第3話 部屋の生活
名前、年齢、生年月日、生まれ育ちに仕事経歴。さらにら襲われたときの状況などなど。ニールは時間をかけて事細かに質問をした。思い返すようにたどたどしく千春は答えてゆけば、言葉を一言一句間違えずに記録していく。その様は、側近としての仕事をこなせるだけの能力の高さを示しているようだった。
同じ質問ではないものの数は多く、青空はいつしか赤く染まり、黒い鳥が遠くを飛んでいた。世界は違えど、時間は変わらず過ぎていくのだと感じるのと同時に、千春はまだ続くのかと途方に暮れた。しかし、休憩を余儀なくさせる音が鳴り響く。
唸るような音。
千春の腹の虫だ。
「うっ……」
「おやおや。威勢のいい音ですね」
顔を隠すよう膝を抱える千春。ニールは窓の外を見ると、納得したような顔で言う。
「いい時間ですし、食事にしましょう。こちらにお持ちするので、もうしばらくお待ちください」
「はい、すみません……」
フフフと笑いながらニールは一度部屋を出た。
そこから戻ってくるまで三十分。腹の虫を鎮めるべく何度もさすっているうちに戻ってきた彼の手にはバスケットに入った幾らかのパンと瓶入りの水があった。決して豪華ではない内容である。それを窓際のテーブルに置き、千春をソファーまで移動するよう手招きする。
ベッドの足下にあった、千春の私物であるパンプスを履いてソファーに腰を降ろす。ニールは立ったまま、説明を加えた。
「瘴気の影響もあり、作物栽培も滞っているのです。申し訳ないです」
どうぞと置かれた内容に礼を言ってから、ひとつパンを手に取って口に運んだ。
固くパサついた触感。噛みごたえがあるといえば聞こえがいいが、何度噛んでも味はない。食べられなくはないが口の中の水分を全て持っていかれるようで、水で押し込むように飲み込んだ。
城の食事とは思えない。むしろ捕虜に与えるものと言われれば頷ける。だが、今の千春は婚約者(仮)。立場的にはふさわしくない、あまりにも簡素すぎる。
「食べながらで結構です。質問を続けても?」
「ふぁい、らいじょうぶれす」
背に腹はかえられない。千春はもぐもぐと口を動かし続ける。小さくちぎり、飲み込みやすいようにしながら頬張っていく。
「どうして貴方は瘴気のダメージを受けていないのです?」
ごくりと飲み込んで、すぐに答える。
「そんなこと言われてもわからないですよ。そもそも瘴気なんてものは初めて聞きましたし」
「ふむ……では、貴方自身の体の中か、身に付けていたこの衣服に何か秘密があるのかということになりますね」
ニールの手には固まった血液が付着した千春の服があった。会社に泊まりこみの間、シャワーを浴びることはなく、ふき取り型のシートで体を拭いていた。だから、血液以外にも皮脂汚れがついたそれを、何食わぬ顔で持つニールに目を見開く。
「あ! 私の服! どこにいったかと思ったら持ってたんですか。身ぐるみはがして、持ち出して……」
「そういう話は結構ですので。体をまさぐられるよりも、まずはこっちの方がいいでしょう?」
話にならない。すぐに千春は諦めた。何を言ってもニールは受け流す。のれんに腕押しし続けても仕方がない。千春はパンを頬ばる。
「この服はどちらで購入で?」
「買ってないです。学生時代に趣味で作ったもので」
ニールは改めて両手で服を広げた。
シンプルなブルーのワンピース。普段は市販されているものを着ているけれど、学生時代に趣味で大量に作った服があったので、たまたまそれを着ていた。ところどころ縫製が雑で、ほつれてしまっている部分もある。時間があれば縫い直しもできるが、そんな時間はまったくなかった。
「貴方が作ったものですか。では、試してみましょう」
そう言ってニールがガサガサとポケットの中から取り出したのは小瓶。指二本で千春に見せつけるように軽く振って見せる。五センチほどの大きさのそれは、しっかりと蓋がされている。その中には黒く蠢く何かが入っている。液体ではない。気体でも固体でもないその何かに、千春の胸はざわつく。
「これは瘴気です。吸い込んだり、触れれば病みますが、この量であれば、瓶に集めることができたのです。実験解析用のものですが、これを――」
ニールは小瓶の蓋を開けるのと同時に、千春が作った服を瓶の口に押し当てる。そして瓶ごと逆さにして、瘴気が服に触れていく。
「人体同様、瘴気は服でも傷めてボロボロに朽ちていくのですがこれは……」
確かにそこにあった瘴気は、服に触れている。だが、服を朽ち果てさせることなく、服は形を保ったままに瘴気がみるみるうちに消えていく。まるで登っていく湯気のように。
「どうやら貴方の身体が特殊というよりも、この服の方が特殊だったようですね」
「は、はぁ……」
ニールの糸目が見開いたのは一瞬のこと。それだけの衝撃があったにも関わらず、何度も頷いていた。
「瘴気を祓う服。ああ、いいですねぇ! コチラの服、もうしばらくお借りしていてもよろしいですか? 調べたいので!」
「あ、どうぞ」
既に服は千春の手からニールへと回っている。もう所有権はないに等しい。思入れがないといえば嘘になるが、泣いて縋って返して欲しいというほどのものではない。必要ならばまた作ればいい、本来の着用という目的ではないが役に立つのなら充分活用してもらえれば服にとっても嬉しいだろう。千春はすんなりと受け入れたが、別の疑問が浮かぶ。
「私からひとつ、聞いてもいいですか?」
「はい、何でしょう。立場上、お答え出来かねる場合もありますが」
許可を得ると、千春は浮かんだ疑問を口にする。
「その瘴気っていうのが私の服で防げた、というのはわかったんですけど、傷はいったいどうやって塞がったんですか? 服に血もついてるし、何か刺されたのは違いないはずです」
痛みのない傷口をさする。すると。
「それは……推測では見当がついておりますが、わたしの口からはお応え出来ません。申し訳ありません」
一瞬だけ、ニールがニヤついたようにも見えた。だが、明確な答えは得られず、千春は小さく「そうですか」と返す。
「いつか知ることができるとは思いますよ。貴方の成り行きによっては」
「はぁ。よく分かりませんけど、教えてくれる気はないってことは分かりました」
その通りです、とニールは顔を明るくして言った。
「さて。大まかに情報を得られたのでひとまずは終わりにいたしましょう。以降は婚約者としてそれなりに過ごしていただければ結構です」
「それなりって何です? ここに引きこもっているようにということですか?」
「そうなりますね。何せ我々は成すべき仕事が多いので。あ、勝手に城内をうろつかないでくださいね? どうなっても知りませんよ」
それじゃ、と置いてけぼりにされそうになったのを千春は慌てて扉の前に立って阻む。
たった一部屋。外の世界なんて知らない、頼りになるのは今目の前にいるニール。余った時間の費やす何かがほしい。
「まだ何か?」
「あります、ありますよ! ひとり知らない場所に残って何をしろというんですか。テレビも本もない部屋で。退屈で死にます」
仕事中毒だった生活から解放されたとはいえ、何かをしていないと落ち着かない。以前はあった、疲れがなくなったことで、体は労働を求めていた。
「ですが貴方に出来る仕事なんて……あ」
何かを思いだしたかのような声は、千春に期待を抱かせる。
「備品の修繕をお願いします」
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