第50話 八月三十一日

 八月三十一日。

 高校二年生の夏休みという一生に一度の一大イベント、その最終日の夜。

 俺は家の自室でメッセージアプリを起動し、スピーカーモードにして通話をかけた。その相手は勿論、加瀬宮小白だ。


「こんばんは――――小白」


『三十秒の遅刻だね。紅太』


「いきなり細かいな」


『だって私、五分前から待機してたし。紅太は時間になった瞬間にかけてくるって思ってたし』


「そりゃ悪かったな。次から気をつけるよ……で、そっちの調子はどうだ? 最近は引っ越しとかでバタついてただろ。明日から二学期だけど」


『もう落ち着いた。近所もだいたい把握できたし、学校までの道も完璧に覚えた。紅太の家からちょっと遠くなったのが難点かな』


「でもいつも行ってるファミレスの別店舗が間にあるのはよかったよな。学校帰りに寄れるし」


『うん。……ホント、ちょうどよかった。あのお店、すっごく行きづらくなってたから』


「俺は少し残念だけどな。彼女に告白した思い出の店だから」


『…………わざとだろ』


「本心だよ」


 あの日――――母親と決別し、姉に対して初めての勝利とも呼べるものを勝ち取った日。

 小白は元の家から出て、別の家に引っ越した。そこは姉である加瀬宮黒音が用意していた部屋であり、今は姉と二人で暮らしている。


 残りの夏休みはそういった生活の変化に対応するだけで目まぐるしく過ぎてしまった。


「で、どうなんだ。黒音さんとの新生活は」


『んー……まあ、ぼちぼち? お姉ちゃんは相変わらず忙しい……っていうか、最近ますます忙しくなってきてるし。あ、でも家に帰ってくる頻度は増えたかな。今までは私に配慮してあんまり家に帰ってこなかったりしてたみたいだから』


「最近ますます忙しくなってるのと家に帰ってくる頻度が増えたって、矛盾してないか?」


『それは私も思ったんだけど、お姉ちゃんは「姉パワー」って言ってた』


「黒音さんらしいっちゃらしいな」


 あの人は色々と規格外のパワーを母親に対する報復と加瀬宮からの逃避に費やしていただけで、それさえ除けばもうただのシスコンだ。……『ただの』かどうかは検討の余地があるけど。


『あーあ……もう夏休みも終わりか。紅太と色んなとこ行きたかったな。夏休みっぽいこと、もっとしたかった』


「家に泊ったし、映画にも行ったし、プールにも行った。……それに母親や黒音さんとのことが片付いた後――――少し前に二人で旅行にも行っただろ」


『そーだね……うん。行った。あそこのホテル、結構良いトコだったよね』


「高校生二人だけで使うには勿体ないぐらいだったよな。黒音さんがお詫びも兼ねてって用意してくれたとこだけど、流石は超がつくほどの売れっ子芸能人だ」


『あはは……言われてみれば結構してたね。夏休みっぽいこと』


「ん。そうだろ」


『……………………』


「……………………」


 多分、小白は今、俺と同じことをを思い返しているのだろう。

 あの日の夜を境に、俺達は互いのことを名前で呼び合うようになった。

 高校二年生の夏休みに生まれた、二人だけの思い出だ。


『あ――――……やばい』


「ん? 何かトラブルか?」


『そうじゃなくて……今、すっごく紅太に会いたい気分』


「そう思ってるのがお前だけだとでも思ってるのかよ」


『嬉しい』


 今は普通の通話越しだから小白の顔は見えないけれど。

 でも、とても愛おしい、柔らかい笑顔を浮かべていることは分かる。

 それをこの目に焼き付けることができないのが悔しいぐらいだ。


「二学期になれば毎日学校で会えるだろ」


『学校かー……そういえば私達、教室だと他人だったよね』


「友達ですらなかったなそういえば」


 この夏休み、ほとんどの時間を一緒に過ごしていたから忘れそうになってた。


『…………学校ではさ。そのまま他人でいよっか』


「理由は?」


『私と付き合ってることがバレたら紅太に迷惑かけるかもしれないし』


「お前の評判のことなら、夏休み前には殆ど誤解もとけてるだろ」


『そうだけど、そう単純なもんでもないの。女子って怖い生き物なんだから』


 俺は男子なので女子の事情というものには疎い。何より女子には女子の社会というものがあり、それに身を置かざるを得ないのは小白だ。


『……それにさ。なんか嫌じゃん。冷やかされたりとかするの』


「わかった。じゃあ、学校では秘密な」


『うん。そうしよ』


「まあ、元々言いふらすもんでもないしな」


 夏樹や来門さんといった近しい人達には直に報告している。

 それ以外に知り合いらしい知り合いもいないので、言いふらしでもしない限りバレないはずだ。


『そうかな。私は頑張って自分を抑えてないと、言いふらしちゃいそう』


「冷やかされたりするのは嫌じゃなかったのか」


『……仕方が無いじゃん。最高の彼氏がいるって自慢したくなる紅太が悪いよ』


「だったら最高の彼女ですって自慢したくなる小白も悪いことになるぞ」


『じゃあ私達、二人揃って悪い子だね』


「みたいだな」


 窓の外に浮かぶ月が目に入る。小白も今、同じ景色を見ていたりするのだろうか。

 そうだったらいいな。


「……学校では気をつけないとな。名前とか」


『あ。そうだね。学校では今まで通り『成海』って呼ぶから』


「じゃあ俺も加瀬宮って呼ぶ。……名前呼びは、二人だけの時だな」


『特別な感じがして好きかも』


「……それはなんか、わかる」


 夏休みが終わる時はいつも名残惜しかったけれど、今年は悪くないと思える。

 学校で小白と過ごせる日々が待ち遠しくて。


「そろそろ寝るか」


『うん。そうだね』


「寝坊するなよ。朝はもう少し余裕もってな。旅行の時は結構バタバタしてたし……」


『あ、あれは半分ぐらいは紅太が悪いでしょっ!』


「もう半分の自覚があるようで何よりだよ」


『~~~~~~~~っ……!』


 通話越しだけど、今頃は小白が顔を真っ赤にしているのが手に取るようにわかる。

 そういうところが可愛いんだよな。


『もういいっ。お休みっ』


「お休み。また明日、学校でな」


 ……ああ。困ったな。うちの彼女が世界一可愛い。


 二学期からまた学校が始まるけど――――この可愛さに、俺は耐えきれるだろうか。


――――――――――――――――――――


これにて第二章「夏休み編」完結です!


次は第三章「二学期編」(仮)となりますが、次回更新までしばらくお待ちいただくことになるかもしれません。


できるだけ早くお届けできるようにがんばります。



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