第457話 うなぎの志乃ざき その3
すると、「先のうな重、二つ、お待たせしました」と若女将。
「おお、よかったな、春樹、陽菜ちゃん、うな重きたぞ」
「危なかったー、もうちょっとでお腹いっぱいになるところだった」と春樹。
「ホンマや、これじゃ、お正月の二の舞やった」と陽菜ちゃん。
春樹と陽菜ちゃんの前に置かれた真っ赤な漆の重箱を開けると、白い煙がもくもくもく……ではなく、香ばしいたれの香りとホカホカのご飯の湯気がもくもくもく。
ほほーう、こっからみても、こいつはスゲーや。
テリッテリの照りって感じの見事なまでのべっこう色した蒲焼を目ん玉を真ん丸にして春樹と陽菜ちゃんが見ている。
「いや、ご主人の焼のキレ具合はいつもながらに感服しますが、今日のそれは何時にも増して、際っきわの所を攻め込んでますね」と司の母ちゃん。
司んところのおばさまには悪いが、こうして一級品の蒲焼を目の当たりにしてみると、正月に司の家でご馳走になったのとはやはりその差は歴然だ。
と、ここで、「はい、お待たせしましたー」と、今度は俺達の柳川がやって来た。
https://kakuyomu.jp/users/t-aizawa1971/news/16817330669245868662
あー、もう、どっちを見ればいいのか、神児困っちゃーう。
えんじ色した平べったい土鍋にぐつぐつと煮立たせながらやって来た柳川鍋。
「これこれこれ」と言いながら普段見ることの無いような親父のにやけた顔が、この柳川鍋のポテンシャルを裏付けている。
ここは一旦春樹達から目を離し、目の前に置かれた柳川鍋に一点集中。
ところでこれ、どうやって食べるの?
レンゲと平皿を渡され、ぐつぐつと煮えたぎる柳川鍋を前にして途方に暮れる俺。
えーっと、チンタラしてると火が通り過ぎちゃうな。と思ったところで、
「おい、神児、山椒いるか?」と親父。
「山椒かけた方がいいか?」と俺。
「もちろん!!」と親父。
確かに親父の柳川鍋の上には既に結構な山椒が掛けられている。
そんじゃ、まっ、山椒を振り振り振り振り、すると、山椒の鮮烈な香りが湧き上がる湯気と共に鼻孔を刺激する。
うーん、いい香りだー。
親父の方をチラッと見ると、鍋の上にある牛蒡とドジョウと溶き卵をレンゲで小皿にかき集め、ホフホフ言いながら格闘している。
なるほど、熱々の所をハフハフ言いながら食べるのが作法か。ならばと言いつつ、俺も親父に倣って熱々のドジョウをハフハフ言いながらかっこんでみる。
おおっとー、これは、山椒の香りが前頭葉をガツンと刺激して気持ちいいー。
そして、シャキシャキとした牛蒡の食感とふわっふわのドジョウの食感をとろっとろの溶き卵が包み込んでいる。
こいつはうまい。そして唯一無二の味だ。
なるほど、これが柳川鍋か。いや、おみそれしました。
今度から、志乃ざきさんに来たら、白焼きにすればいいのかうな重にすればいいのか柳川にすればいいのか神児困っちゃうーウネウネ
思わずあまりの嬉し悩ましい難問に、ドジョウのように腰がクネクネしてしまった。
と、その時、シャーっと目の前にぬか漬けのお新香の入った小皿が滑って来た。
俺はそのお新香の小皿を掌を立て受け止める。まるで西部劇の酒屋のカウンターみたく。
お新香がやってきた方向を見ると、山盛りのお茶碗を持った拓郎が俺の方を見ている。
どうやら、ご飯セットにはお新香がその都度ついてくるみたいですね。
そして拓郎は、余ったお新香を俺の方に投げてきたのだ。
俺と目が合った拓郎は親指を立てうんと頷く。
俺も拓郎からのお新香を受け取ると親指を立てうんと頷く。
この瞬間、決して切れること無い強い絆が生まれたのだ。
白米とお新香と柳川を交互に食べる。
これは史上最強の『三角食べ』だぁぁぁー。
小学校の時の田中先生見てますか。鳴瀬神児はついに三角食べの奥義を会得しましたー!!
ふと、顔を見上げると、じいちゃんと弥生が、柳川をつまみに熱燗でキュッとあおっている。
まあ、そっちはそっちで楽しそうでいいな……と、ここで気が付く。
ヤバイ、腹が一杯だ……
司の方を見ると、明らかにしまったという表情。
ついつい、うなぎと言う熱に浮かされて拓郎と同じペースで食べてしまった。お正月から何も成長してない。
いや、違う。お正月からちょうど半年。俺はその半年分だけきっと胃袋は成長しているはずだ。
なぜなら俺は、常に発展途上の日本の若き新星、鳴瀬神児だからだぁぁぁー。
「すいません、おかみさん、お冷一杯いただけますか?」
キンキンに冷たいお冷を一杯飲んで一休み。
目を瞑って神経集中。まだ、いける、まだまだいける。だってまだ、うな重食べてないんだもん!
げふっと一際おっきなゲップが出たところで、「はい、お待たせしましたー、うな重ですよー」と若女将と女将さんが。
おっし、ついに来たな、ラスボス、うな重ちゃん。
ホントさっき、親父に言われて「上うな重」にしないでよかった。ホッ。
真っ赤なお重の蓋をパカッと開けると、「きゃー綺麗ー」と遥が奇声を上げるくらいのテリテリの蒲焼ちゃん。
これはiPhoneの待ち受け画面にしときたいくらいの美しさだ。とりあえず1枚、パシャリ。
https://kakuyomu.jp/users/t-aizawa1971/news/16817330669245886434
そして、心を落ち着けて、とりあえず、肝吸いで口を湿らす。クピリ。
では、いくぞ、蒲焼ちゃん。
俺は両手を広げてホゥーと息を整え深呼吸。
それからおもむろに割り箸をかば焼きに突き立てる。が、全くと言っていいほど抵抗なくすっとお重の底に付く。
うーん、ファンタスティック。
そして、グッと箸でご飯を持ち上げると同時に、てりってりの蒲焼ちゃんを一緒に口内に放り込んだ。
うーん、エクセレント。
その瞬間、ズババババーン……と。
お口の中に宇宙が広がった。
ナイスですね!
ああ……やはり、そうか。
ああ……やはり、そうだったのか。
どんなに白焼きちゃんが美味しかろうと。
どんなに柳川さんが美味しかろうと。
やっぱり、蒲焼ちゃんがナンバー1なのだぁー。
オンリーワンのナンバーワンのスペシャルワン。
濃厚な鰻のタレに負けない、その存在感。
それでいて、不思議な程に臭みが全く無い。
これは一体どういう事?
「ねえ、若女将さん、この鰻、山椒を掛けなくても全然いけますよね」
「はい、当店のうなぎは、九州鹿児島大隅地区の極上のうなぎを生きたまま仕入れ、その後、この店の地下から湧き出る地下水を当てながら二日間生かし、臭みの無いウナギに仕上げております」と。
なるほど!そういうことかー!
本来ならどんな最上級のうなぎでも感じることのある雑味が一切感じられない。
人によってはそれがもの足りないと思う人もいるかも知らないが、そういう人はそういうお店に行けばいいだけの話。
ここまで、完璧に臭みが抜けたうなぎは唯一無二、なぜなら、店の地下から湧き出る地下水で無ければこの味は到底到達しないからだ。
もし、水道水を使おうものなら、その料金がウナギに加わりとんでもない料金に跳ね上がるに違いない、ああ、違いない。それに、日本のカルキがしっかり入った水道水に当てられたら、うなぎちゃん達は二日間元気でいられるか分からないもんね。
そっかー、そういうわけかー。
そう思いながら半分食べ切ったところで、味変で山椒をチョンチョンチョン。ちょめめめー。
これはー、これで、いい。どっちがいいのか悩ましい。
これは、匂いを打ち消す山椒ではなく、旨味を増加させるための山椒だ。
ああ、選び難い。度し難い。
山椒を掛ければいいのか、それともクリアなうなぎの味を堪能するために掛けない方がいいのか。
まさに、トゥービー オア ノット トゥービー 生きるべきか死ぬべきか。
掛けるのかい、掛けないのかい、どっちなんだい!!
うううううーん……掛けるぅぅー。
https://kakuyomu.jp/users/t-aizawa1971/news/16817330669245902832
俺は心の中でそう叫びながら、特製の電動ミルに入った山椒を残りの蒲焼の上に掛ける。
ウィンウィンウィンウィンウィン。
香しい山椒の香りが脳天に突き抜ける。
ああそうかー、キメるってこういう意味だったのだー。
と、そんなことを思いながらトローンとした目で蒲焼ちゃんをもふもふー、もふもふー。
すると、あともう一息で完食というところで、ふとあたりの状況を見渡すと……司は残り三分の一というところでピタッと箸が止まっていて、翔太と優斗に至っては半分以上残している。
春樹と陽菜ちゃんは、他の料理が少なかった分だけあってあともうちょっとだがプルプルと手と瞼が震えて結構やばい感じだ。
おふくろと親父に至っては既に最初の一口二口を口に付けた程度で白旗を上げている。
そして弥生とじいちゃんは、なんということでしょう、うな重の蒲焼をあてにして熱燗で一杯。
完璧に出来上がっているじゃありませんか!
ご飯にまったく手を付けてない。お百姓さんにあやまんなさい!
そうして、この会の原因となった拓郎はと言うと……おおー、完食してお新香をあてにしてお茶をすすっている。余裕あんなーコイツ。流石は、八王子のバキューム……もとい、限界知らずの鯱なだけはある。
だが、世界はそんなに甘くは無い。
すると拓郎のママンが、「あんた、これ、食べなさい」とほとんど手つかずのうな重を拓郎に差し出す。
えっ!?と言った感じの拓郎の表情。
「遠慮すんな、お父さんのも食べろ」とこれまた、半分以上残したうな重が拓郎の前に。
おい、珍しいな拓郎。人からうなぎ分けてもらってんのに、そんな顔して、どうした?
すると、「よかったら、これも」と、莉子が。
「遠慮しないでいいのよ」と遥が。
「拓郎君おばさんのもあげるわ」と司の母ちゃんが。
ギブアップした人たちのうな重が次々と拓郎の前に積みあがっていく。
よかったなー、拓郎。念願だったウナギのかば焼きが腹いっぱい食えて。
それに気が付いた若女将さん。
「あのー、よろしかったら、残りのうな重、折り詰めにできますよ」と。
「あっ、大丈夫です」と拓郎のママンとパパン。そして、莉子と遥と弥生と司の母ちゃんも。
どうやら、拓郎に因縁のある人のうな重が拓郎の目の前にカルマのように積み重なっている。
よかったなー。拓郎。まさか、みんなの善意を無為にするなんてことは……無いよな。
……その後、
俺達は目を回しながらウナギのかば焼きを胃袋に押し込んでいる拓郎を見ながら、締めのマスクメロンに美味しく舌鼓を打ったのであった。
メデタシ、メデタシ。
https://kakuyomu.jp/users/t-aizawa1971/news/16817330669245933977
「すいませーん、折り詰めお願いできますかー?」とおふくろが若女将さんにお願いしたところで、「おいっ」と司が声を掛けてきた。
みると司の目の前には既に食べ残しの折り詰めが置いてある。だらしねーなーったく……
「どうしたんだよ、司」
すると、「おいっ、コレ」と日本サッカー協会のHPをスマホの画面に映し出している。
「どしたんだよ。オリンピックのメンバー発表は一月後だぞ」と俺。
「いや、違う」と司。
「って、もしかして、アレか。オーバーエイジ枠でも決まったのか?」
「いや違う、オリンピック直前の国際親善試合の相手が決まった」と。
「……そうか」と俺。
俺は司のその表情を見て全てを察した。
すると優斗が何か異変を察したのか、「司君、顔色わるいで、うなぎ食べ過ぎたんとちゃうか」とこの場を和ませようと軽口を叩く。
「いや、ちがう」と司のそっけない態度に優斗は表情を曇らす。
先程までの賑やかだった辺りの空気も一変してしまった。
「その……対戦相手ってどこなんや?」と優斗。
おそらく優斗はその原因がここにあるのだと感づいたらしい。
「……でっ、対戦相手ってどこなの司君?」と翔太も表情を曇らす。
「……司君、どこなの?」と拓郎も何かに察したらしい。
そして……「司、言ってみろ」と俺。
前の世界の歴史を知っていた俺と司は既に覚悟が出来ていた。
いや、出来ていたはずだった。
だが、どこかで、もしかしたらなんて思っていたのも確かだった。
司のゴクリと飲み込んだ生唾がここまで聞こえる。
その名前をこうして目の前に突きつけられるまで、実際の所、俺達はその覚悟なんか決まって無かったのだ。
俺も……そして、司もだ。
一瞬の沈黙の後、司は重い口を開いた。
司は言った。
「オリンピック直前の最後の親善試合の相手は……ブラジルだ」と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます