歩けない俺と歩き出す恋心

土竜健太朗

第1話

「ごめんなさい。私、春宮君とは付き合うとかそういう関係にはなれない」

 

 夕暮れが光り輝く放課後。教室に居るのは男女、2人だけ。そこで起きていることは、誰が見てもすぐに理解することが出来るだろう。そして一つの恋が芽吹くこともなく終わったことも、誰が見ても容易に理解することが出来た。


 2人の間に刹那の静寂が生まれたが、それを埋めたのは告白された女子の声だった。そして、その言葉は鋭い刃で刺す痛みにも匹敵するもので、1人の男子の心を引き裂くには十分すぎるものだった。


「私が春宮君に優しくしていたのは、歩けないのが可哀想だったから! 大変だろうなと思って手を差し伸べて手伝っていただけ、ただの善意だから、付き合うとかは無理、じゃあね……」


 教室を飛び出していく後ろ姿を呆然と見つめて、彼女の言葉を思い返す。


 俺が歩けないのは昔からだ。手を借りて立ち上がれば、ゆっくりだが歩くことは出来るが、1人では何も出来ないことには違いない。


 これまでも、多くの人の善意を受けてきた。何をするのにも手を煩わせる体に生きている自分が周りと同じように恋をしようとしたことが間違いなのかもしれない。


 障がいを気にすることのなかった心がこの日、死んだ。そして生まれた新しい心で生きていく。



 ―――――――――――――


 床に落とした物を拾うことは簡単なことだろうか?


 普通にしゃがんで手を伸ばせば、何も意識することなく出来ること。わざわざ拾うために必死になる人はあまりいないと思う。


 だが、俺は必死だった。自分の体を精一杯前に倒して床に向けて腕を伸ばす。指先に何度も堅い感触を感じるものの手に届くことはない。


 必死に腕を伸ばせば汗も掻く、何度目かの呼吸を整える時間が終了し、また目的の物に腕を伸ばす。これは、俺にとっては日常茶飯事のことだ。


「困っているなら、声を出さないと分からないよ」


 図書室の静けさを引き裂くように優しい声が室内に響いた。


 聞いたことの無い声に驚いて、体を前屈みにして床に手を伸ばしていたのをやめる。体を起こした先には、俺に視線を合わせるためにしゃがんでいる美少女がいた。


 黒色のロングヘヤーが印象的で少し見とれてしまっていたが、何も言わずにいると再び声を掛けられる。


「それ拾えないんでしょう?」


 俺が落としてしまった本に指を指しながら見つめてくる。自分でも情けないがかれこれ5分近く本を拾うために腕を伸ばし続けていた。


 車いすに乗っていると床に落とした物を拾うのに非常に苦労をさせられる。頑張れば自分で出来そうだし、これ以上は人に迷惑を掛けたくないから人にお願いすることを躊躇していた。


「気を遣わせてしまい。すみません。でも、たぶん、自分で拾えるから大丈夫ですよ」


 強がりを吐いているという自覚はある。でも、わざわざ手を煩わせるのは良くないと思って、彼女の親切を拒絶する。


 放課後の図書室は人が少ない。殆どの生徒はさっさと帰るか、部活動に勤しむからだ。ここに来る人は殆どいない。俺も借りていた本を返却したら、すぐに帰ろうと考えていたのに。まさか落としてしまうとは……。


「はぁ。良いからさ『拾って』って言うだけでしょう」


 大きなため息が一つ。怒っているようには見えない。今のため息の理由を挙げるとするなら『呆れ』だろう。


 どうしてそこまでしてくれるのかが、全く見当も付かないけど、これ以上彼女の時間を浪費させてしまうのは余計に申し訳ないので、頭を下げてお願いしていた。


「拾ってください」

「うん、いいよ」


 お願いした瞬間には彼女は本を拾い上げていた。


「わざわざ、すみません」


 頭を下げて落とした本を受け取ろうと手を出そうとしたが、どうやらその必要はないようだ。


「別にそんな畏まることはないと思うけど、私達、同い年だし、クラスも一緒だから、あたしは佐野原結美。よろしくね」


 笑顔で名前を言ってくれたことで、彼女が同じクラスだということを知った。入学してから新しい人間関係を築くことを遠ざけてきていたから、佐野原さんがクラスメイトだと気がつけなかった。


「俺は春宮颯汰。あのよろしく」

「うん。知っているよ。じゃあ、私はこの本を借りて帰るから」


 俺が返却しようとしていた本を借りていくようで、その本を抱えて、空いている方の手を大きく振ってくれていた。


 少し控えめに手を振る。そうしながら「元気な子なんだな」と去って行く後ろ姿を見えなくなるまで眺めていた。

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