第17話 水の在り方
ヴォルド軍師がこの商団について知るところは、その名と規模に過ぎなかった。
詳しい内情や勢力構成などは知らず、カイが頭領の息子であるという話も、彼自身の口から聞いた程度だった。
都の南の一角に高い塀に囲まれた大きな屋敷を構え、立派な門構えにここが商団であるとは思えなかった。
貴族の屋敷か名のある寺院かと思うような迫力だ。
門を潜り、敷地内に入ると大きな蔵が両脇に二棟ずつ
門から屋敷の入口まで一直線に伸びた石畳をゆっくりと進みながら、コン副将軍はヴォルド軍師の隣で物珍しそうに周囲を見回した。
ヴォルド軍師の方は二階建ての横に広がる屋敷を眺め、次いで周囲の人々の所作を観察した。
商人というより、どこか軍人のような印象を受けた。
しかし、武人らしい殺気や緊張感はない。
ああ、動きが統率されたものなのだ、とヴォルド軍師は自身が受けた印象の理由に気づいて納得した。
なるほど、これがカイの『城』なのだ、と。
「これはこれは。お二方揃って……一体何事です?」
驚いた表情で屋敷の奥から駆けて来たカイにコン副将軍が片手を上げ、お前に話があってな、と笑顔を見せた。
ヴォルド軍師は周囲に視線を巡らせた。
誰も二人が敷地内に入って来たことを気にも留めなかった。
普通なら下男の一人が「何の御用で?」とか「どちら様で?」と声を掛けて来るものだ。
だが、二人が来たことがカイに伝わっている様子に誰が伝えたのか気になった。
けれど、妙な動きをしている者は見当たらなかった。
代わりに城という印象から要塞であると認識を変えた。
カイは二人を屋敷内に招き入れ、二階の一室に案内した。
広い室内は豪華な調度品で飾られ、王族の部屋と遜色ない雰囲気にコン副将軍は目と口を大きく開けて見回した。
部屋の中央に置かれた黒い机には既に茶器が用意されていた。
どうぞ、と席を勧められ、二人は奥に並んで座った。
カイは二人の向かいに座り、茶を注ぐ。
湯気が立つのを見て、ヴォルド軍師は目を細めた。
「我々が来ることをご存知だったのですか?」
「いいえ。商団を訪ねて来られるとは予想しておりませんでした。ですが、この国で私の耳に入らないことは何一つありません。王宮の外のことに限りますがね」
そう言って「どうぞ」と二人の前に茶を出した。
それから懐から一通の書簡を取り出し、二人の前に広げて見せた。
「御用件はこれについて、でしょうか?」
カイの笑みにヴォルド軍師は眉間に皺を寄せた。
「何で分かったんだ?」
コン副将軍が驚いた声を上げる。
まるで奇術を見せられた子供のような反応だ。
「私が束ねているのは行商人だけではありません。至る所に私の目と耳がございます」
ニッと笑む顔にコン副将軍は思わず室内を見回した。
「これが例の書簡ですか?」
ヴォルド軍師がカイに問う。
「写しですけどね。原紙は別で厳重に保管してあります」
ジンが死の間際に持っていたという書簡。
暗号で書かれているとチュンユは言ったが、近況報告にしか見えない文面だった。
昨夜、香月楼で二人はシンの素性についてヨン、チュンユらと情報交換をした。
二人はシンが青庁の官吏、ジンの子供だと明かし、チュンユはジンが自殺ではなく他殺だったと明かした。
ジンを殺した刺客はその場で自害したが、近衛兵が妓楼に到着した時には遺体は消えていたという。
その夜、刺客を見た者はチュンユ以外にもいたはずだったが、誰もが口を揃えて何も見ていないと答えた。
箝口令が敷かれていたのだ。
その裏にいるのは黄庁の高官、恐らくは宰相のタオだとヨンもチュンユも考えているようだ。
そして、チュンユがジンの遺体の懐から抜き取ったという書簡。
それがタオの探し物であり、そのせいでジンは殺されたのだと睨んでいるらしい。
その書簡は『とある商団』の男に預けた、とチュンユは言ったが、それが誰かは明かさなかった。
「綾螺商団のカイ、ですか?」
ヴォルド軍師が預けた男の正体を問うと、チュンユは心底驚いた表情でヴォルド軍師を見つめた。
「我々はカイとは面識があります。ただの商人ではない、と思っておりますが、何者であるかは知りません」
その一言でチュンユの強張った表情が元に戻った。
一拍置いて、胸に片手を当てて落ち着きを取り戻す様に、ヴォルド軍師はチュンユもまたただの楼主ではないのだと改めて確信した。
「……彼は情報屋です。私はここで主に王宮内の情報を見聞きします。それ故、彼とは同業とも言えますね」
「なるほど。そういう繋がりでしたか。なぜ彼に書簡を預けたのですか?」
「当時の私はまだこの妓楼が軌道に乗ったばかりで、楼主としてもまだまだでした。あの書簡を見ればあれがどんなに危険を孕んでいるか、お分かりになると思います」
そうチュンユに言われ、さらにヨンにも書簡を見て来てくれ、と頼まれた二人はカイを訪ねたのだった。
だが、ヴォルド軍師はカイが素直に書簡を見せてくれるとは思っていなかった。
カイはなぜスウォルの父、ジンが殺されたのか、その真相を探っている。
スウォルの口振りではまだタオには辿り着いていないようだったが、王宮内に殺した者がいると考え、玄試を受けてまで潜り込んだのだ。
スウォルの素性を明かしてくれたことで信頼は得たと思うが、それでも彼らにとって切り札とも言える書簡をこうも簡単に見せてくれたのには何か思惑があるはずだ。
いや、スウォルはまだ知らないだけで、カイは既にタオが黒幕だと知っていて動いている、のか。
ヴォルド軍師は書簡に目を落とす振りをして、チラ、とカイの表情を伺った。
だが、その表情からは何も読み取れなかった。
スウォルとは違い、見えない『仮面』を彼もまた被っている。
ヴォルド軍師はカイの思惑を探ることを諦め、再び書簡に視線をやった。
『今年の春先は雨が少なく、十のうち八つは芽を出しましたが、陽気が続かず三つほどしか無事に育たず……』
『頼まれていた書も漸く一三枚程書き終えましたが、まだ四枚残っており、あと九日はかかりそうです』
このような近況が、他愛ない口調で綴られている。
だが、妙に数字が多い。
これがチュンユの言っていた暗号かとヴォルド軍師は理解し、数字を追ってみた。
が、それが何を指しているのかまでは読み解けなかった。
「暗号は解けたのですか?」
ヴォルド軍師が問うとカイは首を横に振った。
「ただ、書物を使った暗号だというところまでは分かっているのですが、どの書物かがこの十年、幾ら調べても分からないのです。うちも商人なんで、多くの書物を扱います。十年前までに発行された物に限って調べましたが……国内のものではないのかもしれません」
「書物を使った暗号だと確信している理由は?」
コン副将軍が問う。
「この国に存在する暗号の形式は、実のところそう多くありません。中でも青庁が用いるものは、特定の書物を『鍵』として参照する極めて限定的な方式です。一文に数字が三つ、それが一組の座標を指す。この構造は他の暗号には見られない特徴です。さらに厄介なのは、その解読に使われる書物が一冊に特定されている点です。数多の文献の中から、その一冊を探り当てるのは至難の業。我々も、この十年かけてなお、未だ見つけられていないのです」
「国内の書物ではない可能性を示唆されましたが、青庁の一介の官吏が異国の書物を持っていれば怪しまれるでしょう。もっと庶民的なもの、もしくは青庁で使用している書物である可能性の方が高いのでは?」
「我々も当初そう考えて、手を尽くしてあちこち探したのですが……」
語尾を濁すカイの表情が曇った。
「それでも見つからないなら、特殊な改訂が施された書物……例えば綴じ方を変えたもの、ではないでしょうか」
ヴォルド軍師の言葉にカイは顎に片手を当て、書簡に目を落とした。
「一般には出回っていない、書き手と受け手だけが持つ個人的な写し……」
カイの呟きにヴォルド軍師も頷いた。
「それならばそもそも探す場所が違っていたのかもしれませんね。この書簡が誰に宛てたものか、それは分かっているのですか?」
「官吏に渡された香月楼の札は黄庁の高官が手に入れた物でした。官吏が会おうとしていた相手とは思えません」
「では、官吏は香月楼に誘き出された、ということですか?」
「恐らく。そうなると会おうとしていた相手も自殺や事故に見せかけて殺されているはずです。私の知る限りでは官吏の周辺で他に亡くなった者はいないと記憶しています。ですが、私の知らぬところで亡くなった者がいるやもしれません。この手のことはお二方の方が私より情報をお持ちだと思いますが?」
「分かりました。調べてみます。この書簡の写しはお借りしても?」
ヴォルド軍師が書簡に手を伸ばすと「どうぞお持ちください」とカイがサッと畳んで手渡した。
二人が商団を出る頃には日が真上に昇っていた。
朝の涼しい風はすでに止み、陽射しの熱に背中がじんわりと汗ばむ。
敷地内にいた行商人の姿はいつの間にか消え、下男らの姿もまばらだった。
門を出たところでヴォルド軍師が前を向いたまま、コン副将軍に「気づいたか?」と声を掛けた。
「監視されてたってことか?」
コン副将軍がヴォルド軍師を振り返る。
「ああ。それと統率が取れていた。行商人は各地を巡る。それ故、見聞きすることが多い。情報屋といってもそこから入る情報だけだと思っていた。だが、この都全て……いや、この国の全てに蜘蛛が糸を張るが如くカイの情報網が巡らされている。意図的に話を引き出し、見聞きしている者が商人以外にもいる。そういった連中がカイに報告している。だから、私達が来たこと、その目的も事前に知っていた。つまり、あの香月楼の中にもカイの手の者がいた、ということだ」
ヴォルド軍師の言葉にコン副将軍は立ち止まった。
「もしかして、殿下のことも……?」
「昨夜の密談の内容も全てカイの耳に入っていた、ということもあり得る」
ヴォルド軍師も立ち止まって頷き、険しい表情になった。
そんな二人の背を物陰から見つめる影があった。
その者が踵を返して向かった先は黄庁、宰相の執務室だった。
「副将軍と軍師、二人揃って朝から商団に……ねぇ?」
報告を受けたタオは手元の書物に目を落としたまま、そう思案するように呟いた。
「昨夜は香月楼、今朝は綾螺商団。何か探っているようです」
報告した男は黒装束を身に纏い、顔も黒い布で隠していた。
「『何か』とは何だ? 誰に会い、何を話したのか。私はそれを報告しろ、と言ったはずだが?」
タオの声は大きくはなかったが、男の耳には鋭く響いた。
「そ、それが……香月楼では隣室に潜んでいましたが声まではよく聞こえず、商団では中には入れず……」
男が弁明を始めると、タオは手元の書物を閉じ、男を見据えた。
男は終始頭を垂れていたが、タオの視線がその頭に突き刺さるような感覚に、言葉に詰まった。
その張り詰めた空気を破ったのは一人の訪問者だった。
「失礼します」という声に退室を命じられた男は急いで立ち上がって出て行った。
訪ねて来たのは第一皇子のヨウの護衛剣士、ヤンだった。
「王の様子はどうだ?」
ヤンがタオの前に座すと同時にタオが問う。
「侍医の話では一月もかからないかと」
ヤンの報告にタオは「そうか」と満足そうな笑みを浮かべた。
「王は水と同じだ。水が無くては人は生きられぬ。その水の形は器によって変わる。器が変われば中の水は同じでも違って見える。水の在り方は温度によって変わる。変えたいと願う熱量によって同じ水も姿が変わる。わしはな、それを自在に変えてやりたい。血だけで無能な者が簡単に水を手にする。濁らせ、蒸気に変えて消してしまう。それは変えねばならぬことであろう?」
ヤンにとってそれは幾度となく聞かされた例え話だった。
無能な王から権力を奪い、代わりに正しき道を示す。
タオは善であり、正義であり、そして、ヤンにとって絶対的な王だった。
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