第45話 加瀬宮黒音②

 加瀬宮にメッセージアプリで連絡を入れて、俺と黒音さんは近くにある公園に移動した。

 天下の加瀬宮黒音ことkuonがいると周囲に知られれば騒ぎになるからだ。


「小白ちゃんにはちゃんと連絡した? 私と二人きりで話をするって」


「しましたよ。悪い気もしますけどね」


「あはは。だねぇ。自分で提案したこととはいえ、ちょっと罪悪感あるし」


 加瀬宮のことを考えれば黒音さんと二人で会うことは避けるべきかと思ったが……この人と、加瀬宮の母親についての話や、家出の話もしたかった。話題的に加瀬宮の心がまた傷を負う可能性もなくはないので、黒音さんの誘いに乗った形だ。


「……それで。話ってなんですか」


 アンタと俺が似てるって、どういう意味ですか。


「『アンタと俺が似てるって、どういう意味ですか』」


 あえて口には出さず、心の中に仕舞った言葉を、彼女はそっくりそのまま口に出してみせた。


「……って、聞きたそうなカオしてる」


「……もしかして超能力者だったりします? 心を読む系の」


「そんなわけないじゃん。所作、表情、視線、会話、それに伴う心の流れ、その他諸々を加味した、ただの推測、ただの予測。そしてただの特技」


「むしろ下手な超能力より凄いですねそれ」


「ま、神童やってたからねー。すり寄ってくる小汚い大人の群れを相手にしてると、こういう特技スキルが自然と身についていったんだ。今じゃすっかり得意技になったよ――――人間を理解することが」


 どこか悟ったようなオッドアイの眼差しが月明かりを受けて淡く輝く。


「だから理解わかるよ。君のことも」


 蒼と金の双眸は、成海紅太という人間の外側を容赦なく剥奪し、心の中を射抜いているような。


「君、根本的なところで『家族』っていうものに興味ないでしょ」


「………………………………」


「『家族』という枠組みに対して冷めてるんだよね。面倒だとも、枷だとも思ってる。あ、私の場合、小白ちゃんは例外なんだけどさ――――原因は母親……いや。父親の方かな? 可哀そうに。疲れちゃったんだね」


 ……ちくしょう。言ってくれるな。

 そう悔しがってしまう程度には、当たっている。


「……ま、今はいいや。それは。本題に入ろっか」


 成海紅太と加瀬宮黒音は似ている――――この話題は、これから入る本題において会話の主導権を握るためか。容赦のないことしやがって。こっちはただの一般的な男子高校生だぞ。


「うちの母親、壊れたから」


「壊れた?」


「そ。私のマネージャーっていう肩書きを毟り取って、業界に居られなくした。もっと言えば、アレが執着していたもの、積み上げてきたもの、夢見ていたものを、全部踏み躙ってやった」


「……壊れたんじゃなくて、壊したんでしょう?」


「おっ、言うねー。けどまァ、その認識で間違ってないよ。むしろ私はそのつもりでやった。今はなにしてるんだろうね? アレのことだから……まだ家に引きこもってブツブツ言ってるんじゃないかな」


「加瀬宮は、それを知ってるんですか」


「知るわけないじゃん。でもそのうち知るだろうね。アレはひとしきり現実逃避した後、小白ちゃんに縋りつきに行くだろうから。そうだなぁ……数日中には小白ちゃんを探し出すよ」


 全てを見透かし、見通し、理解したような蒼と金の瞳が妖しく輝く。

 加瀬宮黒音が今口にした『予測』は、『事実』になるという確信が、俺の中にじわじわと芽吹いている。


「そして、アレは小白ちゃんにこうお願いする。『小白。母親わたしを許すように黒音を説得して』『あの子はあなたの言うことならきいてくれるはずよ』。その次はこう言う。『今まであなたに厳しくあたって悪かったわ』『でも仕方がないの。黒音のためだったの』『不満があるなら言って? お母さん、直すから』……ってね」


 台本でも読んでいるかのようにすらすらと『予測』を口にする黒音さん。

 普通なら『そんなこと本当に言うんですか』と疑いたくもなるが、そう一蹴できない圧がこの人にはある。そして、この人の言いたいことも分かってきた。


「……加瀬宮が母親を許さないように誘導しろと、言いたいんですか」


「違う違う。誘導するんじゃなくて、情に流されないようにしてほしいだけ」


「同じでしょう」


「違うよ。情に流されて許すってことは、情さえなければ許さないってこと。つまりその人の本心なんだよ。……小白ちゃんは今までずっとずっと、家族というものに対する未練と飢えがあった。その未練が、飢えが、『家族の情』っていう首輪になって、小白ちゃんを縛り付けてきた。理不尽に罵られても、勝手に期待されて勝手に期待外れにされて見捨てられても、小白ちゃんはあの家に居続けた。情に流されて、母親アレと家族になる選択を選び続けた。あの子は、それを断ち切らなきゃいけない。情に流されて苦しむ人生から、逃げなくちゃいけない」


 …………ああ。そうか。


「その度に小白ちゃんは傷ついてきた。私に歌をくれた天使を、真っ白な愛しい天使を、アレは母親カミサマを気取って傷つけて、踏み躙って、羽を毟り取って、血で染めた。そんなの許せないよね? 許せるわけないよね?」


 この人は……。加瀬宮黒音という人は……。


「小白ちゃんは私の天使。自分が傷つくことも厭わず、歌を欲した私に歌をくれた、かけがえのない天使。天使を哀しませるものは全部壊す。全部消す。だから私は母親アレを壊した。だから私は――――」


「――――アンタは、加瀬宮の前から消える気なんだ」


 時が止まったかのような静寂。吹き荒ぶ夜の渇いた風に、俺は自分の直感を言葉にして乗せる。


「前に言いましたよね。加瀬宮を不幸にする人間は二人だと。一人は加瀬宮の母親。そしてもう一人は……加瀬宮黒音。アンタは、アンタ自身を許せない。だから……加瀬宮からアンタ自身を含めた『家族』そのものを消し去ることで、加瀬宮を幸せにしようとしている」


 それから、どれほどの時間が経っただろう。何秒か、或いは何分か。

 短かったような気もするし、長かったような気もする。時間の間隔が曖昧になる絶妙な無の後に。


「やっぱりいいね、君」


 加瀬宮黒音は静かに微笑んだ。


「……アンタが消えること。加瀬宮がそれを望んでいるとでも?」


「望んでないだろうね。でも私は消えるよ。小白ちゃんが、自分の母親を断ち切った後に」


「加瀬宮を独りにする気ですか」


「小白ちゃんにはもう君がいる。生活のことなら心配はないよ。遊んで暮らせるだけのお金を置いていくつもりだし、住む家だって新しく用意してる。小白ちゃんはこれからそこで暮らすの。小白ちゃんを苦しめるものがいない、新雪のように真っ白な家で、幸せな人生を始める。あの家にはもう、帰らなくていい」


 本気だ。この人は本気で、加瀬宮の前から消えるつもりだ。


「加瀬宮がアンタを止めるとは、考えないんですね」


「無理だよ。小白ちゃんは弱いもん。あの子は私よりもずっと弱い。だから私を止められない。それはもう理解していることだし、それは君だって理解しているでしょ?」


 私と君は似ているんだから、とでも言いたそうにしている。

 実際、俺はこの人の気持ちが多少なりとも理解できる。母親を壊したこの人の手段を恐ろしいと思いながらも、同じ立場なら俺も同じことをしていたかもしれない、という想像をしてしまう程度には、共感もしている。


 だが――――この一点だけは、明確に違う。


「いいや、理解できない」


 加瀬宮小白という一点においては、この人の言葉に共感できない。


「俺は加瀬宮を、あんたより下だとは思えない。あいつがあんたに勝てないとも思えない」


「解釈違いだね」


 そう語る加瀬宮黒音はどんな顔をしていたのだろうか。それは分からない。彼女はすぐに俺に背を向けて、歩き出していたから。


「まあ、君が隣にいてくれればなんでもいいよ。今日は母親アレを壊したことの報告と、小白ちゃんのことをお願いしに来ただけだし」


「会っていかないんですか。加瀬宮に」


「今のあの子はとっても幸せなんだから。私が邪魔しちゃダメ。……と言っても、君と二人きりになってる時点で邪魔しちゃってるんだけどさ」


 消えていく。加瀬宮黒音が、夜の闇の中へと。


「またね。成海紅太くん。小白ちゃんのこと、お願いね」


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