青ノ章 真実の所在
第16話 天穹の果て
コン副将軍はシンに部屋を明け渡すべく、執務室の片付けをしながらシンの素顔を思い出していた。
ヴォルド軍師とカイがコン副将軍にあれほど頑なにシンの素顔を隠そうとした理由がよく分かった。
女に、しかも小柄で華奢な体躯の者に瞬殺されたのだ。
玄試では絶対に勝てる訳がないと高を括っていた。
だが、油断していた訳ではない。
どんな相手だろうと隙を作らないよう常に警戒はしている。
将軍が負けるということは、最悪の場合、軍の全滅につながり、ひいては国の存亡をも左右する。
だからこそ、どんな攻撃にも負けてはならぬ。
それが将軍というものだ。
あんな動きは、あんな武術は初めて見た。
しかも女の身で一体どれほどの鍛錬を積んで来たのか。
その想像を絶する努力に今は負けた悔しさ、恥ずかしさなどより、尊敬の念の方が勝る。
それをシンに教えたのは彼女の使用人だという。
一体どんな人間なのか。
いや、何者なのか、気になって仕方なかった。
そこでコン副将軍はあの後、カイにヴォルド軍師の目を盗んで使用人に会わせるよう頼んだ。
「本人に聞いてみますが、誰とも会わないと思います。人嫌いな奴でして」
カイはそう言って困った表情をした。
「まさかそいつも女なのか?」
「いやいや。正真正銘、男でオジサンです。レンとも顔見知りではありますが……レンは彼が武芸の達人だとは知りませんし、知らせるつもりもありません」
「なぜだ?」
「彼は誰にも自分の武術を教える気もなければ、披露するつもりもありません。ただシンを守ることだけにその武術を使い、シンのためだけに生きているような奴なんです」
「使用人だとしても忠義に厚すぎるだろ」
「シンの父に恩義があるようで、守れなかったことの贖罪として彼の家族であるシンを守っているんですよ」
「なるほど。シンの父は大した人物のようだな」
「清廉潔白を絵に描いたような方だったようですよ。真っ直ぐで純粋過ぎるが故に殺されてしまった、と私達は考えています。それと……」
そこでカイは声を潜め、コン副将軍に近づいた。
「彼が殺された時、書簡を持っていました。その書簡は黄庁の不正を告発する内容だったと考えられるのですが……暗号で書かれており、解読できておりません」
「その書簡はお前が持っているのか?」
「……誰が所持しているかはいくら副将軍殿でも教えられません。所在が知られれば危険に晒されるのは我々ですからね。今だってシンを狙っている奴がいるほどです」
その言葉にコン副将軍は眉間に皺を寄せた。
「襲われたことがあるのか?」
「つい最近、近衛部の宿舎近くで襲われたと聞いております」
カイの言葉にコン副将軍は揺らいだ。
カイは襲ったのはゼドであり、シンの素性を確かめるために接触しただけに過ぎないと知っている。
が、その事実を伏せた。
嘘は言っていない。けれど、聞き手の印象は変わる。
印象が変わるということは、聞き手の行動を変えることでもある。
「女の身で将軍となり、黄庁に巣食う闇を探るのです。我々も気苦労が絶えません。が、それが本人の意志であり、希望でもあるのです。王宮内に私の手は届きませんので、どうかシンのことをよろしくお願い致します、副将軍殿」
畳みかけるように言って、カイは深々と一礼し、帰路に着いた。
その背をコン副将軍は複雑な心境で見送った。
「コン将軍……あ、いえ、ふ、副将軍」
正門近くで佇んでいると、不意に声を掛けられた。
下男と思しき風体だが、コンが副将軍となったことを知っているところを見ると、高官の家の者なのか。
「何だ? 何者だ?」
普通に問うたつもりだったが、男は怯えたように首を竦め、それからそっと片手を差し出した。
手には黄色い札が握られている。
「あ、あの……これを。香月楼でヨナがお待ちです」
「ヨナ? 聞かぬ名だが?」
コン副将軍が小首を傾げると、男は目を見開き、コン副将軍を見上げた。
「ご、ご存知ないのですか?」
「ああ。有名な妓女か?」
「はいっ。それはもう絶世の美女で、客からは指名ができない幻の妓女と言われております」
「指名できない? 妓女のくせにか?」
「ヨナがご自身で選んだ客としか会わないそうで……」
「何様だ? 変わった妓女だな。悪いが俺は妓楼に興味はないんでな。他の奴に渡してやれ」
踵を返して立ち去ろうとするコン副将軍に「あのっ」と男は声を上げた。
「ヴォルド軍師とご一緒にとのことで」
その一言でコン副将軍は立ち止まって振り返った。
「あ? 三人で楽しめって? なんて女だ」
「あ、いえ、あの……」
必死な様子の男にコン副将軍は裏に別の意図があると感じ取った。
「そういえば、あんたはその妓楼の下働きか何かか? なぜ俺にその札を渡したがる?」
「わ、私はただ……その、ぎ、ギルに頼まれて……」
その名にコン副将軍の表情は険しくなる。
「なぜその名を知っている?」
コン副将軍に鋭い表情で睨まれ、男はさらに縮こまった。
「ぎ、ギルはヨナの護衛なので……その、いつもギルが私のような者に札の使いを頼むのです」
「ギルがヨナの護衛だと?」
「は、はい」
「ギルってどんな奴だ? でかくて無愛想で、いかにも頑固そうな顔してなかったか?」
コン副将軍の言葉に男は視線を斜め上に向け、少し考えてから「お顔は鼻から下を布で隠されてますので、よく分かりませんが。ま、まあ、そのような方で……」と言葉を濁した。
それを聞いてコン副将軍は眉間に皺を寄せたまま、片手を差し出した。
「札をくれ。その招待、受けてやる」
その言葉に男はようやく安堵したように笑顔を見せ、コン副将軍の掌にそっと札を二枚載せ、軽く一礼して逃げるように去って行った。
渡された黄色い札には赤い椿が描かれていた。
その夜。
コン副将軍とヴォルド軍師の姿は香月楼にあった。
官服ではなく、平服を纏ってはいたが、剣を携えて来た。
が、門衛に札を見せると、剣を預かると言われ、少し粘ってみたが通らず、仕方なく預けて中に入る。
と、楼主のチュンユという女性が自ら部屋へ案内してくれた。
通された部屋は東の二階の角、内装は煌びやかだったが、小窓さえない部屋だった。
寝台はなく、円卓が中央に置かれ、奥に妓女が座して待ち、傍らに護衛のギルが佇んでいた。
その妓女にヴォルド軍師が深く一礼するのを見て、コン副将軍も慌てて一礼した。
「お掛けください」と言って妓女の正面にコン副将軍、右手にヴォルド軍師、左手にチュンユが座した。
「楼主が同席するのか?」
コン副将軍が問うと「彼女に会って貰うのがこの場を設けた理由の一つだからな」と妓女が妓女らしからぬ物言いをした。
その声には聞き馴染みがある。
「それと、この姿を見せるのは初めてだな。あまり見られたくなかったが、王宮外で話したくてな」
「よくお似合いですよ、殿下」
ヴォルド軍師が笑むと妓女は少し照れた風にむくれた。
「この姿の時は『ヨナ』と呼んでくれ。アルはこれまで通り『ギル』で構わない」
二人の会話にコン副将軍は妓女の顔を見つめた。
下男が言う通りの絶世の美女から
「殿下?」
改めてそう呼んでみた。
「コン、耳を忘れて来たのか?」
その言葉でコン副将軍は勢いよく立ち上がって目と口を大きく見開いた。
コン副将軍の反応にヴォルド軍師は笑いを堪え切れなくなり、横を向いて笑ってしまった。
いつも無表情のギルでさえ、笑いを必死に堪えて下を向いている。
ヨナとチュンユだけが堂々と笑顔を見せた。
「あまり時間が無いので座ってくれ。
言われてコン副将軍は椅子に座り直したが、「殿下はなぜ斯様な格好をされているのでしょうか?」と問うた。
「王宮内で情報を集めようとしたが、『皇子のヨン』には誰も話してくれなくてな。それで高官が集まると聞いたので香月楼に来てみた。だが、客を装うのは難しくてな。それで妓女を装ったのが始まりだ」
「妓楼の客の方が入りやすいと思いますが?」
コン副将軍が当然の疑問を口にすると、チュンユが「それには私がお答えしましょう」と切り出した。
「うちは他の妓楼と異なり、客は貴族か黄庁の高官のみの会員制です。初見の方は手続きが必要になります」
「俺達はすんなり入れたぞ?」
「札をお持ちでしたでしょう? その札は妓女が客に渡すものです。香月楼からの招待状なので手続きは不要です。ただし、一夜限りです。札は入口で回収されてしまったでしょう?」
「なるほど。それで妓女のお姿、というわけですか?」
「浅知恵だ。すぐにチュンユに見つかってしまったよ。素直に事情を話して、こうして情報集めに協力して貰っている。さっきチュンユが言ったが、ここには黄庁の高官が集まる。密談も多いし、酒が入ると失言もな」
ヨンが苦笑する。
「そういえば札を渡して来た男が幻の妓女として有名だと言ってましたが、いつ頃から……」
「その話はもういい。それより本題に入りたいのだがな」
咳払いをするヨンに、もっといろいろ聞きたそうなのを我慢するコン副将軍の表情の変化に犬みたいだな、とその場の全員が微笑ましく思ったが、誰一人口には出さなかった。
「シンについてお前達に聞きたいことがある。あの後……今日の昼間、コンに書庫で軍議の様子を聞いたのだが、その後、臨時で軍議をまた開いたそうだな?」
書庫にいなかったヴォルド軍師に配慮して、ヨンは途中言い直して切り出した。
「朝議で開いた軍議でシン本人から将軍辞退の申し出はありましたが、我々はシンを将軍とすることで意見が一致しております。それに、あの場では辞退するように誘導された気がして、本人に再度意思を確認しましたところ、玄試を受けた時点で将軍を目指していたとのことでしたので、我々の判断で手続きを進めました」
ヴォルド軍師が淀みなく説明する。
「将軍を目指す理由は何か言っていたか?」
「はい。仮面の下も素性も聞いております」
「それは本人の口からか?」
「はい」
「裏は……流石にまだ取っていないな?」
「はい。それについてはこちらの楼主に確認できればと」
突如話を振られ、チュンユは戸惑った表情を見せた。
「シンは十年前、こちらの妓楼で殺された青庁の官吏の子供です」
ヴォルド軍師のその言葉にコン副将軍を除く全員が一瞬、驚きの余り言葉を失った。
コン副将軍はヴォルド軍師が官吏の『娘』ではなく『子供』と言ったことに、全てをヨンに明かすことを躊躇っているように感じた。
「十年前のそのことならよく覚えております。青庁の官吏がこの香月楼で自殺したことになっておりますが、あれは殺されたのです」
「その根拠は?」
ヨンが問う。
「私も刺客らしき者の影を見ておりますし、近衛部が来るまでに官吏の遺体を見ております。それと、その刺客の遺体も」
「刺客を倒した者がいたのか?」
コン副将軍が驚きの声を上げる。
が、チュンユは首を軽く横に振った。
「初めから順を追って説明致しますね」
そう前置きをしてチュンユはあの夜に起きた出来事を語った。
ゼドのことはただの黒装束の男、として素性を伏せ、ライがいたことも伏せた。
だが、官吏の息子が現場を目撃したことと、黒装束の男、ゼドのことだが、その者が息子を連れ去ったことは明かした。
それから、刺客は毒針で自害し、その遺体は近衛部が到着する前に何者かが持ち去ったのか、チュンユが裏庭に近衛部を案内した時には消えていたことも話した。
そして。
「官吏の遺体から書簡を抜き取りました。でも、それは遺書ではなく、暗号で書かれたものでした。そして、それは今、とある商団にあると思います」
そう書簡の話をチュンユは打ち明けた。
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