第24話 空白の時

「これは……」

 ヴォルド軍師が手にした紙の束は不正の記録だった。

 束の一番上には目録のような紙切れがあり、几帳面な字で日付と文書名と担当者などが記されていた。

 しかし、ヴォルド軍師は幾つかの束を目にして気づいた。

「筆跡が……違う?」

 それはジン一人が残していた記録ではなかった。

 筆跡から少なくとも三人の者の手によって記録されていたことが分かる。

 ならば、ジン以外にもこの場所を知り、ジン亡き後もこの場所を守っていた者がいるということだ。

 改めてこの室内を見回すと、紙の保管庫として利用されているからではなく、隅々まで掃除が行き届いているのが分かる。

 誰かが今もこの場所を管理している。

 一体、誰が……?


 そう思った時、背後で戸が開く音がした。

 振り返って、近づく足音に身構える。

 書架の陰から姿を現したのは、先程の青庁庁官だった。

「やはり……その場所が目的でしたか」

 葬儀の準備に奔走しているはずの庁官は、静かにそう言ってヴォルド軍師を見据えた。


 玄庁の人間をあっさり書庫へ案内したのは、目的を探るためだったのか。

 ヴォルド軍師は庁官の罠に嵌ったと知り、この場を切り抜けるためにどう返したものか、瞬時に言葉を探す。


「この場所をどうやって知ったのですか?」

 ヴォルド軍師が黙していると、庁官はそう問うた。

「……ジン官吏が遺した書簡で」

 既にこの場所に辿り着いている以上、暗号を解いた事実を伏せる必要はない。

 そう判断して事実を述べた。

「やはり書簡を……」

 そう言って庁官は目を細めた。

 庁官は黄庁と繋がっているのか、タオの配下なのか。

 ヴォルド軍師は庁官の表情を探るように見つめたが、心中を察することはできなかった。


「それで、軍師殿はこの場をどう扱うおつもりで?」

 庁官は表情を変えることなく、けれど鋭い視線をヴォルド軍師に向けた。

 その視線を受け、ヴォルド軍師は賭けに出ることにした。

「……ヨン殿下に報告致します。ヨン殿下からヨウ殿下にお伝え頂くつもりです」

 今もなお管理され、守られているこの場所を知っているなら、庁官はこの場所を守る者だ。

 タオとは繋がっていない。

 そう判断して賭けた。


 一方、王の崩御で香月楼の陽動作戦は半ば不要になりかけていた。

 だが、まだ王の崩御を知らないスウォルらは芝居を続けるべく、裏庭にライと飛び出し、斬り合いを演じていた。

 それを庭木に登って見ていたのは、レンだった。

 近衛兵として駆り出されていたが、カイに報告するべく単独行動を取っていた。


「シンと……誰だ?」

 眉間に皺を寄せ、目を細めて二人の剣技を見ていたレンはシンが本気を出していないことに気づいた。

 黒装束の男もどこかで見覚えがある。

 シンと似た動きをしているが、シンよりも数段実力は上に見える。

 それなのにシンが本気になっていない。

 黒装束の男も手を抜いている。

 ということは、これは何かの作戦だ、とレンは思い至った。

 しかし、気になるのはシンより武芸に優れた者の存在だ。

 レンが知る限りそんな者は周りにいない。

 けれど、見覚えはある。

 記憶力が異常に優れているレンには変装していようとそれが誰だか分かる。

 体格は勿論、手の皺や動き、些細な癖でそれが誰なのか。


「あ、ライ?」

 レンの位置から男の背は見えていたが、顔が見えなかった。

 だが、一瞬、振り返った男の目でレンは気づいた。

 カイが頑なに教えなかったシンの武芸の師。

 それがライだと気づいた瞬間、ライの正体も分かった。

 思わず手が震える。

 玄試を受けた時、人々の口に上った噂から予想はしていた。

「死神だ……」

 カイがレンに話さなかった理由。

 死神と呼ばれた暗殺者。

 その姿を見た者は全てあの世へ送られる。

 故に誰も見たことがないという伝説の男。

 十年前に死んだと噂されていた。

 そんな男がジンの使用人だった?


 レンは記憶力は良いが頭は良くない。

 考えたところで、その事実がどういうことなのかは分からなかった。

 なので、答えを求めてレンはカイの元へ走った。


 その道中、都の町にも太鼓が鳴り響いた。


 香月楼を囲む近衛兵に軍部から王崩御に伴い、王宮が厳戒態勢に入る準備をしろと命令が下る。

 香月楼の人質はひとまずシン将軍が解決するので、囲んでいる兵は全員王宮へ向かうようコン副将軍の指示が伝えられた。

 塀の向こうの動きに、スウォルらも気づいて動きを止める。


「王が……亡くなったんだ」

 目を覚ましたゼドが裏庭に姿を現した。

 斬りかかって来ない様子にライはチュンユが既に説明したのだと察する。


「ここで茶番を演じる必要はなくなったな。王宮は今頃葬儀の準備で慌ただしいはずだ」

 ライが剣を納めると、スウォルもそれに倣った。


 そこに裏門からセファがふらついた様子で侵入して来た。

「セファッ」

 ゼドが叫んで駆け寄る。

「なんで、ここに……? 何があった?」

 ゼドがセファを支えながら問う。

「ゼド? シン将軍が黒装束の男と戦ってるって聞いて……怪我は?」

「これは芝居だ。安心しろ」

「芝居? 将軍と知り合いなの?」

 怪訝そうにするセファにゼドはチュンユを振り返った。

 次いでスウォルを悲痛な表情で見つめた。

 話すべきか? 今、伝えるべきか?

 ゼドは迷った。

 何も覚えていないセファに目の前に妹がいる、と伝えるべきか。

 コン副将軍やヴォルド軍師が証拠を発見できたかどうか分からない状況で、まだやらなければならいことが山積みの状況で、将軍の心を乱すことを明かしていいのか。


 少し前まではすぐにでも再会させなければ、と思っていたゼドだったが、いざ目の前にすると揺らいだ。

 カイの言っていたことが分かった気がしたからだ。

 この二人を会わせるには、それなりの状況が必要だ。

 今はただ混乱させるだけだ。


 だが。


「思い出したんだ……ゼド。全部ではないけど、シンという名は俺の名だ。仮面をつけて俺の名を名乗っている将軍は……誰だ?」


 その言葉にライ、スウォルはセファを見つめた。

 そこに十年前の面影を探す。


「シン……なのか? 本当に?」

 ライはゼドに答えを求めた。

 ゼドは迷ったが、シンが思い出しかけている以上、黙っておく訳にはいかないと意を決した。

「そうだ。お前の兄だ」

 そう言ってゼドはスウォルを見た。

「十年前、シンはここにいた。ここでジン官吏が殺されるところを目撃したせいで、刺客に狙われたのを俺が助けた。でも、逃げようとして頭を打って記憶を失ってた。シン、お前の名を名乗ってるのはお前の妹だ」

「妹……? 将軍が?」

 俄かには信じられない様子で、セファはシン将軍を見つめた。


 香月楼から逃げ出したセファは地上に戻ったところで、酷い頭痛に気を失っていた。

 その時、夢を見た。

 庭で父と一緒に剣の稽古をしていた。

 その側で母と妹が楽しそうに笑っていた。

 幸せだった日々。

 それが一転して父が徐々に吊り上げられ、目前で刺客が短刀を突き付けて来た。

 その瞬間、地響きのように鳴った太鼓の音に目を覚まし、あの夜の出来事を全て思い出していた。

 そして、自分の名前も。

 妹の姿も。


 だが、目の前に佇むのは仮面を着けた将軍姿の者だ。

 耳にした噂では『鬼将軍』の異名がつく程、恐ろしく強いということだった。

 想像したいたより小柄で華奢で、鬼という印象は受けなかったが、それでも思い出した妹の姿とはかけ離れていた。

 十年という時が経って成長したからではない。

 花のように可愛らしかった妹が毅然と立っている。

 勇ましい姿に自分がいなかった時間がどれ程過酷であったか、容易に想像できた。

 だが、その身に何があったのかは分からない。

 何が妹をこんなにも変えてしまったのか。

 セファはただただ妹の姿を見つめていた。


 スウォルもまた、セファの顔に父や母の面影を見つけて胸を抑えた。

 生きていた。

 その事実にただただ嬉しさと安堵感で一杯になっていた。

 聞きたいことが山ほどあったが、どれも声にはならなかった。

 ただ、代わりに涙が溢れた。

 そして、セファに抱きついた。

「兄様……生きてた……」

 その言葉でゼドは打ち明けて良かったと安堵し、ライとチュンユに視線をやった。

 しばし、二人だけの時間に浸らせよう、と。


 妓楼の一室に戻った三人は互いに情報を整理すべく、ゼドが口火を切った。

「いろいろと誤解があったようだから、ちょっと整理させてくれ。あんたが楼主を人質にしたのは芝居だったんだな?」

「ああ。ここで騒動を起こしてシン将軍を来させる。そうすればタオの関心がこっちへ向く。その間にコンとヴォルドが青庁で探し物をする。そういう計画だった」

「青庁で? 何を探してる?」

「書簡の暗号を解いたそうよ」

 チュンユが割り込む。

 ゼドの表情が一変してチュンユを振り返ったが、すぐにライに視線を戻した。

「なんて書いてあった?」

「『紙の墓所』とだけ。それが青庁にあるとヴォルドは考えたようだ。王が死んで軍部も動かなくてはならなくなった。その場所が見つかったかどうか分からないが、お蔭でこの陽動作戦は不要となった」

「暗号を解いても隠語になってるとはな……」

 慎重だな、とゼドは感心しつつも、まどろっこしさに表情は曇る。

「それにしても二人はどういう知り合いだ?」

 ゼドが話を変える。

「初対面だ。だから作戦を伝えるのに苦労した」

「本物の刺客かと思って死を覚悟したわ。音もなく忍び込んで来るんだもの。あなたが忍び込んで来る時よりゾッとしたわ」

 チュンユが顔をしかめると、ライが「すまなかった」と小さく呟いた。

「……俺が来たのは計算外だったと思うが、殺意がなかったな。こんな格好で来た俺を殺さなかったのはなぜだ? 俺とも初対面だろ?」

「楼主を案じる発言をしただろう? それで楼主の知り合いだと分かった。カイとも……関係があるな?」

「カイとは縁を切った。あいつは俺達の恩人だと思ってたが、駒としか思ってない。シン将軍についてもだ。あんたも奴とは手を切った方がいい」

 ゼドの苛立ちを感じ取ったライは「何があった?」と詳細を訊ねた。

「……カイは誰を殺されたのか知っているか?」

 ゼドが答えないでいると、ライは質問を変えた。

 その問いにゼドだけでなく、チュンユも驚いた表情を見せる。

「俺もカイの事情は知らないが、俺達を駒にした理由は私怨だ。情報屋になったのも過去に何かあったからだ。あいつはまだ十かそこからで行商人をまとめ上げて、情報屋を始めた。これは俺の推測だが、あいつの父親だという商団の頭領を俺は見たことがない」

 ライの言葉に「確かに俺も」とゼドは腕を組んだ。

 チュンユも顎に片手を当て、思案するように視線を落とす。

「俺達と同じだとしても、俺は信用ならない奴と手は組めない」

 一瞬、同情するような表情を見せたゼドだが、そう言ってライを睨みつけた。

「それは俺も同じだ。だから、カイには暗号が解けたことも含めて俺達がすることは伝えない。お前がカイに報告するなら、ここに縛り付けておくつもりだった」

「そうか。それなら問題ない。だが、レンは違うぞ。あいつはカイに拾われて育てられてる忠犬だ。鎖に繋ぐか鈴を付けるかしないと安心できないぞ」

「……それなら、私がカイの所へ行くわ」

 二人の会話を黙って聞いていたチュンユが何か考えがある様子で申し出た。


 一方、王宮内は粛々と葬儀の準備が整いつつあった。

 王は離宮で亡くなったため、遺体を王宮へ運ばなければならない。

 馬なら一日もかからない場所だが、遺体を運ぶとなると二日はかかる道程だ。

 遺体がなければ葬儀は執り行えない。

 通常は即日、時間帯によっては翌朝執り行われるが、今回はその分余裕があった。

 遺体到着までの時間をヨウはヨンとの対話に当てようと考えていた。

 ずっと避けていた弟、ヨンの本心を知るには今しかないと思ったからだ。

 それにいつまでも自室に引き籠って逃げ続けることはできないと悟ったのもあった。


 ヨンのためにもヤンのためにも自分が王の自覚を持たねば。

 そう己を奮い立たせて、ヨウは実に三年振りに部屋を出た。

 ヨンの元へ向かおうとするヨウの前にヤンが立ちはだかる。


「殿下、どちらへ……?」

「ヨンのところだ。父の葬儀について相談するだけだ」

「……なりません」

「私とヨンが仕切らねばならないことだ。先程も言ったがヨンは暗殺など企てない」

「そうではなく……」

 タオの意に反すれば殺されます、と言いかけてヤンは止めた。

 代わりに拳を握り締めた。

「お渡ししたい物があります」

 そう言ってヨウを自室に招いた。


 そこでヤンがヨウに差し出したのは、壺を入れるような桐箱だった。

 蓋を開けると小さな紙切れが幾つも入っていた。

 どれも折り目がついている。

「これは?」

「タオ宰相が使用している伝書鳩が私に届けた物です。私が飛ばした物は燃やされて残っておりません。届け先は都に潜伏している刺客です。現在稼働しているのは二人程

 ヤンの口振りにヨウは箱から顔を上げて、ヤンを見た。

「なぜ……過去形で話す?」

「……私が始末したからです。箱はこれ以外にもまだあります。ヨン殿下がヨウ殿下や陛下に宛てた文も私が所持しております。これらは全てタオ宰相の指示でした」

「……タオにこれ程忠義を尽くすのはなぜだ?」

 ヨウは困惑した表情でヤンを見た。

 箱に添えた手が僅かに震える。

「タオ宰相は私の父です。母は妓女でした。婚姻はしておりませんし、この事実は隠されてきました」

「タオの……」

 ヨウはそう呟くように言って俯いた。

 ヤンの立場を理解し、納得した。

 そして、ヤンの複雑な胸中を想像して胸が痛んだ。

 同時に長く傍にいたヤンのことについて何も知らなかったことを恥じた。


「これを使ってタオ宰相から玉座を取り戻してください。私が殿下にして来たことをこれで赦して欲しい訳ではありません。私は決して赦されないことを致しました」

 そう言ってヤンはその場に跪いた。

「ヤン、でもそれはタオがお前に命じたことだろう? 宰相に……父親に逆らうことはとても難しい。それは私にも理解できる」

 ヨウもしゃがみ込んでヤンの肩に手を置いた。

「殿下……」

 ヤンが何か言いかけた時、廊下の向こうから慌ただしい足音がし、「いけません」と制止する声が聞こえた。

 が、勢いよく部屋の戸が開いた。


 現れたのはヨンだった。

 少し遅れてアルの姿も見える。

 その背後に黄庁央司部の官吏の困惑した姿も見えた。


「兄上……」

 ヨンがそう声を掛け、ヨウがそちらを向いた瞬間。

 それは、ほんの瞬く間の出来事だった。


「ヤン?」

 ヨンが怪訝そうな表情をしたのを見、ヨウが振り返る。

 ヤンの手には小さな薬箱が握られていた。

 そして、ヤンの口許からは血が一筋、流れ出ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る