第34話 もやもやの理由

 映画を観に行ってからしばらく経って――――加瀬宮と一緒に立てた夏休みの計画は、夏休みの残り日数と共に順調に消化されていた。その合間に(合間という表現が正しいのかは定かではないが)俺はバイト先のカフェ、White&Silverでバイトに勤しんでいる。


「紅太くん。ビーフサンドできたからお客様のとこに持って行って」


「了解です」


 元から浪費家というわけではないしバイト漬けだったので金銭的に困っているわけではないが、それでも学生にとっての貴重な自由にできる資金源。それにこの夏休みは遊ぶ予定でいっぱいだ。貯金が減ることは確定しているので、頑張って稼がないといけない。

 と、カウンターに戻ったタイミングで、入店を知らせるドアベルが鳴った。


「いらっしゃい――――ませ」


 言葉が合間で詰まってしまったのは、店内に入ってきた人物を目にしてしまったからだろう。


「……って、加瀬宮か」


「……おす。席、空いてる?」


「見ての通りな。いつもの場所でいいか?」


「ん」


 すっかり定位置と化してしまった席に加瀬宮を案内する。常に満員御礼というわけでもないので、加瀬宮の来店時にこの席が空いている確率もかなり高い。


「ああ、いらっしゃい。加瀬宮さん。今日も勉強をしに?」


「はい。すみませんマスター、頻繁にお邪魔しちゃって」


「ははは。いいよいいよ気にしないで。僕も学生時代はよくお店で勉強してたし、いつか自分でそういう店を持ちたいと思ってはじめたわけだからね。自習室代わりに使ってもらえれば嬉しいよ」


 相変わらずマスターは懐と心が広い。


「ご注文は?」


「アイスティー」


「かしこまりました」


 この夏休みの間、このやり取りを何度繰り返したか分からない。

 というのも加瀬宮は俺がバイトを入れている日は、決まってこの店に顔を出してそれなりに長い時間勉強している。朝霞さんと夜仲さんが顔を出した日には、俺がバイトを上がる時間まで熱心に勉強していたぐらいだ。


「マスター、アイスティー一つ」


「了解。……本当に偉いねぇ、加瀬宮さんは。夏休みなのにちゃんと勉強してるんだから」


「来年受験を控えてる身としては耳が痛い話ですよ、ええまったく」


「ははは。最近は紅太くんも頑張ってるじゃないか。……しかし、最近の学生さんは大変だねぇ」


「何がですか?」


「加瀬宮さんはこの店に勉強しに来てるんだろう? この後に予定が入ってるわけでもなく」


「そうですね。帰りにちょっとした買い物をすることはあっても、基本的には家にそのまま帰ってるそうです。それが何か?」


「ただ勉強しに外を出歩くだけでも、あんなにも服もお化粧も気合を入れて、すごくオシャレしなくちゃいけないんだもん」


「あー……いや。みんながそういうわけじゃない、と思いますけど」


 言われてみれば確かにだ。この店に勉強しに来ている加瀬宮は毎回、誰かとデートにでも行くのだろうかと突っ込みたくなるぐらいにめかしこんでいる。


「女性の身支度って大変だしねぇ。それに、身なりに対して周りから向けられる視線は男性よりもシビアだし……」


「やけに実感がこもってますね」


「うん。僕の愛する妻に言われたことがあるから」


「夫婦仲が良いようで何よりです」


「ははは。それほどでも」


 それにしても加瀬宮はどうして勉強しに来るだけなのに、あれだけめかしこんでいるのだろうか。毎日綺麗が過ぎるせいで、バイト中なのに見惚れそうになる。……しかもここ最近は少しずつお客さんが増えているような気がする。主に男性客が。


「お待たせしました。こちらアイスティーとなります」


 アイスティーを運ぶと、ノートにシャープペンシルを走らせていた加瀬宮が顔を上げた。


「ありがと」


「仕事だからな」


「そうだった……ってか、なんかマスターと何の話してたの? 私の名前が聞こえてきたような気がしたんだけど」


「加瀬宮は今日も綺麗だなって話」


「……ありがと、って言えばいい?」


「それはお前の判断に任せる」


 店内の男性客からチラチラとした視線が加瀬宮に集まっている。露骨ではないつもりなのだろうが、傍から見ているとバレバレなもんだな。……どうしてかそれが気に入らない。心の中がもやもやする。


「なに。どしたの?」


 本人は気づいてないのだろうか。いや、気づいてるだろうな。いつも目立ってるし、人の視線に慣れているのだろう。


「……家だと勉強に集中できないか?」


「そんなことないけど。……ここで勉強するの、迷惑だった?」


「迷惑じゃない。マスターもああ言ってるし。ただ……外、熱いだろ。勉強のために店に通うのもしんどくないか」


「心配してくれてるの?」


「心配といえば…………心配だな」


 心配。その言葉がしっくりきた。でもそれが本質じゃない気がする。


「大袈裟。別に暗い夜道を歩いてるわけじゃないんだから」


 加瀬宮がこの店に来るのは日中で、本人の言う通り別に暗い夜道を歩いてるわけでもないのに。なのに俺は心配している。何に対してだろう。なんでこんなにも加瀬宮のことが心配になるんだろう。


「……熱中症とかもあるだろ」


「それはそうだけど、ちゃんと水分補給してから家出てるし。てか、成海ママとか琴水ちゃんがそのへんしっかりしてるし」


 なんなら俺もバイトに行く前に言われるぐらいだ。


「成海、どうしたの? なんかヘンだよ」


 確かにヘンだ。自分でもそう思う。


「紅太くん。お喋りは別に構わないけど、ほどほどにね」


 内心で首を捻って考えてたところにやってきたのはマスターだ。


「加瀬宮さんは勉強しに来てるわけだし、あんまり邪魔しちゃダメだよ」


「すみません」


「いえ。元はと言えば私から成海に訊いたんです。マスターと何の話をしてたのか、って。私の名前が聞こえてきた気がしたから」


「ああ、そのことか。加瀬宮さん、すっごくオシャレしてお店に来てくれるよねって話をしてたんだよ。今時の子は大変だよね。勉強するため外に出かけるだけでも、いっぱいオシャレしなくちゃいけないんだから」


「あー……いや。そういうわけではないと思います」


 加瀬宮は若干、気まずそうにマスターから目を逸らした。


「…………ただ私が、負けたくないなって思っただけです」


「「誰に?」」


「…………こっちの話なので、気にしないでください」


 そんなことがありつつ、俺は時間いっぱい働いてバイトを終え、帰路についた。

 俺のバイト上がりを待ってくれた加瀬宮も一緒だ。


「…………ごめん。やっぱり私、迷惑だった?」


「そんなことはないぞ。俺だってバイト中でも加瀬宮と一緒に居られて嬉しいし」


「じゃあ、なんでそんな難しい顔してんの?」


「それは………………」


 隣を歩く加瀬宮小白は今日も綺麗でカワイイ。店のお客さんたちの視線を集めてしまうのも頷ける。そんなことは分かり切っていることで、今までもあったこと。映画を観に行った時もそうだったじゃないか。なのにどうして……こんなにも、もやもやとするんだろう。


「…………加瀬宮は気にならないのか?」


「何が?」


「客の視線。店に居る人たちがチラチラ自分の方を見てきたらさ。気になるだろ」


「あぁ、それか……別に。映画観た時も言ったけど、ああいうの慣れてるし」


「そうだよな……」


「……それを気にしてたの?」


「……気にしてた」


「……なんで?」


「なんでって…………それが分からないから、こうやって悩んでるんだろ」


「ふーん。そっか……そっかそっか」


 隣を歩く加瀬宮はなぜかご満悦だ。


「成海は、私が他の男に見られて悩んでたんだ」


「……やけに嬉しそうだな」


「そう? そうかもね」


 今にも鼻歌を歌いだしそうに気分を良くしながら、加瀬宮は前に前に踏み出して隣を歩く俺を追い越してから振り返った。


「じゃあ、次のバイトの時はもっと可愛くして店に行くから」


「…………勘弁してくれよ」


「やだ。絶対にもっと可愛くする」


 帰りの道を歩いている間、加瀬宮の頬の緩みが収まることはなかった。


     ☆


「一体どういうことですか!?」


 ある芸能事務所にて、一人の女性の悲鳴にも似た咆哮が轟いていた。その女性の名は加瀬宮空見かぜみやそらみ――――加瀬宮小白と加瀬宮黒音の母親である。


「なぜ私をkuonのマネージャーから外すんですか!? あの子のことを一番よく分かっているのはこの私です! あの子の才能を理解し、存分に発揮させ、成功に導いてきたのはこの私ですよ!?」


 噛み付くように叫ぶ加瀬宮空見に対し、芸能事務所の社長を務める女性、香坂こうさかはうんざりしたように言葉を投げ捨てる。


「仕方がないじゃない。本人の強い希望なんだから」


「本人の希望……!? そんな、嘘です! そんな……!」


「本当よ。嘘だと思うなら本人と話してみればいいじゃない」


「…………っ! こんなワガママ、いちいちきいてたらあの子が増長するだけですよ!?」


「あのねぇ。kuonはこれまでワガママらしいことは何一つ言ってこなかったわよ。あんなにも手のかからなくて文句ひとつ言わず黙々と仕事をこなしてヒットを連発しまくってくれるアーティスト、他の会社でも見たことがないわ。知ってるでしょ? あの子がデビューしてからうちの事務所の利益は右肩上がりってこと。それはただkuonが売れたからというだけじゃない。あの子が現場で築き上げてきた信頼と人脈が、うちの事務所に恩恵を与えてくれてた結果でもある。……だから困るのよね。あの子が築き上げてきた信頼と人脈を、アナタに壊されると」


「どういうことですか!?」


「アナタ、kuonの妹を……あー……蔑ろ・・にしてるらしいじゃない。しかも家から追い出したって」


「…………っ!? いえ、ですがそれは……!」


「事実や真実なんて世間様からすればどうでもいいことよ。問題はどう見られるかってこと。家族との不仲なんてただでさえ良いイメージを持たれないのに……ネタに飢えた週刊誌ハイエナ連中なんか、こぞって大袈裟に脚色するでしょうね」


「そんな……私は……!」


「言い訳は結構。何よりkuon本人から『そういう可能性』を提示されたのが致命的だったわね」


「そんな……黒音が……? なんで……?」


 愕然とする加瀬宮空見。だが彼女のことなど、香坂にとってはどうでもいいことだ。

 香坂にとって重要なのは『加瀬宮黒音を敵に回さないこと』。そのためには彼女との約束は確実に果たさねばならない。そして彼女の忠実なる駒として動くことが、この事務所の莫大な利益に繋がることも分かっている。


(まさか、本当にこんな日がくるなんてね……)


 香坂の頭を過ぎるのは、kuon――加瀬宮黒音と出会った時のことだ。

 彼女は母親が席を外している間、香坂を前にしてこう言った。


「文句一つ言いません。どんな仕事もやります。手のかかるような子にはなりません。この事務所の利益になることをお約束します。……だから、一つだけで構いません。私がいつか『ワガママ』を言う時が来たら、それだけは何としてでも叶えてください」


 実際、kuonは社会現象と呼ばれるまでにヒットし、この会社に莫大な利益をもたらした。

 業界をうまく立ち回り、この事務所そのものに仕事が回ってくるように動いてみせた。

 そんな彼女からどんな『ワガママ』がとんでくるのか戦々恐々としていたものだが――――まさか母親の排除を願うとは思わなかった。


 そして香坂がその『ワガママ』をきいたのは、ただ律儀に約束を守ろうとしただけではない。恐ろしかったからだ。加瀬宮黒音という生き物を敵に回すことが。


(……まるで悪魔と契約したような気分だよ)


 覚束ない足取りで去っていく加瀬宮空見。彼女の背中を見送る中で、香坂は少し同情していた。人知の及ばぬ悪魔を敵に回してしまった、哀れな母親に。


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