第23話 至純の檻

 部屋に入ったスウォルが目にしたのは、楼主のチュンユ、次いで床に仰向けに寝かされた黒装束の男だった。

 顔は半分隠されていたが、見覚えのある独特の出で立ちにスウォルは剣の切っ先を男に向けた。


「ライッ、この者は私のことを知ってる。十年前のことを知ってて私を襲って来た」

 スウォルはライにチュンユを守るよう視線で促した。

 が、チュンユが「剣を納めてください」と静かに言ったので、スウォルは困惑した様子でライを振り返った。

 ライも静かに頷いたので、スウォルは剣を鞘に納めると、チュンユが「この者は俗に『夜の太陽』と呼ばれている者です」と話した。


「あの義賊の?」

 スウォルが怪訝そうにチュンユに問う。

「カイがそう仕立て上げました」

 その言葉にライが不快そうに一瞬、眉間に皺を寄せた。

「この者はゼドと呼ばれています。あなたと同じく、父親を殺されています。彼の場合は表向きは火事ですが。父親は書司部の官吏だったそうです。それと、他にスウという女性がいます。彼女の父親は白庁の医官で、山中で転落死とされていますが、殺されたとしか思えません。少なくともあなたの父親も含めると三人が自殺や事故を装って殺されています」

 自分の他にも同じ境遇の者がいたと知り、スウォルは胸が痛んだ。

 だが、同時に仲間を得たような安堵感もあった。

「それと……一つ、あなたに告白しなければならないことがあります」

 そう前置きをして、チュンユは十年前の『あの夜』のことを話した。

 ジンが殺された場にいたこと、書簡を抜き取ったこと、それをカイに渡したこと。

 それから、ゼドが刺客と乱闘したこと。

 それらを淡々と話し終えると、チュンユは最後に深々と頭を下げた。

「ここには黄庁の高官と名のある貴族しか入れません。故に欲しい情報があれば、何でもお話します。私はヨン殿下、コン副将軍、ヴォルド軍師にも協力しております。二度とあのようなことが起きぬよう、私にできることは何でも致します」

 チュンユの話にスウォルは拳を握り締めた。

「ありがとうございます。あなたのお蔭で父の書簡を読むことができました。暗号も解け、今はコン副将軍とヴォルド軍師が探してくれています。その時間稼ぎに私はここに来ました。この陽動作戦にもご協力頂き、感謝しております」

 スウォルもそう言って深々と礼をした。


 初めて間近で見る『鬼将軍』の姿にチュンユは驚きよりも胸が痛んだ。

 仮面の奥に覗く瞳は凛として、揺るぎない光が宿っていた。

 同じ女性の身で剣を手に将軍にまでなった、それがどれ程過酷でどれ程の犠牲を払って来たか、それはチュンユには想像もつかなかった。


 ライもまた、チュンユの話で改めて床に転がるゼドの姿を見下ろした。

 ゼドとスウの境遇は調べがついていた。

 だが、ゼドが『夜の太陽』になっていたとは知らなかった。

 ただ、ジンより以前に同様の事が起きていた、という事実だけを知っていたにすぎない。

 そして、ゼドの背後にカイがいるならば、やはりカイは全てを知っていて自分達を駒として動かしている、と確信した。

 情報屋として動いている訳ではない。

 カイもまた何かしらの私怨で動いている。

 そう直感した。

 

 同時刻。

 王宮内ではコン副将軍とヴォルド軍師が官服で青庁付近にいた。

 玄庁の官服は黒だ。

 忍ぶにもうってつけだ。

 懐には黒い布を忍ばせており、いざとなれば顔も隠す準備はしていた。


 香月楼での人質騒動は王宮内にも伝令によって伝わっており、官吏らも仕事が手につかないようで、至る所で憶測と噂が行き交っていた。

 その上、密かに黒装束とシン将軍のどちらが勝つか、賭けも行われているようで、公式な伝令とは別に私的に伝書鳩を飛ばして情報を集める者までいた。

 そんな宮中の様子にヴォルド軍師らは陽動作戦が上手く功を奏していると安堵した。

 が、そこに太鼓の音が低く大きく響いた。


「何だ?」

 コン副将軍が音のする方に視線をやる。

 王宮の中央、黄庁から響いて来る。

「……崩御されたのだ」

 ヴォルド軍師が悲痛な表情で呟き、その場に平伏した。

 周囲にいた官吏らも第一打で静まり返り、第二打、第三打でヴォルド軍師同様にその場に平伏していく。

 その様子にコン副将軍は「ホウギョ……」と呟き、それから慌ててヴォルド軍師の隣で平伏した。

 太鼓は王が崩御したことを告げる特別なものだ。

 祭りなどで使われる華やかな音ではなく、荘厳で重厚な響きを耳にするのは王宮に入って初めてのことだった。

 それ故、コン副将軍はすぐに察することができなかった。

 ヴォルド軍師も耳にするのは初めてだったが、儀礼的なものは玄庁に入って一通り学んでいる。

 王が崩御した場合、白庁の侍医から黄庁の央司部へ崩御が伝えられ、そこから玄庁の軍部によって各庁へ伝令が行き、軍部によって王宮の全ての門が一時的に閉鎖される。

 一先ず、太鼓の音が鳴り止むまでは王宮内の全員がその場に膝をつき、頭を垂れなければならない。

 太鼓は全部で一二回鳴った。


「軍部で指揮を執る者が必要だ。コン副将軍は軍部に戻った方が良い。青庁には私一人で行く」

 太鼓が鳴り止むなり、立ち上がったヴォルド軍師がそう指示すると、コン副将軍も立ち上がり、ヴォルド軍師の腕を掴んだ。

「一人だと見張りが立てられないだろ。見つかったらどうする?」

「上手くやるさ。シン将軍に加え、王崩御で王宮内は混乱している。青庁の官吏の大半は書司部と吏司部へ行くはずだ。確か、葬儀に関する記録が正しく行われるか、監視する慣例があったはずだ。手薄になるこの絶好の機会を逃したくない」

「……分かった。くれぐれも気をつけろよ」

「言われなくてもそうするさ」

 そこで二人は別れ、コン副将軍は軍部で葬儀に関する指揮を執りに、ヴォルド軍師は引き続き青庁へ潜入を試みるよう動いた。


 ヴォルド軍師には『紙の墓所』として思い当たる場所が二つあった。

 紙の処分場とその処分前の紙を貯めておく保管庫だ。

 どちらも実際に訪れたことはない。

 なので、まずは処分場へ向かってみた。

 焼却炉が三基あり、紙の束を炉に放り込む様子を見てここは違うと判断した。

 次いで保管庫へ向かう。

 だが、保管庫の場所は事前にヨンに訊いたところ、書庫の奥にあるという。

 ヨンは王宮内の施設設備に詳しい。

 各庁の職務内容にも精通している。

 王位を継ぐ気はないと本人は言うが、王宮内のあらゆることに関心を持ち、常に情報収集を怠らない姿勢は王の器として充分だとヴォルド軍師は思っている。


「ヴォルド軍師様?」

 不意に声を掛けられ、ヴォルド軍師は立ち止まって振り返った。

 そこにはなぜこんなところに? という怪訝な表情の青庁の庁官がいた。

「王崩御の伝令は来たか?」

「いえ、まだですが……太鼓が鳴りましたので承知しております。お蔭でこのように慌ただしくしておりますが」

「そのようだな。将軍が不在の上、私も副将軍も初めてのことで、手が回らないことが多くてな。青庁の者なら詳しいかと思って……恥ずかしながら伝令ついでに教えを乞いに来たのだが……やはり忙しそうだな」

 ヴォルド軍師の困惑した表情に庁官は苦笑した。

「そうでしたか。軍部の方は各所への連絡と各門を閉じて頂ければ結構です。将軍がお戻りになりましたら、将軍のみを迎えてください。捕らえた者がいれば、葬儀が終わるまでは外の近衛部で預かるようにお伝えください。それと、喪が明けるまでは外部の者は入れません。食材なども門前で受け取るようお願い致します。警護も通常通りで問題ありませんので」

「分かった。とても助かる。ああ、あとここに来たついでに書庫を覗いてもよろしいか? 念の為、先王の葬儀がどうであったか、見ておきたいのだが」

「構いませんよ。そこの右手の書庫にお探しの物があると思います。ええと、確か……奥から二番目の棚だったと記憶しております。鍵も今なら開いておりますので」

 書庫へ入る口実も自然にでき、ヴォルド軍師は庁官に礼を述べて書庫へと堂々と潜入した。


 書庫の最奥、灯りの届かぬ角に目的の場所は存在した。

 扉はない。

 ただ厚い青い布が垂れ下がり、その内側からは微かに墨と紙と、年月の澱が匂い立つ。

 中に踏み入れば、湿り気を帯びた空気が肌にまとわりつき、目の前には山積みにされた紙束が無言で佇んでいた。

 それらは誤記、訂正、破棄、取消……いずれも公式には消されたはずの言葉たち。

 だが、その一角。

 棚とも呼べぬ木枠の陰に、印のない文書が綴じられもせず、ただ麻紐で括られていた。

 それは『遺言』のように静かに、紙の中に沈んでいた。


「あった……」

 ヴォルド軍師はその紙の束を手にした瞬間、衝撃を受けた。


 一方、王宮内の一角で太鼓の音に笑みを浮かべる者がいた。

 宰相のタオだ。

 太鼓の音が鳴り止むや否や、部屋にはヤンが駆け込んで来た。

 全速力で走って来た割には息も切れておらず、汗すら滲んでいない。

「やっと逝ってくれたな。次は……分かっているな?」

 そう言ってタオは机の上に小さな丸い飾り箱を置いた。

 その箱の中身をヤンは知っている。

 毒薬だ。

 ついにヨウに飲ませる時が来た。

「今度は王のようにはしない。状況が違うからな。ヨウには長く王でいてもらわねばならぬ」

 その言葉にヤンは安堵しかけた。

「これは体ではなく心を病む薬だ。今はただ疑心暗鬼になっているだけだ。この薬はな、自分が誰かも分からなくなるほど心を病むらしい」

 タオの口許に浮かぶ笑みにヤンは拳を握り締めた。

「早速今夜から飲ませろ。すぐには効かないそうだ。一月はかかるらしいから、この王の崩御で心の病が悪化したように吹聴しろ」

 タオの視線が薬箱へと向けられ、退室を促される。

 ヤンは静かに頷いて、薬箱を手に取った。

 僅かに手が震えた気がしたが、タオは手元の紙に集中して何かを書き始めていた。

「分かっていると思うが、ヨウは葬儀には参列させるな。ヨンが葬儀の場で暗殺を計画していると言っておけ」

 退室するヤンの背に視線を手元に落としたまま、タオが指示した。


 ヨウの部屋に戻ったヤンは床に足を投げ出して座り込むヨウの姿に思わず駆け寄った。

 太鼓の音で王の崩御を知ったのだ。

「殿下……」

 ヤンが声を掛けるとヨウは俯いていた顔を上げた。

 暗い表情がさらに翳って生気を失っていた。

 だが、その瞳には仄かに光が射しているように見えた。


「ヤン、ヨンはどうしているか見て来てくれないか?」

 ヨウの言葉にヤンはタオの指示を思い出す。

「……王の葬儀で何か……良くないことを計画されているようです。また殿下の身が危険に晒されるようなことがあってはいけませんので」

「ヤン。ヨンがどう出ようと父の葬儀だ。私が参列しない訳にはいかない。それに父亡き今、私が玉座に座らなくてはいけない。ヨンではなく、私がすべきことを為さなければ……いつまでも逃げて隠れてはいられない。ずっと分かっていたんだ。ただ信じるべきものを信じられなかっただけで……分かってはいたんだ」

 ヨウは自分を奮い立たせるようにそう言って、ヤンを真っ直ぐ見据えた。

 その顔に生気が戻り始めている。

 ヤンはそう直感した。

 そして、その真っ直ぐな瞳の前では自分が酷く汚らわしく思えた。

「ヤン」

 自分の名に嫌悪感を覚えた。

 懐に隠した薬箱がとても重く、胸を押し潰そうとしているように感じた。

「最近、やっと気付いたんだ。お前が私の前でとても苦しんでいることを。お前は嘘が下手なのに私はずっと気づいていなかった。この三年、私は自分のことしか考えていなかった。許してくれ」

 突然の謝罪にヤンは一瞬、目を見開き、次いで深々と頭を下げるヨウから離れるように立ち上がって半歩退いた。


「……なぜ、殿下が謝るのです?」

 声が震えた。

「こんな不甲斐ない私の傍にいてくれた。それなのに私は何も気づいてやれなかった。だが、気付いた以上、心優しいお前がこれ以上傷つけられるのは我慢ならないんだ」

「私が……何をして来たか……ご存知なのですか?」

「事細かには分からない。だが、少し考えれば分かることだ。お前がヨンのことを私に教えてくれた。暗殺が未遂に終わったのはお前のお蔭だと思っていたが……三度も続くのは異常だ。それにいくら護衛剣士でも全てを未遂に終わらせることは難しい。刺客が直接襲って来るならまだしも、特に毒殺をお前が未然に防げるはずはない。なぜ分かった? 茶菓子に毒が入っていると。それにヨンは私を暗殺などしない。お前の背後にいるのはタオだな? 父の死も……タオが仕組んだのか?」

 ヨウの目が潤んでいる。

 信じたくないと訴えている。

 これ以上、この純真な方を傷つけてはいけない。

 ヤンは胸を抑えた。


 自分が忠誠を誓った王はタオか?

 いや、目の前のヨウだ。

 剣の腕を磨いて来たのは命を奪うためじゃない。

 命をかけて守りたいと思える者に出会うためだ。

 それはタオじゃない。

 ヤンは拳を強く握り締めた。

 爪が食い込む程に強く。

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