第111話 対峙

 みなとと仲直りした翌日の昼休み。


「ほまれ! 一緒にお昼ご飯食べに行くデス!」

「…………」


 俺はサーシャにだる絡みされていた。


 いや、確かにサーシャには『彼女と仲直りしたから気にしなくて大丈夫だよ』と昨日言ったよ。


 だからといって、接し方をそっくり元どおりにする必要はないじゃないか……。せっかくボディタッチが少なくなって鬱陶しくなくなったと思ったのに、これじゃ逆戻りだ。


 サーシャが俺の頭を包み込むように抱きついてくる。彼女の大きな胸が思いっきり俺のほっぺたに当たって、ブニュと柔らかく形を変えた。なんかいい匂いまでしてくる。


 この昼休みだけではない。昨晩も今朝も、こんな感じだった。


 こうなるんだったら、サーシャには仲直りをしたことを秘密にしておいた方がよかったのかもなぁ……。

 俺は変な方に考えが向かないように、思考を半分放棄しながら、ぼんやりとそんなことを思っていた。


「サーシャ……ボディタッチが多すぎだって」

「え〜、いいじゃないデスか〜」

「よくないからやめてくれ」


 俺はサーシャを引き離そうとするが、意外と彼女の力は強く、しかも、うまいこと動き回っているため、なかなかそうできなかった。


 コイツ……。早く引き離さないと、みなとがまたやって来て、イチャイチャしていると勘違いされてしまう。せっかく昨日関係を修復できたのに、これじゃまた振り出しだ。


 俺は、みなとがやってくる前に、どうにかしてサーシャを引き離そうと格闘していたが、残念ながら時間切れになってしまった。


「ほまれ、お昼ご飯食べましょう」


 教室のドアのところからみなとの声。ヤバい、と思って動きを止めて顔を向けると、そこには弁当を持ったみなとが立っていた。


 俺は心臓が止まるような思いをした。俺には心臓はないんだけど。

 どうしよう、昨日説明したのにこれじゃ何もかもパーだ。じゃれついていると思われても仕方がない。


 みなとは、持ってきた弁当を掲げた姿勢のまま固まった。

 スッと目が細くなって、俺の横にひっついているサーシャを見つめる。背後からブワッとものすごいオーラが出ているのが見えてきた。


 これじゃ一昨日と同じだ……。もはや打つ手はないのか……。

 みなとにビンタされてしまうかもしれないし、今度こそ嫌われてしまうかもしれない。


 そう覚悟していたのだが、今日は違った。

 みなとは教室に入ってくると、俺ではなく、サーシャに声をかけた。


「どうも、初めまして。古川みなとです。ほまれの『彼女』です」


 なんと、みなとはサーシャに自己紹介を始めたのだった。


 ただ、その様子は尋常じゃない。字面にすると何の変哲もないが、実際はバチバチに不機嫌オーラを出しまくりながら、めちゃくちゃ低く冷たい声で話している。そして、『彼女』の部分だけ、ものすごく強調している。


 みなとはサーシャを威圧していた。


 そんなみなとに対して、サーシャは俺から離れるとみなとの真正面に立った。そして、みなとの威圧をものともせずに、いつもの明るいテンションで自己紹介を始めた。


「初めまして、ワタシは、アレクサンドラ・イリーニチナ・イヴァノヴァというデス。呼ぶ時は、ぜひサーシャと呼んでくれデス! ほまれと一つ屋根の下で暮らしているデス!」


 サーシャはニコニコしている。みなとの恐ろしいほどのオーラを、平然と受け流しているようだ。


 みなとに対してこの態度ということは、サーシャはよほどの天然なのか、それともあえてこう振舞っているのか……。


 というか、どうしてサーシャはわざわざ『ほまれと一つ屋根の下で暮らしているデス!』って付け足したんだよ! 完全に余計な一言じゃないか! まさか、サーシャはみなとの『ほまれの彼女です』に対抗しようとしているのか……?


 すると、みなとは一転して笑顔を浮かべた。


「そう、よろしくね、サーシャさん」

「サーシャでいいデスよ〜」


 いや、違う。笑顔を浮かべているが、みなとの目はまったく笑っていない! ありえないほど場が冷えきっている!


 サーシャはそれをさらっと受け流している。その間に挟まれる俺。


 あまりの温度差に風邪をひいてしまいそうだ。今すぐこの場から逃げ出したい……。


 それを察したのか知らないが、みなとは俺の腕を掴んだ。いつになく、手に込められた力は強く、グググと圧力を感じる。


「さ、ほまれ。昼ご飯を食べにいきましょう?」

「え、あ、うん……」


 有無を言わさぬ表情と声音でみなとが誘ってくる。ちょっと待って、とは言えず、俺はただ曖昧な言葉で了承するしかなかった。


 しかし、今度は逆側から俺の腕が掴まれた。


「え〜、ワタシも誘っているデスよ、ほまれ? 一緒にお昼ご飯食べに行くデス!」


 勇敢なのか、それとも無謀なのか。こんな状況にもかかわらず、サーシャはそう言い放った。


 な、なんでデスか、サーシャさん⁉︎ どうしてみなとに対抗しようとしているんだ⁉︎ みなとはただ『俺と仲の良い女子』ではなくて、さっきも言っていたが、俺の『彼女』だぞ⁉︎


 みなとに対抗しようなんて、いったいサーシャは何を考えているんだ……? 昨日までのように俺とみなとの仲が悪くなると、遠慮したように俺から遠ざかっていた。しかし、俺たちの仲が元どおりになると、俺への接し方も元どおりになった。


 考えてみれば、どうやら、みなとではなく俺の様子によって、サーシャは俺への接し方を変えているようだ。


 ということは、サーシャはみなとに関係なく、俺に執着しているということなのか……? でもそれはどうして……。


 まさか、と脳裏に浮かんだ考えに、俺は心の中で否定する。


 サーシャが俺に好意を持っている……? そんな自己陶酔的な予想に、俺は自分が恥ずかしくなった。


 俺がそんなことを考えている間にも、二人は俺の腕を掴んで離さない。


「私たち、前から昼休みは一緒に食べることにしているのよ。申し訳ないけど、また今度にしてくれないかしら」

「そんなの知らないデス! ワタシはほまれを何度も誘っているデス。毎回食べているなら一回くらい譲ってくれデス!」


 あくまで冷静に諭すような態度のみなとに、まあまあデカい声で粘り強くねだるように食いついてくるサーシャ。いつの間にか、周りには見物人が集まっていた。

 

「これが、正妻戦争か……」


 おい佐田、何を言っているんだ。聞こえないと思って輪の外から呟いているんだろうけど、俺にはばっちり聞こえているぞ!


 俺は一刻早くこの状況をなんとか収めたかった、ここで下手に何か言うわけにもいかず、俺は言葉を探して黙っていた。


 そんな中、なかなか諦めないサーシャに、みなとはイライラしてきたようだ。

 俺は、みなとがかすかにフンと鼻を鳴らして笑ったのを聞き逃さなかった。


「あら、ほまれから聞いてないの? ほまれのこと、あまり知らないようね? 一つ屋根の下で暮らしている割には」


 心の中で絶叫した。エグい。今のはエグすぎる。ものすごいパンチ力のある発言だ……。これを食らったらまともに言い返せないだろう、普通の人ならば。


 だが、サーシャにはこの言葉はあまり効かなかったらしい。


「これからどんどん知っていくんデス。この前なんて、一緒にお風呂に入って裸の付き合いもしたデスよ〜」


 その瞬間、周りの空気が一気に変わった。ザワザワと野次馬が騒ぎ出す。


 ななななななな、なんちゅうことをバラすんだ、サーシャ!

 確かに客観的に見たら一緒にお風呂に入ったことになるんだろうけど、あれはサーシャが強引に入って来ただけで、すぐに俺は出ていったじゃないか!


 今はこんな見た目でも、中身は男。俺が女子生徒、しかも留学生と一緒にお風呂に入っただなんて、他の生徒にバレたらどう思われるか……!


 しかし、それよりももっとヤバいのがみなとだ。彼女がいないところで、親族や彼女以外の人と風呂に入るなんて、彼女からすれば絶対にいい気はしない。


 慌ててみなとに説明しようと彼女の方を向く。だが、意外にも彼女は落ち着いた表情だった。


 しかし、ほっとしたのも束の間だった。


「あら、私だってほまれと一緒にお風呂くらい、入ったことあるけど?」


 みなとは更なる爆弾発言を投下してきた。


 野次馬がさらにざわつく。

 

 みなとが言っているのは、夏休みに皆で旅行した時のことだろう。


 もしかしたら、高校生のうちに、一緒にお風呂に入っているカップルはいるかもしれない。しかし、そんなことは他人には普通、公言しないものだ。


 だが、二人はあっけなくバラしてしまった。その場の空気に当てられ、流れ的に明かしてしまったのかもしれないが、明らかに一線を越えてしまった。


 ただでさえ、俺は男から女の体になって、女子生徒の扱いになって注目を浴びているのに、一緒に風呂に入っていたなんて知られてしまったら……。


 周りからの視線が痛い。羨望、嫉妬、軽蔑……いろんな感情を向けられる。


 なにより、俺自身がとても恥ずかしかった。当の本人たちはまだ事の重大さには気づいていないようだが、しばらくして冷静になったら、たぶん気づいて、俺と同じ気持ちになるだろう。


 俺は、この状況をどうにか打開しようと模索するが、頭が回らない。何もいい言葉が思いつかない。


 羞恥と焦燥と恐怖がミックスされて、俺の脳内感情キャパシティーは完全にオーバー状態だった。


 もう限界だ。


 いたたまれなくなった俺は、ついに強引な行動をとった。


「二人とも、勘弁してくれー!」


 俺はそう叫ぶと、二人の手を強引に振り払って、教室を飛び出して逃げ出した。

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