第129話 師弟
「あぁ……う……」
どのくらい経ったのだろうか、意識がぼんやりと戻ってきた。俺の首から下がひんやりしている。どうやら、俺は仰向けに横になっているみたいだ。
俺は周りの様子を確認するために、とりあえず体を動かそうとする。
足は動かせない。何かにつっかえているようだ。一方、手は動かせるが、とても動かしにくい。俺の腕が重い、というより、腕にかなりの抵抗がかかっている。
この感じ……もしかして、俺は今、水の中に下半身を突っ込んでいるのでは?
ここで、俺はやっと、風呂桶の中に半身が沈んていることに気づいた。シャワーの配置や置いてあるシャンプーの種類から、ここは自分の家の風呂場らしい。
もちろん、俺は裸になっていた。しかも、風呂桶に張ってあるのはお湯ではなく水だ。
俺は混乱する。
確か、俺はさっきまで学校にいたはずだ。それが気がついたら、自分の家の水風呂に裸で水没しかけている。
いったい何があったんだ? もしかして、俺がこれまで学校に行っていたのは、すべて夢、だった、のか……?
「あ、気がつきましたか……?」
すると、誰かに声をかけられて、俺はその方に首を傾ける。その瞬間、いつの間にか額に乗っていた氷嚢がずり落ちてきて、俺の視界を覆う。
「だ、誰だ……」
だが、次の瞬間、俺の意識が急に遠のいていく。
俺は、何が起こったのかわからないまま、再び意識をなくしてしまった。
※
スイッチが切り替わるように、俺の意識が元に戻る。
次に気がついた時、俺は風呂場ではない部屋の床に、仰向けに寝かされていた。
さっきまでとは違い、意識がはっきりしている。体も熱っぽくない。しっかり服も着ている。完全にいつもの俺だ。
「お兄ちゃん!」
すると、みやびが俺の顔を覗き込んでくる。彼女はとても心配そうな、そして泣きそうな顔をしていた。
「体に異常はない? 自分のことわかる? どこか動かしにくいとかない?」
「大袈裟だな……大丈夫だよ」
自分の名前はしっかり覚えているし、熱っぽいのも体がだるいのも嘘のようになくなっている。
それにしても、今日はやけに大袈裟な反応だ。普段のみやびなら、『お兄ちゃん、直った〜?』みたいな軽い感じで済ませてくると思うのだが……。
「どうしたのさ、みやび。そんな泣きそうな顔をして……」
「だって、お兄ちゃんが消えちゃうかもしれなかったんだもん!」
「えぇ⁉︎ どういうことだ⁉︎」
俺が消失⁉︎ なんか調子が悪いな、くらいにしか思っていなかったが、さっきまでの状態はそんなに危険だったのか?
「実はね、お兄ちゃん、ウイルスに感染していたんだよ」
「ウイルス……? 病気ってこと?」
「コンピューターウイルス! 病気になるわけないじゃん!」
「ああ、そっちか……」
「あのまま放置していたら、最悪、お兄ちゃんの人格とか記憶とか、諸々破壊されていたかもしれなかったんだよ」
「……マジか」
俺という存在が完全になくなってしまったかもしれない、とみやびは言っているのだ。その言葉に徐々に実感が湧いてきて、俺は身震いした。記憶や人格がなくなることは、死と等しい。
俺はものすごい綱渡りをしてきたんだな……。
そうしみじみと感じていると、部屋のドアがガチャリと開いた。
「あの……無事に戻りましたか……?」
そして、姿を現したのは、予想外の人物だった。
「あ、戻ったよ、ひびきちゃん」
「鳴門⁉︎ なんでここに⁉︎」
俺はバッと起き上がると、蜘蛛歩きで素早く後ずさりをする。すぐに背中が壁についた。
俺の天敵と言っても差し支えないような人が、どうしてこんなところにいるんだ⁉︎
「ちょっと、お兄ちゃん! ひびきちゃんに失礼だよ! 学校で倒れていたお兄ちゃんを家まで運んできてくれたのは、ひびきちゃんなんだよ!」
「え……そうなの……?」
「はい……私の目の前で倒れてしまっていたので……」
「そ、それは……どうも……」
今まで、ことあるごとに俺を分解してこようとする狂人だと思っていたのだが、みやびの話によると、どうやら俺の命の恩人であるらしい。敵だったはずの人に、命を救われる……とても奇妙な気分だ。
ここで、俺はある嫌な考えに辿り着く。
もしかして、鳴門は俺に恩を売りつけることで、見返りに俺を分解するつもりなのではないか⁉︎
「ま、まさか俺を分解するつもりじゃないだろうな……?」
俺がそう尋ねると、意外なことに鳴門はブンブンと頭を振って否定した。
「まさか! しませんよ!」
「お兄ちゃん! 失礼だよ!」
「ご、ごめん……」
ますますわからなくなってきた。これまでの鳴門だったら、『もちろんです! さあ、分解させてください……!』とか言って手をワキワキしながら迫ってくると思っていたんだけど、あっさり引いてしまった。
いったい鳴門に何があったんだ? 悪い薬でも飲んだのだろうか? それとも正直者が女神の泉に鳴門を突き落として、綺麗な鳴門に交換してくれたのか……?
「今はいろいろ機械をいじったり、勉強をして満足しているので、もうほまれさんを分解することに固執する意味がなくなったというか……もちろん、機会があれば分解して中身を解析してみたいですけど……とにかく、今はいいんです!」
「そ、そうか……」
どうやら、鳴門は俺をなんとしてでも分解したかったわけではなく、ただロボットにより詳しくなりたいがために、俺を分解しようとしていたらしい。
鳴門の興味関心が俺から逸れてくれてよかった……。
ここで、俺はさっきから一番気になっていたことを質問する。
「てか、どうして鳴門とみやびはそんなに親しげなんだ?」
みやびは鳴門のことを名前で呼んでいるし、しかも自分の部屋にまで上げている。みやびは、よっぽど親しい人じゃない限り、自分の部屋に他人を入れさせたがらないのだ。
この二人、いったいどういう関係なんだ……。
俺がそう尋ねると、鳴門が答える。
「私がみやびさん……いえ、師匠に弟子入りしたんです!」
「ししょー?」
「はい! ロボット工学の師匠です! スゴいんですよ、師匠は! 文化祭の時にお話ししたんですけど、ロボット工学に関する造詣が私の何十倍も深くて、しかも海外の最新の研究結果まで熟知している! 私なんか全然及ばないです! それで師匠のもとでさらにいろいろと学ばせてもらうために、弟子入りしたんですよ!」
「……まあ、そゆこと」
ははぁ、鳴門の熱意にみやびが押し負けたんだな……。
「とにかく、学校で倒れていたお兄ちゃんをひびきちゃんがここまで運んでくれたの。それに、お兄ちゃんを直す時にも、いっぱい手伝ってもらったんだ」
「そ、そうだったんだ……」
その時、風呂場での記憶がぼんやりと蘇る。あの時、俺に声をかけてくれた人がいた。その時は誰だったかわからなかったが、あれはきっと……。
「もしかして、俺をお風呂に入れたのは……」
「ああ、お兄ちゃんを冷やしていた時だね。ひびきちゃんに見てもらっていたんだ」
「そう、だったのか……」
俺は改めて、鳴門に向き合うと、頭を下げた。
「ありがとう、鳴門。助けられた」
「えっ⁉︎ いえいえ、そんな……私なんて大したことしてないですよ!」
鳴門が俺を助けてくれた。この事実はとても大きい。
なぜなら、もし学校で俺が不具合を起こして故障したとき、俺を助けてくれる人が一人増えた、ことを意味するからだ。それに、鳴門はある程度機械の知識があるので、適切な処置をしてくれる可能性が高い。
敵キャラだと思っていた人が味方になる、とかいうイベントに、胸の中で激アツなものを感じていると、みやびが真剣な顔で言ってきた。
「ひびきちゃん、悪いんだけど、これからお兄ちゃんと大事な話をしたいんだ。だから……」
「ああ、わかりました師匠! それに、私そろそろ帰らなければいけないんですが……」
「あっ、ごめん! じゃあ、気をつけてね」
「はい! では失礼します!」
鳴門が帰っていくのを玄関まで見送ると、俺たちは再びみやびの部屋に戻る。
そして、彼女は部屋に鍵をかけると、正座する俺の正面に座った。
みやびがここまでする、ということは、とても重要な話に違いない。俺は固唾を飲み込んだ。
「さっき、お兄ちゃんには、今回の事件がコンピューターウイルスが原因だって言ったよね?」
「……うん」
彼女は一息つくと、衝撃の内容を口にした。
「端的に言うと、お兄ちゃんにウイルスを感染させた人がいるんだ」
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