冬の鳴き声
ふるえもん
冬の鳴き声
それは、白い狐であった。
私は小さなお
冬、しんしんと雪が降り積もる中、二匹の狐がこちらを見ている。
「おいで。こわくないよ。ほら」
私が手を伸ばしても、二匹の狐は怖がって近寄らない。
少し残念だ。私は懐にしまっておいた魚の干物の一部をちぎって放り投げた。
「お互い冬は大変だろう。分け合って食べるんだよ。」
はじめは手を出そうとしなかった狐たちだが、こちらをじーっと見つめた後、じっくりと間を詰めて干物を取っていった。
二匹の狐は、私が言った通りに干物をしっかり分け合って食べた。
愛着がわいた私は、二匹の狐にそれぞれ、
はじめは警戒して全く寄って来なかった二匹だが、だんだんと近寄ってくれるようになった。
「君たちはいつもここにいるけれど、普段はどこで獲物をとったりしてるんだい?」
私は隣の柊に話しかける。もたれかかっている杉の木の匂いが鼻を通り抜けた。
この子たちは私が居なくなっても生きていけるだろうか?
「完全に頼られてしまう前に、野生にかえすべきなのかもな…………」
次の日、お社に行くと、彼らは戦果であろう小動物を咥えて待っていた。
私たちは自分で狩りができるんだぞ。と、そう主張しているようだった。
「そうか、凄いな!柊、菘。」
私は少し調子に乗って二匹に近づいてその頭を撫でた。
二匹は逃げるどころか目の前に横になり、気持ちよさそうになでられた。いつの間にかここまで懐かれていたのか。
「少し黄色くなってきたか?」
柊と菘の毛並みは輝くような白から、夕日に反射してキラキラときらめく黄金に生え変わってきていた。
クゥ………………
はじめて柊が鳴いた。冷たい空気が一瞬で暖かいものに変わったような気がした。
私は二匹の元を去ると、家に戻っていた。
「ただいま」
「おかえりなさい。あんた、どこ行ってたんだい?」
「お父さん、おかえり。」
妻と娘が居間から顔を出して私を迎えてくれた。
「ちょっと山の方のお社にな。」
「お社? そこに何の用事があるんだい。」
妻は不思議なものを見たように不審な表情を顔に張り付ける。
「いや、なんだ。お参りでもと思ってな。」
村では狐は狩りの対象だ。皮をとったりするのだ。ここであの二匹のことを妻に言うべきではないと思った。
「いつからそんなに信心深くなったんだい。もう夕食だよ、明日は宮司さんのところに顔を出すんだろう。」
「ああ。ありがとう。食べようか。」
私は家族と夕食を食べた後、眠りについた。
翌日、私は村の神社を訪れていた。宮司に用事があったのだ。今年の冬の祭りについてだ。
「もし。いるか?」
お参りを終えた私は社務所を訪ねた。
「はい。いるぞ。」
宮司とは子供の頃からの付き合いで、毎年冬の祭りの企画の際に顔を合わせている。
「祭りの件で来たんだが。時間は大丈夫だろうか?」
「ああ。丁度その話をしていたところだ。入ってくれ。」
「分かった。失礼。」
私は指示に従って中を進む。
「それで、今年の祭りのことなんだが………。」
通された部屋には、珍しく村長がいた。
今年の祭りはそんなにも大々的にやるのだろうか。
「今年は祭りが出来んかもしれない。村で流行り病が広がりつつある。」
村長は重い口調でつぶやく。
「流行り病? そんな話は聞かないが………。」
「このことはまだ他言無用で頼む。なんとか封じ込めようとしているが、少しずつ広がっておるのじゃ。」
「承知した。」
なんでも村の端の方から少しずつ広がっているそうだ。
「そこで、宮司殿に相談なのだが、村から病を払う神事をお願いしたい。」
どうやら村長は流行り病を治めるために、神社の力を借りたいということらしい。
いずれ秘密にしきれなくなったときに、すぐに神事が出来るようにしてほしいとのことだった。
村長はその後少し相談すると、帰っていった。
「なんだかとんでもないことになったな。」
「ああ。というわけで今年の冬祭りは無理かもしれん。」
私も宮司と少し話してから社務所を出た。宮司は珍しく、出口まで送ってくれるらしい。
「この台座にはどうして何も乗っていないんだ? 狛犬とかお稲荷さんとか、あるだろう。」
私は鳥居の前の台座を見て質問する。
「ん? ああ、それはな、もともとはお稲荷様がいらっしゃったらしいんだが、何代か前の神主が間違えて狛犬を置いたから怒って出て行ったらしいぞ。
ほんとかどうかはしらん。伝説だからな。」
「ほお………。」
「反応が薄いな。まあそりゃそうなるか? 」
「ああ。そんなもんかって感じだな。じゃあ、私は行くよ。」
「分かった。気を付けてな。」
◇
宮司や村長と話してから一月ほど経った。冬はもう終わりに差し掛かり、雪が降ることもまれになってきていた。
流行り病はまだ収まる気配がない。幸い私の家族は無事だが、いつ罹るかと思い、縮こまって生活している。
土の香りが漂う森の中、私はお社を目指して歩いていた。柊と菘に会いに行くことはすっかり私の習慣になっていた。
歩くたび、地に落ちた枝が折れる音が響く。
二匹は初めて会った時よりも大きくなり、立派な狐になっていた。
「おはよう。柊、菘。今日の調子はどうかな。」
二匹は私を見つけると、身軽に森を駆けて近寄って来てくれる。
「調子良さそうだね。私にはもうそんな動きは出来ないよ………。」
今日は二匹のためにお団子を持ってきた。
私は妻に作ってもらった”おいなりさん”を食べようと包みを開ける。
二匹ははじめは利口にお団子を食べていたが、どうやら私の”おいなりさん”が気になったらしく、こちらに鼻を近づけてくる。
「食べたいのか? ほら、一つずつあげるよ」
柊は気に入ったようで、次は? という顔をしている。
菘はあんまりだったようで、一つ食べ終わるとお団子の方へ戻った。
「ほら、あげるよ」
私は柊に残りの”おいなりさん”をあげることにした。
二匹が食べ終わったことを確認して、私は山を下りて家に戻った。
その夜、私の娘が流行り病に罹ってしまった。私はすぐに宮司のところに行き、神事の予定を聞いた。
どうやら村人たちの不安も溜まってきているようで、村長が明日にも神事を開く予定だと周知した。
病は命を奪う程ではないが、この小さな村で一時的でも働ける者が減ることは死活問題であった。
神事には多くの村人が集まった。
きちんとした衣装に身を包んだ宮司が出てくる。白い紙が付いた棒を振り回して何かを唱えたり、お供え物をしたりしている。
「雪だ………。」
誰かがつぶやいた。
丁度良いタイミングで時季外れの雪が降り始めたのだ。
村人は湧いた。奇跡だと。
「雪、か。」
そういえばあの二匹と出会ったのはこんな雪の日だった。と思い出す。
そのとき、しんしんと降っていた雪がピタリと空中で止まった。
村人たちの話し声も聞こえなくなっていた。
気づけば、私以外は全て時を止めたように動きを止めていた。
一陣の風が吹き抜ける。
思わず袖で顔を覆う。
腕を避けて前を見ると、私の前には二匹の立派な狐が座っていた。
「柊…、菘………」
二匹は私の体に顔を擦り付けた後、何も乗っていなかった神社の台座に座る。
柊と菘は最後に私の方を振り返って小さく鳴いた。
村人たちの喧騒が鼓膜を揺らす。
再び時が動き始めた。
私はすぐに台に近づく、すると、立派なお稲荷様の石像が座ってこちらを見ていた。
口には”お団子”と”おいなりさん”をくわえていた。
それぞれの台座には『柊』、『菘』と大きく名前が刻まれていた。
それからお社に柊と菘が姿を見せることはなかった。
神事の後、村を襲った流行り病はいつの間にか鳴りを潜め、村人はそのことを忘れたように生活を送っている。
私の娘も、すっかり元気になって家の手伝いをしている。
誰も空白の台座がそこにあったことを覚えている者はいなかった。
二匹の狐がいたことを知っているのは私だけだ。
私は毎日欠かさず”おいなりさん”と”お団子”を二匹のもとにもって行っている。
今でも時々、台座を通るときに二匹の鳴き声が聞こえる気がするからだ。
冬の鳴き声――――了
あとがき(注意書き)
野生の狐を見つけても絶対に触ろうとはしないでください。
この物語はフィクションです。
冬の鳴き声 ふるえもん @huruemon
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