第7話 愚痴

 今日も今日とてバイトを終えた俺は、そのまま帰り道にあるファミレスへと直行した。

 既にスマホには加瀬宮からはバイト前に「先に行ってるから」という連絡をもらっている。

 店に入っていつもは席へと案内してもらうが、今日からは違う。店の中にある『いつもの席』を確認…………いた。


 今日も鮮やかな金色の髪が眩しく、退屈そうにスマホを眺めている。

 見た目は派手。だけど座っているだけでどこか絵になるのは流石というべきか。


「あ。来た」


「…………来た、な」


 俺と加瀬宮は、昨日気が合って意気投合(?)したばかりで、以前から親しくしていた仲じゃない。それこそずっと他人だったわけで。

 あまり馴れ馴れしいのも違うし、接する時のノリというか、テンションというか。とにかくそういうのがまだ掴み切れていない。


「なに固まってんの」


「どういうスタンスで接するべきか悩んでた」


「……それ、ちょっと分かる」


 どうやら加瀬宮も同じことを感じていたらしい。こんなところまで気が合うとは。


「いいんじゃない? 気楽で気安い感じで。こんなところで気を遣いたくないでしょ、お互いに」


 ただでさえ家では気を遣ってるのに、というニュアンスが込められていることは俺にもすぐわかった。


「……だな。こんなところでも気を回してたら身が持たねぇわ」


「そ。私たち、同盟関係でしょ。お互いが疲弊したら本末転倒ってやつじゃない?」


 加瀬宮の言葉に頷きながらメニューを広げる。


「おぉ、期間限定ぶどうフェアか」


「ぶどう好きなの?」


「普通だ。けど、いつもは定番メニューをローテーションしてるからな。こういう限定モノは味に変化がついて助かる」


「いつも同じの食べてると飽きるしね」


「飽きるほど通っている俺たち側にも問題はあると思うけどな……うん。デザートだからこれは食後だな。とりあえず今日の晩飯はパスタにするか」


 ドリンクバーもセットでつけて注文を終え、そのままグラスにメロンソーダを注いで席に戻る。


「最初はいつもそれ入れてるよね。マイルールでもあるの?」


「えっ、そうか? 無意識だったわ……」


「あははっ。無意識って。どんだけ好きなの、メロンソーダ」


 こうして目の前で笑っている顔を見ると、教室で抱いている印象よりもずいぶんと柔らかく思えるのは俺がチョロいのだろうか。


「そういう加瀬宮は…………なに飲んでるんだ?」


 フラワーズのドリンクバーは大まかに『ドリンク』、『ティー』、『コーヒー』の三種類に分かれている。『ドリンク』は主にメロンソーダやレモンソーダなどのジュース類であり、透明なグラスに飲み物を入れていく。なので、加瀬宮は透明なグラスに入ったジュースの色から俺の好みを把握しているのだろう。


 しかし、『ティー』と『コーヒー』は温かいものを入れるための白いカップを使う。外からは何を飲んでいるのかは分かりづらい。そして加瀬宮のテーブルにはいつもカップが置かれていて、『ティー』か『コーヒー』のどちらかであることぐらいしか俺は知らない。


「いろいろ。あ、でも紅茶が多いかも」


「コーヒーは苦手なのか?」


「そういうわけじゃないよ。チェーン店のはよく飲むし……あれ。なんでだろ」


「そっちも無意識かよ」


「だね」


 そうか。加瀬宮は紅茶派か。前から何を飲んでるんだろうとは、少し気になってはいたのだが。まさかそれを知れる日が来るとは思ってもみなかった。


 その時、タイムリーにもドリンクバーコーナーから、香り的にコーヒーを入れたであろう人が俺たちの席の傍を通り過ぎていった。


「……あぁ、そっか。なんとなくわかったかも」


 コーヒーの香りは加瀬宮にも届いていたのだろう。

 どこか自嘲するように、通り過ぎていった人の背中を眺めている。


「コーヒーの香りが嫌だったんだ。家にいる気がしてくるから」


「そうか」


 お姉さんか両親が普段からコーヒーを飲んでいるのだろうか。

 まぁ、俺にとってはどうでもいい。他人の家のことには口を出さないし、踏み込まない。

 ある意味で、それが俺にとってのマイルールなのだ。

 愚痴を聞く側にまわったところでそれは変わらない。


「どうでもよさそうな返事」


「実際、どうでもいいからな」


「…………ほんと、成海のそういうところ楽でいいわ」


「どういうところだよ」


「私の家のことに踏み込んでこないとこ」


「愚痴を吐き出す相手として、そこを見込まれたと思ってる」


「全人類がそうだと助かるんだけどね」


 疲れ切ったような加瀬宮の顔。更に心なしか、ちょっとそわそわとしている……これはもしかして、アレか。さっそくか。


「…………さっそく愚痴を吐き出したいなら、聞けるだけ聞くけど」


「…………マジ? つか、よくわかったね。愚痴が言いたいって」


「よくバイト先の人に愚痴を聞かされるからな。そういう気配は分かるようになってきた」


「気配て」


 何かがツボに入ったのか、加瀬宮は噴き出した。


「そもそも、そういう同盟だろ」


「助かるわ。ほんと。成海を選んだ私の目は間違ってなかったね」


 そう前置くと、加瀬宮は大きな大きなため息と共にテーブルに突っ伏した。


「あー……もう、ほんっっっっっとうに疲れる。お姉ちゃんに会わせろだの連絡先を教えて欲しいのサインが欲しいだの……二年生になって、またそういうのがぞろぞろ出てきてさー。うざい。邪魔。話しかけないでほしい」


「うちのクラスでそういうこと聞いてくるやつ、まだいたのか」


「うちのクラスからはもういない。だいたいは他のクラスの連中とか……あと、一番多いのは一年生かな」


「なるほど。新入生なら何も分からないだろうし……大変だな」


「そーだよ大変だよ。……それに今日は、特に沢田がサイアクだった。成海も見てたでしょ」


「まあ、見てたが……」


「なんなのあいつ。そもそもクラス会とか興味ないし、おまけに個人で連絡先を教えてくれとか言ってきたせいで、他の女子には睨まれるし……」


「沢田はファンが多いからな。なにせ二年生が誇る王子様だ」


「あんなことして自分のファンがどう思うかも考えないなんて、ご立派な王子様だね」


 スレてるなぁ……。無理もないか。お姉さんの信者に加えて、王子様の信者まで相手にしてたらそりゃ疲弊もする。


「……あ。そもそも、よかったのか?」


「なにが?」


「沢田とは連絡先を交換しなかったろ。なのに、俺と連絡先を交換してもよかったのかって」


「ああ、成海は別にいいよ。ヘンなことに使わなさそうだし、同盟相手として信頼してるし。ていうか、ヘンなことに使うようなやつならもっと前から動いてたでしょ。同じ店の常連やってたんだから」


 言われてみれば確かに、俺と加瀬宮が同盟関係を結んだのはここ数日のことだが、以前からこの店の常連としてお互いのことを認識していた。

 何かしらのアクションを起こすなら、それこそチャンスはその辺に転がっていた。


「……少なくともあの沢田よりはマシ」


「沢田もヘンなことには使わないと思うけど」


「どうかな。ああいうのは善意で余計なことをやらかしそうだし、周りは軽率なやつが揃ってそうでしょ。知らない間に外堀を埋められて勝手に彼氏彼女の関係にされたりとかして、ファンに余計な恨みとか買いたくないしね」


 ……つまり、過去にそういうことがあったということか。


 加瀬宮の容姿は学園でもスバ抜けているし、大人気アイドルと言われても驚かないぐらいには美人だ。その分、昔からそういうトラブルは多かったのだろう。納得した。


「成海から沢田に言ってくれない? 自分のファンぐらい管理しとけって」


「無茶言うなよ」


「同じ男子じゃん」


「あんなカーストトップの殿上人と、底辺を這いつくばるだけの一般市民を同じにするな。手足がついて動いてることぐらいしか共通点がないぞ。間違ってそんなこと言ってみろ。世が世なら二秒で打ち首だ」


「なにそれ……ふふっ」


 と、加瀬宮がまた謎にウケたタイミングで注文したパスタが運ばれてきた。


「いただきます」


「成海ってさ、いつもちゃんと『いただきます』と『ごちそうさま』を言うよね」


「ヘンか?」


「行儀がよくていいと思う」


「お行儀よくしたいわけじゃねぇよ。ちょっと前まで母さんと二人で暮らしてたからな。母子家庭だからどうのこうのとか、母親の育て方が悪いだとか、そういうことを言わせないための自衛の一種みたいなもんだ」


「ふーん。そっちも色々大変なんだね」


「一応言っとくが、同情はいらんぞ。俺は俺で幸せだし、再婚して母さんも幸せそうにしてるし」


「安心して。同情なんてしてないし、する気もないから」


 加瀬宮は俺のことを楽だというが、そういう加瀬宮の方こそ俺からすれば楽だ。


「……ん」


 黙々と夕食を食べ進めていると、母さんからの着信が入った。


「悪い。出ていいか」


「気にしなくていいよ」


 了承を得て電話にでる。


「もしもし、母さん?」


『紅太。あんた今、どこにいるの?』


「バイトから帰ってるとこ」


『……また寄り道?』


「ああ。まあ、ちょっとな」


 昨日とまったく同じやり取りを繰り返すのかと思っていると、電話の向こう側で微かに母さんの息を零す音が聞こえてくる。


『…………ごめんね。母さんが今朝、あんなこと……』


「えっ」


『「あの人」みたいなこと、言ったから……違うの。別に琴水ちゃんを贔屓してるわけでも、あんたに失望しているわけでもなくて……』


「そんなこと気にしてないから」


 今朝の一件は母さんの中ではまだ尾を引いているらしい。


『だから今日も遅くなるんでしょう? 昨日はいつもより帰ってくる時間も遅かったし……このまま家に帰ってこなくなるんじゃないかって、考えちゃって』


「違うって。昨日は友達と会ってさ。話も弾んじゃって……それにそいつ、女子だから。家まで送ってったんだよ。ほら、一人で歩かせるには危ないだろ? 今日も同じでさ。店で話してて、だから遅くなってるだけで……」


『あんた、女の子の友達なんていないでしょう。わざわざそんな嘘つかなくたって……』


「嘘じゃねぇって!」


 多少誤魔化している部分もあるが、殆ど嘘じゃない。加瀬宮と話がはずんでいることも、彼女を家まで送っていることも事実だ。


 けど母さんは信じてはくれないらしい。……当然か。実際、加瀬宮と同盟を組むまで女っ気なんてなかったもんな。


 どうすれば信じてもらえるのかと頭を悩ませていると、加瀬宮が指で軽く肩を叩いてきた。


「電話、代わろうか?」


「え?」


「私が電話したら信じるでしょ」


 言われてみれば確かにそうだが……ダメだ。他に解決策が思い浮かばない。


「悪い。頼む」


「任せて」


 結局、俺ができるのは素直に同盟相手を頼ることだけだった。


「もしもし。お電話かわりました。成海くんのクラスメイトの加瀬宮です」


「……えぇ、はい。昨日はすみません。私のことを気遣って、家まで送ってくれたんです。それと、今日も息子さんをお借りしてしまってすみません……はい。……はい。では、失礼します」


 何やら色々と話し合ったあと加瀬宮からスマホを返却された俺は、あらためて母さんとの通話を再開する。


「……もしもし」


『あんた、いつの間に女の子の友達なんてできたの?』


「……割と、最近?」


『そう……ごめんね。ヘンに疑うようなことばかり。ダメね。あたしも、「あの人」に縛られず、もう前に進まなくちゃいけないって分かってるんだけど……』


「……俺は気にしてないし、別にいいよ。母さんが幸せなら、それでいいから」


『……うん。ありがとう』


 どうやら落ち着いてくれたらしい。よかった。

 母さんがこうやって心配したり考えすぎてしまうのも、もとはといえば俺に責任がある。

 だからあまり気にしてほしくないし、余計なことも考えてほしくない。


 最後に「加瀬宮さんによろしく。ちゃんと家まで送ってあげなさいよ」なんてお言葉まで賜り、通話を切る。


「余計なお世話だった?」


「正直、助かった。ありがとう」


「こういう時のための同盟だしね……てか、でしゃばった自覚もあるし。ごめん」


「母さんと電話してくれ、なんて俺からは頼みづらいし、むしろありがたかったよ」


「……そう言ってもらえると助かるわ」


 その後、食後にぶどうパフェを注文し、また少し雑談に興じてから俺たちは店を出た。


「成海って、家では何してんの?」


「最近は夏樹に勧められたゲームやってるな」


「面白い?」


「かなりハマってる。暇潰しには最適」


「へぇー。じゃあ私にも教えてよ」


「いいけど、加瀬宮ってゲームやるの?」


「たまにね。友達と一緒にやることもあるし」


「お前、友達いたんだな……」


「なんだと思ってんの」


 むっとしたように頬を僅かに膨らませる加瀬宮はどこか子供っぽい。

 教室での彼女の姿はどこか大人びてもいたから、そのギャップがどこか面白かった。


「クラスも違うし、学校じゃあんまり関わらないようにしてるから」


 それは恐らく自身の評判の件もあるし、お姉さんのことで友達に迷惑をかけたくないからだろう。


「悪い悪い。それと、ゲームだったな……あとでリンク送っとくわ」


「ありがと」


「勧めてもらったからって無理にやる必要ないからな。合わなかったらすぐにやめていいし、気を遣われる方がしんどいし」


「わかってる。そういう気の遣い方はしないから安心して」


 あっという間に加瀬宮の家まで到着して、この日は解散した。

 帰り道、俺は家に帰った時のことを考える。


 ……帰りが遅くなることからは気を逸らせはしただろうが、今度は加瀬宮について母さんから色々と追及が飛んできそうだ。


 まあ、でも。居心地の悪さに辟易とすることよりは……たぶん、ずっといい悩みだ。




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