星のかなたに

@a--san

第1話

「博士、このフランケンはいい出来ですね」

白衣を着た助手のマリー・クレールが話しかけたが、兼田正隆博士はじっと真空房の中の検体である通称フランケンを見ていた。

真空房は宇宙空間を再現できる実験設備だった。宇宙空間には酸素がなく、宇宙線が飛び交い、気圧がなく、生身の人間は体液が沸騰してしまい、長い時間は生きていることはできなかった。そのために宇宙服が開発され、用いられていた。人間の体は弱く、地球環境に適応していたので、それを服の中で再現すると大掛かりになり、不自由だった。それは宇宙が遠のくことを意味していた。

二人が行っているフランケン・プロジェクトは宇宙環境に対応した人間を開発する計画であり、フィリップ・クロード大統領直々のものだった。元軍人のハン・キエン大統領補佐官を中心とした大統領の側近のチームは、まず世界的な発明家で医師でもある兼田博士を口説いた。兼田は最初は固辞したが、過去の事業の失敗によりできた多額の負債の肩代わりと全く顧みられない貧困層への医療援助の許諾を条件に計画を受け入れた。助手は博士の推薦でマリー・クレールが抜擢され、大統領の側近のチームの審査後に決定された。マリー・クレールは宇宙工学が専門の有望な若手研究者で、真っ白な透き通る肌と真っ青な目とプラチナブロンドを持つ才媛だった。二人がプロジェクトを開始してから十八ヶ月が経過していたが、ここまでは目立った成果は出せていなかった。

「だめだ、処分しろ」

兼田はマリーに振り向き、厳命した。いつにない強い口調で。

「どうしてですか、完璧な出来だと思いますが」

兼田は言いよどむように、苦しい表情になり、

「処分だ、それから」

マリーは次の言葉を待っていた。

兼田は珍しくスーツを着ていた。グレイのツイードのスーツで真っ赤なネクタイをしていた。髪にも櫛をいれていた。髭だけが手入れされておらず、伸び放題だった。

「このことは、多言無用だ」

「しかし、報告の期限が迫っています」

「わかっている。これから出かけてくる」

そう言うと、兼田はマリーの肩を二回たたいたのちに出口に向いて歩きだした。

マリーは兼田が出ていくのを見ていた。いつもより歩くのが早かった。空腹のときにレストランに向かう時のようだった。兼田は腹が減るとイライラするたちだった。


マリーは真空房の中を眺めた。真空房の中でフランケンは泳いでいるように見えた。真空房の中は重力も調整できた。自動車が空を飛ぶときに開発された技術を応用したのだった。もちろん軍事目的にも使われていた。


マリーは大きくため息をついて、窓の外を眺め、自分のキャリアの終わったことを感じていた。マリーはプロジェクトの機密性の高さから厳格な契約のもとに仕事と人間関係を失っていた。つまりここで行っていることは今後他言無用だし、ここにいることさえ秘密だった。ここに一度足を踏み入れたら最後、出ていくことは許されなかった。しかし反面、成功すれば、大きな未来が約束されていると大統領補佐官が言った。若手の科学者にはチャンスなどめったに訪れなかった。研究室の片隅でひたすらデータを取り、偉い人の手足となって働くのを脱するにはリスクをとることを求められた。でもこれですべてを失うだろうと、マリーは思った。表立った説明はされず、静かに抹殺されるのだ。世間知らずな研究者であるが、それぐらいはマリーにはわかった。

でも博士の命令は絶対であり、指示に従うしかなかった。そして博士には何か深い考えがおありに違いないと信じたいと思っていた。博士はマリーにとって烏合の衆から抜擢してくれた恩人であり、この十八ヶ月をともに過ごし、その洞察の鋭さと懐の深さを感じることはたびたびあった。時々見せるエロスな一面が気にはなるが、尊敬をし始めていた。今日もいつもよりちゃんとした格好をしていたし、大統領のチームに会いに行ったに違いないとマリーは思うことにした。


マリーは制御装置の前で、角膜をスキャンして、メニューを選択した。確認の画面が二回出てきて承認した。すると、真空房で低い衝撃音がした。フランケンが重力と気圧に押しつぶされて爆発したのだった。真空防のガラス窓が真っ赤に染まっていた。

処理とはどこまでするのだろうか。少なくとも真空房の清掃は必要だろう。そしてそれは人には頼めない。自分がやるしかない。いや、実験が失敗したとして頼めばいいのだ。

マリーはとりあえず清掃を依頼して、休暇を取ることにした。後のことは後で考えることにした。自分が疲れていると、マリーは感じていた。何しろ十八ヵ月の間、ろくな休みもなく働きづめだったのだ。それぐらいとる権利は自分にはあると思っていた。


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