第10話 加瀬宮小白の家庭事情
人間とは常に他者と比較される生き物だ。
たとえば学校一つにしたって、勉強だったり、運動だったり、容姿だったり、素行だったり、ありとあらゆる項目によって他人と比較される。しかも成績という明確な数字となって現れる。学校という場所は比較という概念をカタチにしたような場所だと思う。
だけど、これは仕方がないことだと思う。
人間がたくさん集まれば差も出るし、比べられるのも自然なことだ。
問題なのは、誰と比較されるのかということ。比較対象が誰になるかということだ。
私――――
kuon。本名は
その歌声は数多くの人々を魅了して、自ら作詞・作曲を手掛けた曲は軒並み大ヒット。
有名映画の主題歌にも抜擢された時は、社会現象と呼ばれるまでのブームも巻き起こした。
そんなお姉ちゃんは、幼い頃からとにかく優秀だった。
勉強も運動もなんでもできて、ルックスだってずば抜けていて。
独特なセンスもあって、みんなを魅了する歌声もあって、人気もあって。
ママからたくさん愛してもらえて。
いつもいつも、称賛に囲まれていた。
そして私は――――いつもいつも、落胆された。
「
「三位入賞……この大会、
「はぁ……ダメね。こんな平凡な声じゃあ、
お姉ちゃんの方がすごい。
お姉ちゃんの頃はできてた。
お姉ちゃんの妹とは思えない。
私はいつだって、どんな時だって落胆されていて。
いつしか、ママは私に期待しなくなった。その頃には、ママはお姉ちゃんの歌手活動を支えるマネージャーとして多忙を極めていて。
「あなたは自由にやりなさい。けど頼むから、
ママは私に、たったそれだけしか望まなくなっていた。
私のことなんて見ないようになっていた。……ううん。違う。
ママは最初から、私のことなんて見ていなかった。
「今、
手渡された一万円札。中学生のお小遣いとしては破格と呼べるだろうそれを握りしめながら、私は外をぶらついたり、どこかのお店で、一人で時間を潰すことが当たり前になっていた。
しかもお姉ちゃんが有名になるにつれて、お姉ちゃん目当てで私に近寄ってくる人たちも増えた。
もう嫌気がさしていた。だから私は、家族から逃げた。家という場所を避けるようになった。近づいてくる人からも逃げた。勝手に期待して近寄ってきて、勝手に失望して私を傷つけてくるから。
「こんな夜遅くまで何やってるの。まさかヘンなことしてないでしょうね?」
そして皮肉にも、家族や家から逃げ出した途端、ママとの会話が増えた。これを会話と言っていいのか分からないけれど、少なくとも何かを言われる機会は増えたと思う。
「別にいいじゃん。何をしようと私の勝手でしょ」
忙しくて家にもあんまり帰ってこないくせに。
これで何か食べときなさいって、お金を置いてるだけのくせに。
「言ったでしょ、
ママの中にある心配は、いつだってお姉ちゃんの心配だ。
たまに家に帰ってきては、私にお姉ちゃんに迷惑をかけるな、足を引っ張るようなことはするなと文句を言ってくる。そんな生活を送っている時だった。
「もしもし、母さん?」
私が、偶然にも成海の電話を耳にしたのは。
成海紅太。クラスメイトで、同じファミレスに通う常連。
特に言葉を交わしたことはないけれど、常連として意識はしていた。
そして、電話の会話を盗み聞きするつもりはなかったけど、彼が私と同じように家族と上手くいっていないことも、知ってしまった。
「家族と仲、悪いの?」
気が付けば自分から話しかけていた。話しかけて、内心では動揺していた。
「……それって、俺に質問してる?」
「他に誰がいるの」
私は何をやっているのだろう。自分から周りを寄せ付けないように自衛していた私が、自分から話しかけている。その矛盾した行動に、私自身が困惑していた。
話しているうちに、彼が私と似ていることを知った。
同じように家という場所から、家族から逃げていることを知った。
そんな人が私以外にもいたことが……嬉しい、と思ってしまった。そして、いつもお店で過ごす一人だけの時間が孤独で寂しいものだと感じていたことに、その時になってはじめて気がつくことができた。
――――わたしは小白の友達だけれど、わたしじゃ小白の孤独を癒してあげられないと思う。
その時。いつか言われたことのある、友達の言葉が頭の中で蘇った。
「だったら、提案があるんだけど」
いつの間にか、私は成海に提案していた。
あのお店で一緒に時間を過ごすことを。一人じゃなくて、二人で時間を過ごすことを。
断られるかもしれないって、緊張していた。胸の中で心臓がものすごく大きな音を立てていた。
「それに……成海になら、話せそうだからさ。愚痴とかも」
「色々だよ。学校のこととか、プライベートのこととか――――家族のこと、とか」
「愚痴を言い合って、聞くだけ。それ以上、先には踏み込まない……っていうのはどう?」
言い訳みたいに、必死に説得しているみたいに、次から次へと言葉が出ていた。
「うん。いいな。俺たちのスタンスにも合ってるし」
「そっか。じゃあ、決まりだね」
「おう。同盟締結だな」
「同盟か。いいじゃん、それ」
私は笑っていたと思う。
それはきっと、嬉しかったから。心の底から安堵して、ほっとしていたから。
こうして、同盟という私と成海の奇妙な関係がはじまった。
成海と過ごす時間は居心地がよかった。あれだけ感じていた寂しさも孤独も感じなくなっていた。
くだらない話をして。家族の話もして。愚痴をきいてもらって。
そこに後ろめたさなんてなかったし、居心地の悪さもなかった。
お姉ちゃんの話もママの話もすることができた。愚痴を吐き出すことができた。
家以外にも居場所ができたと思った。はじめての、居場所。
それだけでよかった。居場所があるだけで、私は満足していた。
なのに。
「バカバカしい噂を真に受けて、友達のこと悪く言われてる……それが嫌で、腹立たしかった。……ああ、そっか。俺は怒ってたのか。加瀬宮を悪く言われて、怒ってたんだ」
成海は怒った。
放置していた私の悪い噂。あながち嘘でもないけれど、本当でもない。多少の悪意がブレンドされた噂に、成海は怒ってくれた。
私のために怒ってくれる人なんか、今までいなかった。
怒るとすればお姉ちゃんのため。お姉ちゃんに迷惑をかけないために。
私のことなんか見てくれなくて、見えてすらなくて。
だけど成海は、私を見てくれた。私を見て、私のために怒ってくれた。
「…………ちなみに、噂のことなんだけどさ。一応、夜はこの店から家に帰る以外はしてないから。たまにコンビニに寄り道したりするけど、遊び歩いてるとかはやってない。それと、あんまりよくない人たちと関りがあるっていう噂は……たぶんそれ、芸能事務所の社長からスカウトされてるところを見られただけだと思う。あの人、派手な見た目してたし」
特に言うつもりもなかった噂の真相だって説明していた。
この居心地の良い時間を壊したくなかったから、触れたくなかったはずなのに。
こんな言い訳がましいこと、言うつもりもなかったのに。
「そうか。まあ……そんなとこだろうな。噂の真相ってやつは。この噂をそのままにしてるのも、お姉さん目当てで来る連中を少しでも減らすためだろ?」
「……そこまでお見通しなんだ。やるじゃん」
私のことを見てくれている。
それは思っていたよりも嬉しくて、幸せで、照れくさくて――――温かった。
「家族の件を照らし合わせれば予想はつく。夜に遊び歩いてる件にしたって、元からある程度予想はついてたし……まぁ、スカウトの方は予想外だったけど、言われてみれば特別驚くほどのことじゃなかったし」
「そこは驚きなよ」
「加瀬宮ならスカウトの一つや二つあってもおかしくないだろ」
「……それ、どういう意味?」
「それぐらい魅力のある人間って意味だ」
「………………そりゃ、どーも」
成海は意外と、サラッととんでもないことを言うやつだ。
だけど、それは私を一人の人間として見てくれているから出てきた言葉というのも、すごく伝わってくる。
「成海ってさ。私のヘンな噂が流れてるの、嫌だったりする?」
「元からああいう噂は好きじゃない。加瀬宮と友達になった今は、もっと嫌になったってだけだ。お前にとっての自衛であることは理解してるから、これから我慢するようにするけど」
「……そっか。わかった」
成海が私を見てくれた。私の噂を聞いて怒ってくれた。
つまりそれは、もう私は一人じゃないということだ。
ヘンな噂を流されても私は平気だけど、成海は平気じゃないかもしれない。
加瀬宮小白という人間だけがよければいいというわけではない。
周りにいる、私のことを案じてくれる人のために、どう動くべきか。
ぶどうパフェを食べながら、私はそのことを考え続けた。
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