第47話 辻川琴水と奴招てびき

「ことみんって変わったよね」


 ――――と、わたしの書いた原稿をチェックしつつ言ってきたのは、わたしのクラスメイトの奴招ぬまねきてびきさんだ。


 とても人当たりがよく、わたしこと辻川琴水が所属している一年A組でも中心的な位置にいる人物だ。わたしのことを『ことみん』という呼び方をするのは彼女ぐらいのものだろう。


 入学当初は人付き合いの悪さもあってクラスの中で浮きつつあったわたしに積極的にかかわり、こうして友達になることができたのも、彼女の持つ明るさの賜物だろう。


「変わった、とは……?」


「だって四月とか五月ぐらいまではさ。なんか妙に硬かったっていうか、ピリピリした威圧感があったし」


「う……それは、その…………少し、事情があったといいますか」


 学園生活では上手くやっていた、装っていたつもりだったけれど、彼女には見透かされていたらしい。完璧だと驕っていた自分が恥ずかしくなる。


「でも、今は違うよ。なんか全体的に柔らかくなった感じがする」


「……そうですね。わたしもそう思います」


 あの『兄妹喧嘩』からわたし自身にも大きな変化があったと思う。

 兄さんが思い切って、一度家族を壊すという決断に踏み切ってくれたおかげだ。


「家のことで色々あったのもありますが……てびきさんのおかげでもあります」


 兄さんとの喧嘩の後、私自身まだ迷いのようなものがあった。今までの生き方を変えることに戸惑いがあった。そんな頃、わたしはてびきさんの書いた『参考書』に出会ったのだ。


「それは流石に大袈裟だよ」


「そんなことはありません」


 教室に置かれていた一冊のノート。てびきさんの『忘れ物』だったそれの中身を、わたしは偶然目にしてしまった。そこに描かれていたのは『プロット』と呼ばれる、文字の塊(ネームと呼ばれる漫画の設計図の更に前段階のものらしい)。男女の濃密な描写がされた愛の物語に惹きこまれてしまった。


 それをきっかけとしてわたしはてびきさんと交流を持つに至り、加瀬宮先輩の力になれないかと恋愛相談を持ちかけた。あれだけ濃厚な描写を作り出せるてびきさんなら、きっと何か良いアドバイスをくれるはずだと思って。


 そこから色々あって、てびきさんの作った『参考書』に感銘を受けたわたしは、こうして『参考書』作りの世界に飛び込むようになった。


 今日もこうして原稿作りのための合宿をして、てびきさんの家にお泊りさせてもらっているぐらいだ。


「てびきさんは間違いなく、わたしにとても大きな影響を与えてくれました」


「その影響が果たして良いのか悪いのか、ちょっと判断つきかねるのが困ったとこなんだよねぇ……」


 わたしとしてはとてもキラキラと輝いた美しき思い出を語っているところなのだけれど、てびきさんは罪悪感を滲ませた目をしている。


「まあ、それは後世の人々が判断してくれると信じるとして……う――――ん…………」


「…………やっぱり、ダメですか?」


 わたしはまだこの『参考書』作りをはじめて日が浅い。

 てびきさんは『成長速度が早すぎてマジヤバい』と言ってくれているけれど、それでもまだまだ未熟。だからこうして原稿をよくチェックしてもらっている。てびきさんのアドバイスはとても参考になるし、勉強にもなるからだ。


「いや、悪くはないんだけどね。ことみんの強みって、その暴走機関車みたいに溢れ出す妄想のアウトプットっていうか、勢いだと思うんだよ。でもこの原稿からはそれを感じないっていうか……書いてる途中で冷静になったのかな。不安からくる説明の多さが特に目に着いちゃうね」


「……正直、詰まってるんですよね」


「昨日書いてたプールネタは結構よかったよ?」


「あれは元ネタがあったおかげといいますか……」


「うーん……じゃあ、今回も筆が乗れるネタから探した方がいいんじゃないかな。こう、ことみんのエンジンを動かしてくれそうな」


 といってもあれは加瀬宮先輩と兄さんがプールに行くというとても美味しいシチュエーションをいただいてしまったが故のものだ。そんな都合よく、わたしの中の火を灯してくれるような状況が起きるとは考えにくい。






「うーん……参考書作りとは難しいですね……」


 あれからてびきさんの家でギリギリまで粘ってはみたものの、残念ながら時間切れだ。

 てびきさんのご両親にお世話になったお礼をしつつ、わたしは家に帰ることにした。


「ただいまです」


「おー、おかえり」


 家に帰ると兄さんが出迎えてくれた。加瀬宮先輩が家出しているということもあってか、夏休みの兄さんは比較的家にいることが多い気がする。


「……あれ? お父さんは?」


 お母さんの方は取材が長引いて帰りが今日の夜になると連絡があった。だからいないことに違和感はないが、お父さんがいないのはおかしい。いつもならこれぐらいの時間にはもう帰ってきてたはずなのに。


「訊いてなかったのか? 父さんは急な仕事が入って、昨日からいないぞ。帰りは今日の夜だ」


「…………えっ?」


 昨日から、今、わたしが帰ってくるこの時まで兄さんと加瀬宮先輩が二人きりになっていたということ。


 つまり。それは、つまり――――『家出少女と始める溺愛同棲生活 ~止まらぬ愛欲の獣、微睡無き二日間~』では!?


「…………申し訳ありません……兄さん……!」


「えっ。何が?」


「わたしは…………素晴らしき作品を穢す羽虫です……!」


「だから何が!?」


 落ち着こう。落ち着くんだ。辻川琴水。事実確認が大事だ。

 私の桃色の脳細胞(てびきさん命名)をフル回転させて状況を把握するんだ。


「ところで、加瀬宮先輩は?」


「コンビニに水とアイス買いに行った。ちょうど冷蔵庫の中のやつを切らしてたからな。で、その間に俺は晩飯を作ってた」


「そうですか。夕食作りならわたしも手伝いましょうか?」


「いつもは色々やってくれてるからな。今日ぐらい休んでおけよ。あとは煮込むだけだし」


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきますね」


 ふぅ……とりあえず落ち着こう。全ては加瀬宮先輩が帰ってきてからだ。


「じゃあ、荷物をおろしてきます」


「おう。あ、晩飯はカレーだから」


「わかりました。楽しみにしていますね」


「まあ……期待に応えられるように努力はする」


 兄さんと別れて二階にあるわたしの部屋に戻り、荷物をおろす。

 普段は家事をしているので、何もしなくていいというのは、それはそれでどこか物足りない。


「……あ。そういえば、明日は可燃ごみの日でしたっけ」


 今のうちにごみをまとめておこう。家事でもして身体を動かせば何かアイデアも閃くかもしれない。

 ごみ袋を片手に、まずは二階にある部屋をまわる。自分の部屋にあるごみ箱のごみを袋に詰めたあとは、加瀬宮先輩が利用している客間だ。


 加瀬宮先輩はとてもキレイに部屋を使ってくれている。

 掃除もしてくれているところは律儀だし礼儀正しい。あの派手な見た目とはギャップがあって、そこがなんだか面白い。


「あっ」


 足をぶつけてしまい、テーブルの上に置いてあった袋を倒してしまった。

 袋から零れ出た加瀬宮先輩の私物であろうものを慌てて拾おうとして――――わたしは、ソレを見てしまった。


 その箱はどう見ても、アレだった。わたしの『参考書』にも登場する、アレだ。


「あ、琴水ちゃん。帰ってたんだ…………ぁあああああああああああ!?」


 タイミングが良いのか悪いのか定かではないが、ちょうど帰宅したのであろう加瀬宮が部屋に入ってきた。わたしが持っていたソレを見て、一気に顔を真っ赤にする。


「加瀬宮先輩!」


「琴水ちゃん。違うの。待って。落ち着いて」


「ヤったんですか!? 昨日!? ここで!?」


「何もやってないし何もしてない!」


「………………………………(ガリガリガリガリガリガリ)」


「待って待って待って待って待って! 何書いてんの!?」


 すごい。あれだけ詰まっていた『参考書』作りが一気に進んでいく。

 これは母さんを見習って、わたしも加瀬宮先輩に取材しなければならないようだ。


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