第17話 待ち合わせは店の外で

 六月のとある金曜日。


「新しい生徒会長は来門らいもんさんかー。特に意外性はなかったねぇ」


 朝の全校集会を終え、大勢の生徒に混じって教室に戻る道中。

 夏樹は、どこかつまらなさそうな感想を漏らしていた。


「不満そうだな」


「不満があるわけじゃないよ。意外性はないなぁって思っただけ」


「生徒会選挙に意外性を期待するのはお前ぐらいだろうよ」


 と、言ってみたものの。夏樹の言わんとするところも分かる。

 来門紫織らいもんしおり

 学年成績はダントツのトップ。勉強もスポーツもそつなくこなし、特に教師からの信頼は厚い。そつがないというか、優秀過ぎるが故にどこか近寄りがたさがある点はあるが。

 沢田が二年生の王子様だとすれば、来門は二年生の女王様・・・といったところだろうか。


 彼女は去年も生徒会に入っていて、今年は会長になることは誰もが確信していたことだ。

 明日は晴れになる確率が百パーセントです、と言われて、実際に天気は快晴となった日の空を眺めているような、そんな気分だ。


「ここ最近、周り人がちょっとずつ変わってきたからさー。生徒会選挙にも一波乱あるかと期待しちゃってたりしたんだよ」


「ちょっとずつ変わってきた、って……たとえば?」


「紅太の考え事が増えた」


「生徒会選挙に一波乱期待させるほどのことじゃないだろう」


 そして実は、この生徒会にかんして俺個人にとって一波乱があったといえばあった。

 辻川琴水。新しく俺の家族になった義理の妹が、生徒会に入っていたのだ。

 理由は特に聞いていない。たずねようとも思わなかった。俺が口を出すことでもないしな。


「他にもあるよ? 加瀬宮さんとか」


「加瀬宮?」


 不意に教室でその名前を出され、心臓の鼓動が緊張で跳ねた。

 隠している秘密に触れられたような焦りにじわりと汗が滲む。


「加瀬宮さん、最近ちょっと柔らかくなってきたよね」


「……そうなのか?」


「うん。前はもっと近寄り難くて……威圧感みたいなのがあったけどさ」


 夏樹の向けた視線の先を追う。加瀬宮は今日も席で一人、音楽を聴いて暇を潰している。

 そのクールで流麗な横顔は朝の柔らかな光を受けて輝いていた。


 これだけなら先月と同じ加瀬宮小白。だが今は――――


「あれD組の加瀬宮じゃね? すっげぇ美人だな。モデルとかやってんの?」

「特に最近、ますますキレイになってきたよなー……いっそ告っちゃおうかなぁ」

「やめとけ。A組の谷岡が狙ってるって聞いたし、同じD組の沢田も気があるらしいぞ」

「うへー。谷岡って野球部のエースだろ? しかも沢田って……俺らじゃ天地がひっくり返っても無理そうだ」


 そんな他のクラスの生徒たちの声が聞こえてくる。そこに悪評なんて一つもなくて、耳に入ってくるのは加瀬宮への賛辞ばかりだ。


(……今更かよ)


 なんてことを思ってしまうのは、友達としての身内贔屓か。


「今の加瀬宮さんは『高嶺の花』って感じだね」


「結局は近寄り難いんじゃねーか」


「でも前よりはずっといいと思うけどね。少なくとも本人が誤解を解くようになって、悪評は落ち着いてきたし」


 夏樹の言う通り、加瀬宮の悪評はここ最近で徐々に落ち着いてきた。

 そして悪評がなってしまえば、加瀬宮小白という人間は触れ難い宝石が如き少女である。

 高嶺の花。夏樹の評価は正しい。今のように俺の耳にすらチラホラと、加瀬宮小白を気にする男子の声が届き始めているぐらいだ。


 ついでに付け加えると、悪評があった頃から加瀬宮に話しかけていた沢田は株を上げた。

 噂に惑わされず中身を見ている王子様ステキ! ……ということらしい。


「…………?」


 世の中に対する理不尽を嘆いていると、スマホに一件の通知が入った。

 加瀬宮からのメッセージだ。


『もう準備はできた?』


 加瀬宮らしい簡素な一文。


(高嶺の花、か……)


 その高嶺の花とこうしてメッセージをやり取りしているのは、なんとも不思議な気分だ。


「…………」


 何気なく視線を送ると、たった今メッセージを送ったスマホを手にしている加瀬宮と視線が合った。その口元は微かに緩んでいる。

 俺はそんな彼女の表情から逃げるように視線を逸らし、手早くメッセージを打ち込む。


『問題ない』


 送信。送った瞬間、すぐに既読がついた。


「紅太。なんか、すっごく疲れた顔してるね」


「……ちょっと、精神に大きな負荷がかかっててな」


「大変そうだね」


「他人事だな」


「他人事だもん。それに、そんなに悪いことでもなさそうだし」


 そうなのだろうか。確かに悪いことではない。むしろ、人によっては良いことなのかもしれない。ただそれでも、緊張というものはしてしまう。


(まさか……加瀬宮がうちに来ることになるとはなぁ……)


     ☆


 あの日――――二人だけのクラス会から帰ってきた後は、それはもう気まずくて大変だった。母さんは無理に笑おうとするし、辻川は言葉にはしないまでも「信じられない」とでも言いたげな視線が飛んでくるし。


 言い訳の『クラス会』を使用してみたものの、焼け石に水程度の効果しか現れなかった……ということを、休み明けの月曜日、加瀬宮に報告することになった。


 言うつもりはなかったことではあるが、加瀬宮本人から訊かれれば答えるしかない。


「じゃあ、私が謝るわ」


「なんでそうなる」


「や。元々はさ。私が心配かけたせいだし」


「別に心配してたわけじゃ……」


「無理あるから、それ」


 ぴしゃりと言った加瀬宮に思わず沈黙する。


「ママの件もそうだけど、成海には迷惑かけてばっかっていうか……助けられてばっかだからさ。私にもなにかさせてよ」


 ここまで言われてしまうと俺も断りづらい。

 あれからまた家の中の空気も少しばかり重くなってきたので、困っているのも事実だ。

 この際、一度は家の空気を変えてくれた加瀬宮パワーに頼ってみるという手は有効なのかもしれない。


「…………分かった。なら、遠慮なく頼らせてもらう」


「ん。遠慮なく頼って」


「でも具体的にはどうする? また電話でもするか」


「今回は謝りに行くわけだし、電話じゃダメでしょ。誠意ってやつを見せないと」


「? じゃあどうするんだよ」


「決まってるじゃん」


 加瀬宮は悪戯っ子のように笑ってみせる。


「成海の家に行って、直接謝る」


「………………………………は???」


 なんだ。加瀬宮は何を言ってるんだ?


「待て。何を言ってるんだお前」


「謝る側が呼び出すわけにもいかないし」


「そりゃそうだけども……」


「成海の部屋にも興味あったし」


「それが本音か!」


「謝りたいのはホントだよ。そっちはあくまでもオマケ」


 ――――かくして、いきなり『クラスの女子を家に招く』という男子高校生にとっての特大イベントを迎えることになった。


 だがそのまま家に招き入れるわけにもいかないし、ここのところ母さんは仕事で忙しい。

 何より俺の心と部屋の準備もあるし、間に一学期の中間テストもあった。そういった諸々の予定を調整した結果、加瀬宮による成海家(正確には辻川家)の家庭訪問は六月まで伸びた。


 金曜日は相変わらずバイトを入れていないので、今日の放課後はフリーだ。

 俺と加瀬宮はタイミングをズラして下校することにした。

 ファミレスでは共に時間を潰す同盟関係ではあるものの、俺たちは学園内では他人として関わるようにしている。


 同盟を結んだ当初、それは加瀬宮の自衛に対する配慮でもあった。何より俺たちは同じ店の常連という以上の関係はなく、教室で楽しくワイワイとお喋りするような仲でもなかった。


 ……だけど。今の加瀬宮は自ら悪評を解き、自衛による手段を一部解いている。


 こうしてわざわざタイミングをズラして下校する意味があるのだろうか。

 そんな疑問を頭に浮かべながら、いつものファミレスの前に向かう。


 先に着いていた加瀬宮は壁に背中を預けつつ、スマホを眺めながら俺が来るのを待っていた。

 片方の手には学園にいる時には見なかった紙袋を持っている。


 ……さて。ここからが本番だ。

 呼吸を整え、心だけは決闘に挑む侍のつもりでいざ参る。


「加瀬宮。悪い、待たせた」


「別に大して待ってないよ。じゃ、行こっか」


「……そうだな」


 いつも加瀬宮を送った後に通る道を、今日は日の明るいうちに二人で歩く。


 ――――ここ最近、周り人がちょっとずつ変わってきたからさー。生徒会選挙にも一波乱あるかと期待しちゃってたりしたんだよ。


 ふと、夏樹の言葉が頭の中で蘇る。

 ちょっとずつ変わってきた……確かにそうだ。

 俺と加瀬宮がこの道を一緒に歩いている。それだけでも、ちょっとした変化だ。


 今朝の夏樹の言葉に、俺は今更ながら心の中で深く頷くのだった。


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