星降りの丘
牧瀬実那
星降りの丘
冬の入り口、遠く澄み渡る空一面に星が輝く日。それを一望できる丘がある。
きらきらと輝くものが好きだったオレ――ユルルモンは、その話を聞いた途端にいてもたってもいられない程の興味を抱いた。
すぐにでも見に行きたい――そう考えたのはリュジスも同じだったらしい。
何かと気の合うこの幼馴染みと話す内に、自然と一緒に行く流れになる。
11歳の秋も終わりかけの頃のこと。
これまで遊びに行く時はいつもそうしてきたように、揃って頭を寄せて地図を眺め、時折他愛もないことも混ぜながら、ああでもない、こうでもないと話し合った。
やがて地図と睨めっこしながら難しい顔をして、リューが唸る。
今回の目的地は少しだけ遠いところにあり、越えなければならない障害がいくつかあったのだ。
一つは単純に今暮らしている集落よりも少し距離があること。
二つ目にそこへ行くまでの道が複雑ではないがほんの少し悪路であること。
それから、時間。
星は空気が凍みる程に美しくなる。
日が落ちて、ちょうどよい暗さと気温となるのは、どうしても真夜中になってしまう。
親元で暮らすオレ達はどこからどう見てもまだまだ子供だった。
夜中の外出など許されないだろう。
行動規則――所謂門限もあるし、破るわけにはいかない……
些細なようで大きな問題だと、頭をがしがしと掻き、唸るようにぶつぶつ呟きながら、リューは悩んでいるようだった。
オレはというと、そんな様子を相も変わらず頭が固いと呆れて見ていた。
散々唸った後、天を仰いで完全に沈黙してしまったリューを見るに見かねて口を開く。
「そんなの、夜中にさくっと抜け出しちまえばいいだろ」
とても簡単なことだ。
そう言うと、しかし彼は思い切り目をむいた。
まるで頭になかったらしい。本当に本当に真面目で四角四面なヤツだ。
普段ならそれがコイツのいいところだけど、こういう時は短所だと思う。
「確かにちょーっと危ないかもしれないけどさ、里自体を出るってわけじゃないんだから、心配いらないだろ。いざって時はどこかに頼ればいい」
「む……」
「そりゃ、ちょっと怒られるだろうけど、そういうのは慣れてるし」
「慣れていいものじゃないぞ、ユルル」
「わかってるって、今大事なのはそこじゃない。……怒られるにしたって、リューはユートーセーだからそんなに怒られないだろ?」
「それは……そうかもしれないが……」
それでもまだ渋っていた。真っ直ぐ目を見て畳み掛ける。
「なぁ、リュー。オレ達、春には離れ離れになるかもしれないんだぞ?
別々のチームになってさ。お互い忙しくなって、一緒に出掛けるなんて機会、もう無いかもしれない。
それなのに行かないのか?」
「……」
ありがちな理由だったが、それでも痛いところを突かれたような顔をして、リューが再度押し黙った。
オオカミの子は12歳になる年に親元を離れて、群れに加わる為の準備をするのだが、同時に新たな狩りのチームも結成する。
その際チームリーダーも決めなければならないが、大半が大人達の決めた者が就任することになる。
そしてここ最近、周囲を流れる噂の一つに、リューが来年から作成されるチームのリーダー候補の一人とされている、というものがあった。
大人たちが決めたことだろうけど、あながち間違っていないと思う。
オレもきっと、同じチームにリューが居たらよっぽどのことがない限り、リーダーに推薦すると思うから。
それくらい、リーダー向きの性格と能力をしているのだ。
ただ、リーダーにはチームを取り纏める他にも、外部との連携や何やら、やることは沢山ある。忙しくてチーム外の古い友人との関わりが薄くなるのは、よくある話だった。
時々今みたいにものすごく要領の悪いことのあるリューは、多分例外じゃない。
だからきっと、オレも思い出が欲しかったのだ。
そして同時に
「……まあ別に、お前が行かないって言ってもオレ一人で行くけどな」
これも間違いなかった。
オレは星空を見たい。
それもこんな好シーズンを――幸運なことにここ最近とこの先しばらく晴れていそうな天気なのだ――逃したくない。
堂々と宣言するオレに、リューが慌てた。
「はあ!? いくらなんでも一人で行かせられるわけないだろ!」
「じゃあお前も来ればいいだろ。それで問題ない」
ふん、と鼻を鳴らすと、リューは唖然として、魚みたいに口をぱくぱくさせていた。
しばらくして、盛大に溜め息をつく。どうやら決心……というか諦めがついたらしい。
「……ったく」
仕方ないな、と肩をすくめるリューの顔は、言葉とは裏腹に嬉しそうだった。
***
糸みたいに細い月が中天を回る頃、布団の外へ。
物音を立てないように、気付かれないように、妙に高まる心を鎮めながら支度を整える。
ちらりと母さんの様子を伺ってみるが、最近は一緒の布団で眠らないせいか起きて咎められることはなさそうだ。
抜き足差し足、はやる気持ちを抑えて扉を細く開ける。
ギリギリ通れそうな隙間から体を押し出す。
途端に冷たい空気が顔を覆った。
思わずぎゅうっと目を閉じてマフラーに顔を埋める。
吐いた息がマフラーの隙間に溜まって温んだ空気を頼りながら耳をさすった。
立てていないのにどうにもここが一番冷える。
いっそ仕舞ってしまおうか……
そう考える内に慣れてきた。
顔を上げて辺りの様子を伺う。
周囲にヒトの気配はなく、時折思い出したようにほうほうと鳴く声が通り抜けていくだけで、とても静かだ。
待ち合わせ場所に向かって歩きながら、更に目線を上げる。
空気は冷たく冴え渡り、集落にいても輝き始めた星々がはっきりと見えた。
何より雲がない。
これならきっと、大丈夫。
「嬉しそうだな」
前を向いたのと同時に声が飛んでくる。
約束の場所で、リューが居た。
片手をひらりと振っている。
「当然だろ。ほら早く行くぞ」
挨拶もそこそこに彼の脇をすり抜けて駆け出した。
後ろから慌てた声と、駆け足が追いかけてくる。
「――って、全速力かよ! お前ヒトより速いんだから加減しろ……聞いてんのか!」
「善処する!」
「それでどうして更に速くなるんだよ……!」
「仕方ないだろ!」
だってワクワクしてるんだ。
一応、リューの足音が聞こえる速度を意識しているけれど、あっという間にどこかへ吹き飛んでいきそうだった。
丘まであと少し。
***
「おお……」
感嘆するリューの声が後ろから聞こえたけれど、オレはそれに返事どころか反応さえする事が出来ずに、ただただ目の前に広がる光景に見入っていた。
そこは、里の周囲では珍しく、大きく広く隆起した場所で、木々の遮りも、山の覆いもなく、まっさらな空のある場所だった。
その空を星々が埋め尽くさんばかりに、これでもか、と言うほどに白い輝きを放っている。
澄んだ冬の空気を貫くように光るその姿は、これまで見たどの星空よりも綺麗で、まさに絶景だった。
あまりにも多くの星があるので、一つくらい溢れて掴めるのではないかと、思わずふらりと手を伸ばしてみる。
けれどやっぱり星を掴むことはなく、握った手の白い毛並みが星の光で淡く輝くだけ。
その光景すら、溜息を吐く程に綺麗だった。
「……それにしても、ユルルがこういうことに関心があるとはな」
どれくらいぼーっと眺めていたのか。
喜んで星空を見上げるオレを見ながら、ふとさも珍しそうにリューが言っていたことを覚えている。
そう質問されることが、とても不思議だったことも。
「そうか?」
「そうそう。短気で喧嘩っ早いし、こういうじっくり楽しむものは苦手だとばかり」
「心外だな。オレは卑怯者がキライでムカつくだけで、誰にも邪魔されずに出来ることは好きだっての」
「知り合ってから8年目にして初めて知ったわ」
「言ったこともないしな」
「そりゃあ知る由もないわ」
けらけらと笑い、もう一度星空を眺める。
天蓋はきらきらと輝き、周囲を明るく照らしだして幻想的な光景を作り出している。
「……もう一度、来たいな」
不意にリューが呟いた。
「何言ってんだよ」
え、と困惑した顔でこちらを見るリューに、ピシャリと言い放つ。
「毎年! 来るに決まってんだろ!」
ぽかんとした表情でしばらく固まったリューは、それから一気に破顔した。
「はははっそうだな、その通りだ」
くっくっと笑い転げ、こちらを向いた顔はとてもにやけていた。
きっとオレも、似たような顔をしているに違いない。
「来年も、その先も来よう」
「ああ」
「その時はお互いに同じチームの連中も連れてこようぜ」
「いいけど、お前が他のヤツとうまくやってるのか心配だなぁ、俺は」
さっきだって一人で突っ走ってたし、とやれやれといった調子で苦笑した。
言われなくてもわかってる。
「そっちこそ頭固すぎてちゃんとリーダーやれんのか心配だ」
「まだリーダーって決まってないっての」
「どうだか」
またひとしきり笑いあい、夜空に没頭する。
辺りはとても静かで凪いでいて、いつまでも穏やかな時間が過ぎていくような気がしていた。
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