第28話 追放
「あ。ノート買うの忘れてた」
一学期の期末テスト以降、学生らしく自主的にコツコツと勉学励んでいたおかげか、夜になってノートを切らしていることに気が付けた。時刻は九時を過ぎたあたり。もっと遅い時間だったならともかく、これぐらいの時間帯ならコンビニに行くことに躊躇いはない。ついでに菓子やジュース類も補充しておくとしよう。ちなみに、明日にまわすという選択肢はない。加瀬宮との予定があるからな。
「……よし。ちゃちゃっと買いに行くか」
財布とスマホを掴んでさっと廊下に出て……ふと、足が止まる。
十秒ほど悩んだ末に、俺は向かい側にある部屋の扉をノックした。
「
「……兄さん?」
とたとた、という足音が聞こえてきて、扉が開く。
平均よりも少し小柄な体格に腰まで届く長い髪。人形のように綺麗で整った顔。清楚で上品な振る舞いから、既に一年生の間では一番の美人と噂されているらしい少女。
問題に一区切りついた今となっては、お互いに『兄』と『妹』としての関係を、少しずつ、ぎこちないながらもスタートさせている。
「どうかしましたか?」
「今からコンビニ行ってくるけど、何か欲しいものがあったらついでに買っとくぞ」
俺が部屋を訪ねてきた意図が分かったらしい。琴水は少し考えるそぶりを見せた後、首を横に振った。
「ありがとうございます。わたしは特にありません」
「そうか」
……いきなり歳の近い義理の妹ができた身としては、一学期にぶつかった件とは別に接し方に迷うんだよな。戸籍上は同じ『辻川家』の人間とはいえ、少し前まで赤の他人同士だったんだから。これが同性ならともかく異性ともなると気遣うべき点も多々あることだろうし。
「明日は加瀬宮先輩と映画を観に行くんですよね?」
「ん? ああ。その予定だ」
「…………」
琴水は上から下まで俺の服をじっと観察しはじめた。
今はコンビニに買い物をしにいくだけだから、かなりラフな格好だ。いかに家族といえども、じろじろと見られるのはちょっと恥ずかしい。
「明日は早めに起きて、時間に余裕を持たせて、きちんと身だしなみを整えてくださいね。早起きが苦手なら起こしてあげますので」
「お、おぉ……元からそのつもりだけど……」
「それと加瀬宮先輩と合流したら、まずは最初に服装を褒めてあげてください。きっとすごく気合を入れてオシャレしてくるはずですから。髪型をアレンジしてきてたら、そこも」
「ぜ、善処する」
「絶対にですよ。ノーコメントはありえません」
そもそもなぜ加瀬宮が気合を入れてオシャレしてくるということが分かるのか、というツッコミを入れる余裕はなかった。
「わ、分かった……」
「それと、時間帯的にそろそろ雨が降るそうですよ。念のため傘を持って行った方がいいかもしれません」
「そ、そうする」
「では、いってらっしゃい。近くのコンビニとはいえ夜なので気をつけてくださいね」
「き、気をつける」
俺にありったけの忠告を残した琴水は、己の使命を果たしたような満足感を見せながら自分の部屋に戻った。
「…………妹って、わかんねぇ」
歳の近い義理の妹との接し方についての参考書とかあるなら、誰か売ってくれねぇかなぁ……。
☆
ソファに座ってなんとなくテレビ画面を眺めていたら、流れていた番組が終わりCMに切り替わった。
「これ……明日、成海と一緒に観に行くやつだ」
次にその画面に流れてきたのは映画の宣伝CM。つい最近公開されたばかりの映画で、既に記録的な観客動員数を叩き出しているらしい話題作。原作となっている小説も評価が高くて、SNSでも話題になっているのをよく見かけた。
なぜこの映画を観に行くことになったのかというと、なんでも成海ママが知り合いからもらったチケットが成海に流れて来たらしい。
チケットは二枚。別に私とじゃなくてもいいはずだ。それこそ、幼馴染の犬巻を誘ってもよかったのに、私を誘ってくれた。その事実がたまらなく嬉しい。
「男子と二人で映画って……デート、みたいだよね」
……まあ。デート、と思っているのは私だけだろう。
なにせ私自身、
だから、私の独り相撲になるかもしれない。それでも……楽しみだ。
好きな男の子と二人きりで映画館に行くんだから。この気持ちは抑えきれない。
「――――……」
一人で勝手にドキドキしていたら、誰かが帰宅した音が聴こえてきた。
廊下を歩く律動的な足音。隙間の無いスケジュールに従って生きているような音。
「……おかえり。ママ」
「着替えを取りに来ただけよ」
「……お姉ちゃんは?」
「今日はドラマの撮影。私と一緒にホテルに泊まる。帰りは三日後よ」
お姉ちゃんは歌や作詞作曲だけじゃなくて、ドラマやバラエティなどでも活躍している。
過去に出演したいくつかのドラマでも、本業は俳優なのではないかと評されるほどの演技力で共演者からも視聴者からも絶賛されていた。
さっきなんとなくつけていた番組にもゲストとして出演していたし、調べてないけどSNSでトレンド入りしていることだろう。
「…………そうなんだ」
何もかもが私とは違う。お姉ちゃんに対するコンプレックスは未だに拭えない。
(でも、別にいい)
今はお姉ちゃんに対するコンプレックス以上に、明日の
「小白」
「なに?」
「夏休みの間は家に居なさい」
「…………………………えっ?」
ママの言葉が一言一句聞き逃すことなくハッキリと頭の中に入ってきて、私の頭の中を真っ暗に塗り潰した。
「なんで……? どういうこと……?」
「
「…………は?」
分からない。ママの言っていることが。どういう意味なのか。
「ねぇ……なんで? お姉ちゃんが忙しくなるのと、私が家に居なきゃいけないのって……何の関係があるわけ?」
「あなたが不用意に外を出歩けば、黒音に迷惑がかかるかもしれないでしょ」
「…………意味、わかんないんだけど」
「あなたが何か事件やトラブルを起こせば黒音のイメージにも響くと言ってるの。ドラマもCMも映画も、イメージに傷がつけば話が流れるかもしれない。高校生なんだから、それぐらいのことはもう分かるでしょ」
ママはスマホを操作しながら、さも当然のように理屈を並べ立てた。その間、私とは一切目を合わせていない。取引先か、スタッフさんか誰かとのやり取りだけに集中している。それが終わってもやっぱり私とは目を合わせることすらせず、着替えを手早く鞄の中に詰め込んでいく。
「じゃあ、私はもう行くから」
着替えを詰め終えたママは、私に背を向けて――――
「…………嫌だ」
その足を、止める。
「どういうこと?」
「嫌だ、って言ってんの」
ここではじめて、ママは私の眼を見た。
「明日、友達と一緒に映画観に行く約束してるし。他にもいっぱい……たくさん……夏休みに遊ぶ約束、してるから。だから、家にずっと居るのは嫌」
「あなたね。何を言ってるのか分かってるの?」
「それ、そっくりそのまま返すよ」
「なんですって?」
「さっきからさ、私が何かやらかす前提じゃん。てか、ずっとそうだよね。バイトを禁止してるのも、何もかも。ママって私のこと勝手に決めつけて、全然信用してないし、信じようともしないよね」
「バイトを禁止してる分、お金はあげてるでしょ。何が不満なの」
「お金の問題じゃない。そういう話じゃないじゃん」
この人は自分が何を言ったのか分かってないんだ。
私のことを欠片ほども信じていないと言っていることを、なんとも思ってないんだ。
「はぁ……小白。なにが不満なのか知らないけど、黒音のためよ。我慢なさい。お金ならいくらでもあげるから、夏休みは家に居なさい」
「絶対に
「だったら家を出て行きなさい。今すぐに」
「…………っ!?」
突然のことに私が動揺したところを見て、ママは勝ち誇ったように続ける。
「親の言うことが聞けないなら家を出て行きなさい。好きにしたいんでしょう? だったらこの家を出て好きにすればいいわ。ただし、何か事件やトラブルに巻き込まれても、うちの名前は出さないでちょうだい。こっちも無関係でいるから」
私の眼を見ているはずなのに。ママの眼には……私のことなんて、ちっとも映っていない。
「……ママはそれでいいの?」
「あなたが黒音に迷惑さえかけなければ問題ないわ」
「……私、本当に出て行くよ」
「出て行けるものなら出て行ってみなさい。……まあ、どうせすぐに泣きつくことになるでしょうけど」
「…………っ!」
今度は私がママをまともに見れなかった。財スマホを掴んで、着の身着のままで家を飛び出していた。私が靴を履いてる間も、扉を開ける寸前も、私が家を出ても――――ママは何も言ってこなかった。
「なんで……なんで……!」
夜の道をひたすらに歩く。歩く。歩く。どこに向かって歩いているわけでもない。アテもなく、ただこの怒りと悲しみを振り払うように。どこかに向かって、ひたすら闇の中を歩いていた。
「楽しかったのに……考えるだけで、あんなにも、楽しかったのに……!」
お姉ちゃんにコンプレックスがあっても。
ママが私のことなんか見てくれなくても。
明日のことを考えるだけで楽しかった。成海とのデートを想像するだけで胸が高鳴った。夏休みのことを考えるだけで幸せだった。
その幸せに水を差されたような気分だった。だから今日は、ついママに逆らってしまった。
……ほんの少し期待していた部分もある。こうやって正面からぶつかれば、何かが変わるかもしれないって。無駄だった。そもそも、向こうは私のことを見ようともしていなかったのだから、仕方がないのかもしれないけど。
「…………雨」
いつの間にか雨が降りだしていた。傘はない。持ってくるのを忘れた。
雨に濡れて身体が冷たくなっていく。だけどそのおかげと言うべきか、ちょっとだけ頭が冷えた。
たまたま近くに夜の闇の中でコンビニの明かりが目に入って、光に釣られた虫のように、ふらふらとした足取りで引き寄せらる。濡れた状態で冷房の効いた店の中に入るのはなんとなく躊躇して、私はその場に佇むことしかできなかった。
「…………サイアク」
身体と一緒に頭が冷えてきて……さっきの家でのやり取りが頭の中で再生される。
とめどない哀しみが胸の中で、この雨のように降ってきた。
幸せな気持ちもドキドキも全てが雨に洗い流されていくみたいだ。
「…………」
ここから行くアテもない。せいぜいホテルに泊まるぐらいだろうか。衝動的に飛び出してしまったせいでスマホしか持ってない。電子決済が使えるとこならなんとかなりそうだけど……。どっちにしろ夏休み中というわけにもいかない。だからそのうち、やっぱり、あの家に帰るしかなくなる。でも嫌だ。あの家に帰りたくない。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
「――――加瀬宮?」
暗闇の雨音を突き破って、その声は私に届いた。
「…………成海?」
私が、見間違えるはずがなかった。
好きな男の子を。彼の声を、聴き間違えるはずがなかった。
「なんで……」
「ノート切らしたから買いに来たんだよ。ついでにジュースとかお菓子とか、諸々……つーか、お前こそなんでここにいるんだよ。家から離れてるだろ」
違う。なんで……あんたはいつも……私が一番傍に居てほしい時に、来てくれるの。
「…………何があった」
なんで……傘を差しだしてくれるの。私の心から、雨を消してくれるの。
「ごめん、成海。私…………」
でもそんなことを言えるはずもない。
「…………家出、しちゃった」
私にできることなんて、降りしきる雨の中、泣きそうになる顔を必死にこらえることだけだった。
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