら歩き始めた。全ては糸を求めて。


 城の倉庫ともあれば、大きな部屋だろう。道は分からないが、ニールに見つかれなければいい。千春はそっと曲がり角から先をうかがう。


「っ!」


 通路の十メートルほど先に、何かが蠢いたのを見た。ほんの一瞬だったが、ゴキブリなんてサイズじゃあない。もっと大きくて、千春の体を飲み込めそうな大きさだ。身の毛がよだち、曲がり角に体を隠す。

 聞こえてくるのは不快な音。粘性のものが地に落ちるような音。人間ではない。形を保たない異形の存在である。千春はそれに見覚えがあった。元の世界で千春を襲ったあの存在である。千春の命を脅かしたそれが、またすぐそこにいる。千春は呼吸が荒くなり、膝が笑う。壁に手をついて立っていたが恐怖が襲いかかり腰が抜けて、その場から動くことができなくなってしまった。

 千春は次第に少しずつ、音が近くなってくることに気付かない。


 何とか呼吸を整えようと、ゆっくり大きく息を吸い込んでは吐いてを繰り返す。三度目の呼吸で、正常に近づいてきたとき、千春の一メートル横に、べたりと音を立てて何かが落ちた。


「あっ……」


 落ちたのは異形の存在が落としたもの。そこからジワリと辺りを焦がすように絨毯を溶かす。

 間違いない。瘴気を帯びている魔物だ。

 顔を上げると、千春を見下ろすスライムのような形をもたない生き物がいた。

 逃げようとしたが、立ち上がれない。命の危機に瀕し、涙が浮かぶ。ニールとの約束を破ったせいだ。言いつけを守っていれば、こんなことにはならなかった。

 走馬灯のように今までの生活が頭をよぎる。思わず目をつむり、死を覚悟した。


「はああああっ!」


 勢いが込められた声と主に、千春のすぐ横を刃が通り過ぎる。

 風で髪がふわりと持ち上がる。驚きで顔を上げると、そこにはレクサが剣を魔物に突き刺すと、魔物は不快な音をたてて地に落ちる。動かなくなったことから、魔物の脅威は去ったようだ。

 恐怖から解放されると、千春は胸をなでおろす。


「おい」

「ふぁいっ!? な、なんでしょう?」とっさにひるがえった声で返す。

 すると、レクサは剣をしまい込んで、ジッと千春を見たまま、一定のトーンだが低い声で言う。


「何故貴様がここにいる? ニールは何をやっている。あいつに任せたはずだろう」

「ニールさんはどこかへ行かれています」

「チッ……あいつ、適当なことやったか」


 大きな舌打ちに複雑な心境に立たされて、千春は返す言葉が見当たらない。


「お前は魔物が集まって来る前に部屋に戻れ。あの部屋には魔物を退けるための魔法がかかっている」

「でもっ……」


 また怖い思いをするのは御免だ。部屋に戻ればいいというのだから、戻りたい。だが、千春はその場に座ったまま口を閉ざす。


「なんだ、ここで死にたいのか?」

「ちがっ……その、足が……」


 腰が抜けて立ち上がれない。何度も地面に戻ってしまう千春に、レクサはため息を吐いた。

 すると。


「きゃあ!」


 レクサは千春の腰に手を回すと、軽々と持ち上げる。手足が地面から離れ、浮いた体はレクサの肩にのしかかる。

 お姫様だっこ――ならぬ、お米様だっこだ。


「部屋に戻るぞ」

「この状態でですか!?」

「何か不満が? 言える立場でもないだろう?」


 確かに腰が抜けて歩けなくなった千春が、わがまま言えるわけもなく、羞恥を抱えながら「すみません」と零した。

 レクサは千春を担いだまま歩く。部屋からさほど離れていないため、移動時間は短い。しかしその間に、千春はレクサの動きに対する違和感を見つけた。

 レクサの右足。

 すね当てもつけて、長いパンツを履いているので肌は見えない。左足と見比べてると、足を引きずるようにして動かしている。見間違いで済む程度ではない。足音がそれだけ違うのだ。

 右、左、右、左。レクサの足を見続けていたら、ふと足が止まった。


「おや? にぎやかと思えば……これから新婚旅行ですか? 夜行列車に乗れば、目立ちませんもんね」


 聞こえてきたのは、ニールの声。千春はニールにお尻を向けている状態のままであることから、とっさに顔を両手で隠す。


「ふざけたことを。お前の監督責任だろう」

「いえいえ。確かに部屋を出るなと言いましたよ? それに調べるよう言いつけたのはレクサでしょう。さすがのわたしでも、四六時中見張っているのは無理です。他にも食料調達やら城、民のこと、政治に他国との話し合い――」ニールは指折り数えていく。

「ああもういい。お前のことだ、ここに来たのもこいつが逃走したのに気づいたからなのだろう」

「ふふふ。ええ、そうです。さすがにレクサの婚約者に何かあっては困りますからね」


 諦めた様子のレクサにニールは笑って返した。


「婚約など言ってられるか。とっとと瘴気対策を進めなければいけないのだから」

「……そうですね。その支援をわたくしは惜しみません」


 二人を繋ぐ信頼関係が強く感じられた。

 まっすぐ強い意思があるレクサ。時折ふざけた面を見せるニール。互いに信頼し、尊重し、そして協力して国を守ろうとしている。自分のためではなく、国民のために。

 千春はそんな二人の足かせとなって、迷惑をかけた自分が情けなく感じた。今までの社畜生活においても、誰かのために働いていたわけではない。自分が生きるために、与えられたことをこなすだけだった。今まで暮らしていた世界は違えど、さほど年齢が変わらない二人と比べて、なんと惨めで貧しい心しか持ち合わせていなかったか。

 退屈だからと仕事を求め、与えられたのは修繕という名目の時間つぶしの裁縫仕事。誰かのためになんかじゃない。自分のためでしかない申し出だった。

 行動に対する反省を抱えて唇を強く噛みしめた。

 その間にも部屋に着いたようで、扉を開けて部屋に入る。そしてゆっくりと千春をベッドの上に降ろした。


「着いたぞ。死にたくなかったら、部屋から出るなよ」


 担いだ時とは一転、丁寧な扱いで降ろされたことに戸惑う千春の胸には、まだ反省と後悔が渦巻いている。

 暗い顔を浮かべる千春へ送る言葉はこれ以上なく、レクサは用は済んだからと、部屋を出ようと踵を返す。

 一歩、また一歩。足を進めると分かる右足の違和感。かばって歩いている。そう見えて、千春を行動に駆り立てた。


「待ってください!」


 千春は叫んだ。それにより足を止めてレクサは振り返る。


「なんだ? まだ俺に用か?」

「その、足……」

「……足が何か? お前には関係ないだろう。余計な詮索はするな」


 関わるなと言わんばかりにレクサは言いきる。

 人の心配をないがしろにするほどの冷たい人間である――と受け入れるのではなく、千香は彼が強がっているのではないかと勘繰る。

 国のトップに立つ者としての仕事は多いはず。ましてや、城の内部はかなり崩壊している。城だけではない。おそらく城の外も似たようなことになっているだろう。人々の生活を守るために多忙を極め、自分をおろそかにすることで起きる最悪な状況が予見できた。


「……ないです」うつむき、小さな声を出す千春。

「聞こえん。意見があるのなら、聞こえるように話せ」

「関係ないなんてことはないです!」


 さっきまでの恐怖はどこへやら。千春は立ち上がって、レクサの手を掴んで声を張り上げた。

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